坂東蛍子、日常に飽き飽き/神西亜樹

https://www.shinchosha.co.jp/book/180006/

読了日2019/10/12

私たちは「We」ではなく「I」である。

ジェンダー学の本に、女の子は子供のころから「あなた(私)」ではなく「女の子」という集団でまとめられるため、
「女の子ならみんな好き♡」みたいな意見が多く出る。とあった。

だがそれに関しては、女の子も男の子もない。

私たちは小さなころから主語が集団になってしまう。
主語が大きくなるのだ。
「女の子なんだから」「男の子なんだから」「お姉ちゃんなんだから」「お兄ちゃんなんだから」「大人なんだから」「子どもじゃないんだから」

だが私たちは集団ではない。
私たちは個である。

「We」ではなく「I」なのだ。

その点本作の主人公、坂東蛍子はまさしく「私(I)」であった。

才色兼備、天真爛漫な女子高生、坂東蛍子。
失恋して乗り込んだタクシーの車内では誘拐事件のまっただ中。
汚れたぬいぐるみのために馴染みの店に行けば、謎の地下道で過去へさかのぼる。
めがねをなくせば宇宙人にさらわれかける。
親友との絶交で日本消滅の危機が訪れる。

何が起きているのだろう。
蛍子自身は平凡な日々を過ごしているだけだ。

だがなぜか、彼女の回りには「ふつうの人」がいない。
「ふつうの人」という、集団がいない。

警視正の息子
駿足のハードボイルド誘拐犯
ところてん愛の小学生
極道の娘(中3)
母星を守るべく派遣された宇宙人
将来が波乱万丈な同級生
蛍子に愛されるぬいぐるみ紳士
哲学者の猫
絶交した大切な親友

なぜ彼女の周りには「We」がいないのか。

それは彼女が、決して集団に属するような「女の子」ではないからだ。

幼なじみの親友に絶交されて傷心し、片想い相手に失恋しようとも、彼女は大多数の「女の子」には属さない。

それはひとえに、彼女が自分自身を、
「坂東蛍子」としての生をまっとうしているからだろう。

自分の命を使い、自分の生を燃やし、人生を走る。

坂東蛍子は「坂東蛍子」をこれでもかというほど生きている。

それが彼女、坂東蛍子を「女の子」という集団にくくらせない。

私たちは坂東蛍子になるしかない。

追記2023/09/09
シミルボンにてピックアップされた記事です

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