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遺書


はじめに


これは万が一私が自ら命を絶った際、自身の葬儀にて参列者にお伝えしたい思いをことばにしたものです。無言で死んでしまえば、勝手な推測や的外れな同情をされ、不幸な人生だったと思われるかもしれません。しかし私はいま、人生に満足したから終焉を迎えてもよいのではないかという思いに駆られています。そして最後には、お世話になった方々へしっかりと感謝を伝えたいと思っています。

この思いを説明するのに十分な語彙を持ち合わせていませんが、希死念慮や自殺企図はありません。ただ、妄想の末浮かんできた言葉たちを、noteで、虚構として世にさらしてみようと思った次第です。

遺書:お世話になった皆様へ



生前お世話になった皆さまへ感謝の意を表するとともに、このような形となった背景を自らの言葉でご説明したく、筆をとっております。
 
私がこの世を去る決意をしましたのは、今が自分の人生のピークだと思ったからです。
 
若くして自らの命を絶ったことに関し、私は皆さまに今どう思われているでしょうか。不幸な人生に対する同情ですか。救えなかったことに対する後悔でしょうか。身勝手な生き方に対する怒りでしょうか。
 
どう思われるか。
なんといわれるか。

 
ここに、私がなぜ自ら命を殺めたのかという問いに対する回答の一部があります。
 
自ら経歴を述べるのはキャラにもなく、私が最も嫌う行為の一つではありますが、今回の件を説明するにあたって私の自己陶酔にお付き合いください。
 
私は港町のごく普通の家庭の一人娘として生まれました。学のある家系ではなく、特に父親はシャンプーを「シヤンプ」と書き、テレビのテロップも正確に読めず、家での会話がときに宙に散ってしまうレベルの国語力の家庭で育ちました。
 
残念ながら学問の遺伝子には恵まれませんでしたが、それでも環境には恵まれたほうで、受験をして隣町の中高一貫校に進学。その後、旧帝大へと進み、海外留学も経験しました。その後、第一志望の企業に就職し、転職にも成功しました。幸運なことに、大きなライフイベントの中で「落ちる」という経験がなかったこと、そして一社目も二社目も日本、そして業界を代表するグローバル企業で働く機会を得られたこと、これは私の人生における数少ない誇りです。
 
さて、この人生の外面だけご説明すれば、華々しい経歴だと思われるかもしれません。この人生のどこに悲観的になる要素があったのかと、思われるかもしれません。
 
事実、小学校よりも中高、中高よりも大学、大学よりも一社目、一社目よりも二社目・・・と人生の充実感は格段に増していき、より居心地のよい世界に身を置くことができました。気づけば、私がのぼってきた階段は、きっと私がこの世に生をなした時に両親が期待した場所よりも、そして幼き頃の私が想像していたところよりもはるかに高い場所にありました。これは自身の努力だけではなく、ただただ運がよかったということでしか到底説明がつきません。しかし身の程しらずの世界に挑戦しつづけることは、ときに苦難を強いられる生き方でもありました。
 
上を目指せば青天井のリアルな社会。スマホを開けば承認欲求を満たすために切り取られたきらびやかな日常の絵、そしてそんな世界に疲弊した人々を癒すための奇麗で優しい言葉が上滑りしているオンラインの世界。資本主義のシンプルなルールの裏で混沌とした感情が埋めく社会で生きるうちに、自分の理想は現実離れしたものへと膨れ上がり、いつしかその理想と現実のギャップの間でもがき苦しむようになりました。
 
誰かに認められること。
すごいねと言ってもらえること。
 
人生の途中から、他者からの承認は私にとって生きるための必要条件となりました。そしてすぐに、十分条件ではなくなっていきました。
 
このままの自分ではいけない。
もっと上の世界で戦わなければいけない。
そのもっと上の世界で生き残るためには倒れても這ってでも前進し続けなければいけない。
 
社会人となり、気が付くとこの思想で生きるのが当たり前となりました。これが決して一般的ではなく、別の価値観もある、生き急ぐ必要もない、ありのままの自分を愛すべきということは頭では分かっていました。しかし一度走り出した思考を自ら止めることが、私にはできませんでした。
 
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どう思われるか。
なんといわれるか。
 
ここに私がなぜ自ら命を殺めたのかという問いに対する回答の一部があります。
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先ほど、他者からの視線が今回の件の回答の一部に過ぎないと書いたのは、残りの回答が「自分で自分を殺した」ことであるからです。他者からの承認欲求のその先にある、理想の自分との闘いの方がはるかに厳しくつらいものでした。
 
Up or Out
 
私は今の会社で背伸びをし、時々ジャンプをしながら周囲についていくのが精いっぱいでした。倒れるほど必死に、そして夢中に何かに没頭できるというのは確かに幸せでしたが、同時に私の人生においてこれ以上のUpは望めないと気づいてしまったのです。それはつまり今がこの人生のピークであり、身を引くべき時であるということを意味していました。
 
オリンピック選手が金メダルを取って引退するように、私も人生のピークのときに幕を閉じたい。
 
もう十二分に満足です。カタカナもあやしい親の家庭に生まれてから、この景色を見れるところまでこれたのですから。与えられた環境と少しばかりの才能をこれでもかと最大限に活用してきた自分の努力を、最後ぐらいは認めてあげようと思います。
 
たかが一会社員が思い上がるな
このレベルで限界だというのか
苦しみから逃げただけじゃないか
 
もしそう思われるのだとしたら、私はあなたに殺されました。

そういった無数の無言の矢に刺されたのです。私は今日、この場にその犯人がいないことを信じてやみません。たとえその言葉が真理をついていたとしても。
 
他人の幸福には嫉妬し、努力には冷ややかに後ろ指を指し、逃避には苦言を呈する。これが30年近く生きてきた私の目に映る社会の現実です。そして私も例にもれずこの社会を構成する一員であったことを認め、ひとを傷つけてしまったことを謝罪させてください。ここまで足を運んでくださった皆さまが、今後、そんな現代社会の冷酷さに傷つけられることがないことを心より望んでいます。
 
最後に、僭越ながら若輩者から皆さまへのお願いです。いつでもどこでも人とつながれる時代(いま)だからこそ、目の前の人、となりの人とのつながりをぜひ大切にしてください。皆さんの半径1メートル以内にいる人の笑顔の裏に何があるか、ぜひ思いをはせてください。よく観察してみれば、ちょっとした表情やしぐさ、言葉の端々にSOSのサインが隠れているかもしれません。人は思っているより弱く儚いいきものだと思います。そしてその脆さを補完できるのはきっと「人」だけです。
 
私は自らの信念のもと人生の幕を閉じましたが、本来であれば許されない生き方だったと思います。私が最後にできるのは、私を支え、良い意味で刺激し、腹がよじれるほど笑わせてくださった皆さまが、この先も、人のぬくもりのなかで充実した人生を全うできるよう祈ることのみです。
 
私は皆さんと出会えて幸せでした。
 
私もどなたかに、出会えてよかったと思っていただけていたら嬉しいです。

 
ではまた数十年後、笑顔で天国で会いましょう。本当にありがとうございました。

自分の遺書に対する考察

一旦公開できる程度の完成度の文章には仕上がったかと思います。

一方で執筆中、いかに自分が現代社会の闇に飲み込まれているか、自ら命を絶った原因をそんな社会のせいにしようとしていること、結局単に挫折しただけであるという事実を突きつけられました。

そして何より、この遺書自体が私自身を苦しめてきた価値観を大きく反映してしまっているということに気づかざるを得ませんでした。

遺書を読んだ人にどう思われるか

この文章にどこか空虚を感じるのは、借りてきたかのような表現や言葉の羅列だからでしょうか。

私のほんとうの心の内は、ここにあるようでないのかもしれません。

自分のことばで深みのある遺書をかけるようになるまで生き続けてみる。

私の人生の第二フェーズです。

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