いまどきの死体/西尾元

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読了日 2021/03/14


 いまどき、という言葉にはいつもとげが混じっているように感じられる。
 常日頃この言葉を使用する連中というのは概して、今の世間の潮流を作る若者をあざ笑う。そのための必須の言葉という気がしてならない。
 本書の著者も、年齢からすればおおよそ若者をあざ笑う年代側の人間だ。教授先生ともなれば頭もいいはずだし、若者を笑う資格は持ち合わせているといってもいい。

 なんて優しい人なのだろうかと思った。読み進めていくと分かるが、言葉のひとつひとつがとても優しい。文体のせいもあるが、この人の持つ人柄なのだろう。
 分からないことは分からないという。
 たとえば著者は遺体を解剖するため、ときおり遺族に説明を求められる。
 遺族はおうおうにして「苦しんで死んだのでしょうか」と尋ねる。誰だって大切な人が苦しんで死んだとは考えたくないだろうから、その遺族は亡くなった故人をとても大切に思っていたのだろう。
 著者はそうした遺族に心から寄り添う。
 だから「分からない」と考える。なぜなら分からないが著者なりの誠意だからだ。
 急死の三大所見というものがある場合に限っては、著者は遺族に答える。
「短時間で亡くなったようですから、苦しんだ時間も少なかったでしょう」
 おそらくこの言葉よりも、遺族が大切に思う故人に寄り添ってくれた著者のような法医学者に解剖してもらえたという事実が遺族を慰めるのではないかと思う。

 ある法医学者の著書において「死後も名医にかかれ」という言葉があった。死者には意思などないので名医にかかりたくともかかれないだろうが、それはそれとして、本書の著者は人の死体における名医だろうなと思える。
 何より、端々に優しさがあふれているのだ。優しさで医者を判断してはいけないだろうが、結局のところ死んでしまった人間には何も分からない。分かるのは残された遺族だけだ。病と死は周りのモノといい、本人よりも周囲の人間があわてふためく。だから死後も名医にかかって良い思いを出来るのは遺族である。遺族が故人を思うのならば、故人も遺族を最期に思っていたと残された人々に思わせるためにも、死後の名医は必要だ。
 著者は、それでいうと名医に近いと思える。もちろん、本書を読んだだけの感想なので実際の人柄は分からないが。

 法医学者もわりあい、医者の家系に生まれた人間が多い。医学部はそういうところだと別な医師の著作を読んでそう書いてあった。
 それでいうと、著者はなかなか奇特な人物だった。大学受験に失敗して一浪したものの、通っている大学になじめずにやめようと思っていた。親御さんに相談したら、医者にでもなるのならやめてもよいと告げられて、なんと著者は医者の仕事の様子を見に近くの病院に出向いたのである。するとそこで医者は週に2~3日しか出勤していないことを知り、これなら楽なんじゃないかと考えて医者になろうと決意したという。ちなみに親御さんはお医者さんではない。なんと変わり者なのだろう。いうまでもなくそんな理想は儚く崩れ去ったようではあるが。
 医学部で著者は研究に明け暮れて海外留学までしたが、法医学に専念することになったのはおどろきの三十四歳である。ほかの法医学者と比べては失礼だが、あまりにも遅すぎる。
 だからこそ、ともいえた。著者は、すでに犯人が逮捕されている殺人事件の遺体を解剖する意味も分からないまま、その世界に飛び込んでいった。何も知らない、分からないということは、知ろう分かろうとする土台さえあればいくらでも知識を吸収して経験を積み重ねられた。

 人間万事塞翁が馬、とは著者の座右の銘だ。世の中だいたい幸福の種をまいたつもりが育ててみれば咲いたのは不幸の花だったり、しかしその花の蜜を吸いにきた蝶が世にもまれな美しさを秘めていれば目の当たりに出来たことは幸福ともいえる。
 幸不幸に一喜一憂する必要はないのだ、という中国の故事成句である。著者の生き様を現しているのだろう。

 死を受け入れる、というと、余命宣告がされて残り少ない人生を謳歌するような言葉に聞こえなくもない。
 著者が言う死を受け入れるという言葉は別種だ。本当にそのままの意味でしかない。
 浮浪者が亡くなっていた。
 私も含めておおよその人間が抱く感想は「このような死に方はしたくない」だろう。ある種の嫌悪感さえ抱いている。自分の末路をうっすら重ね合わせることで、こうはならないと教訓じみた戒めを自らに課しているようなものだ。
 著者は、教訓にしようと考えた時点で浮浪者の死を自分の生と無関係なものにしていると述べている。はっとさせられた。所詮重ね合わせているだけで、浮浪者の死を結局は他人事として考えているに過ぎないと指摘されてしまった気がした。
 こうならないための注意しようとか努力しようとか、ましてや浮浪者の人生と死を教訓にしようなど著者は言わない。
 ただすなおに、ながめてみる。こういった死が、世の中にはあり、あったのだということを。

 自殺をすることも生きることの一つ、なんて文章を希死念慮にさいなまれていた時代に耳にしたら絶望していたに違いない。生きることがつらいから自殺したいと考えていたのに、それすら生きることの一つなんて言われたら、では、どうすればこの苦痛から逃れられるのか。下手をすれば著者の首根っこをつかんで問いつめていただろう。
 著者が語るのは、自殺した人を解剖して思うのは、やはり人は最期まで生きるしかできないということだった。
 自殺した遺体には逡巡創という傷が見られることがある。包丁で胸を刺して自殺しようとするさいに、一度では刺しきれず、何度かためらってしまったために負ってしまった傷のことだ。
 著者はその傷を見るにつけ、「死のうとした奮闘努力の痕」と述べている。死ぬことを努力した、死にたい強い意志を感じた著者は、自殺も生きることの一つなのだと感じている。一介の自殺志願者だった時期がある身の上には、考えられない観点だった。
 生半可な気持ちでは死ねないだろうに、目の前に横たわる自殺した遺体は死んでいる。死のうと努力した姿を、著者は受け入れているのだ。死のうと努力するくらいなら生きられたはずなのに、と何も知らない世間は笑うだろう。違う、生きたのだ。生きたからこそ自殺した人は死んだのだと、著者は自殺してしまった人間に寄り添ってくれている。

 故人にこうも寄り添ってくれている法医学者はそうそういないだろう。
 法医学者の著書をいくつか読んだことがあるというだけなので、大きな声では決していえないが、著者は間違いなく「死後にかかりたい名医」であることは違いない。

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