残念な「オス」という生き物/藤田紘一郎

https://www.forestpub.co.jp/author/fujita/book/S-0131

読了日2019/10/12
ここで本作から残念なお知らせです。

それは「オス」という生き物は、とても残念だということ。

ウズラの実験ではあるものの、オスのウズラは気に入ってたメスにオスが近づくだけで、そのメスがもう魅力的ではないと拗ねってしまいます。

そんなことで拗ねるなよ。

「オス」というか「男」というか、とにかく彼らって拗ねる。
なぜかしら。
とにかく拗ねる。

5歳くらいの男の子ならまだかわいいわ。
10歳でもまだ許せるかな。

だが30〜40にもなって拗ねる男というのは確実に世の中に存在しているし、しかもがかわいくなんてない。
おっさんが拗ねたってクソ面倒なことこの上ない。
何が面倒って無駄に知能を発達させているだけあるから、こじらせ方がやっかいだ。

なぜ拗ねるのだろう。

拗ねるというか、不機嫌になるとでも言うのか。
前述のウズラがもし話せたら、多分こう言っているのだろう。
「オレを選ばないメスなんかメスじゃねえ」
とでも。

実際問題ウズラだと、他のオスを選んだメスはそのオスと交尾を済ませていたら、その次に交尾をしたオスとの子は妊娠しにくくなるらしい。

子孫を残すことに命を賭けているウズラならば、なるほど、拗ねているというか、子孫を残せる可能性の少ないメスから目をそらす理由もわかろうというものだ。

問題は人間である。
仮にも我々には知能というものが備わっている。
知的生命体であるかどうかはこの際議論しないことにして、とにかく知性を持っている。(ホーキング博士だったと思うが、インタビューで地球以外に知的生命体がある惑星が存在するかという質問に、地球に知的生命体がいるかね?とジョークで返したらしい。頭いい人はセンスが違うな)

大の男が拗ねる必要性ってあるか。

多分、必要性じゃないんだろう。
私たちは気づいたら体が成長して止まらなくて、知らぬうちに一秒を過ごして時を進めている。
すると頭も精神も体の成長についていけていないのに、なぜか大人になっている。

まだ頭の中も精神も子どもなのに、なぜか社会的には責任を負わなくてはならない立場になっている。

ワケが分からない。
自分はまだ子どもなのに。

そりゃ拗ねたくもなるか。

だがわかってほしいことがある(関白宣言風に)。

拗ねれば周りが甘やかしてくれるとは思うなよ。

甘やかしてくれたのは、体が子どもだったからだ。
体が大人になった時点でそいつは大人だし、仮にも結婚して子どもなんかいればなおさらそいつは大人だ。
なのにいつまで経っても拗ねれば甘やかしてくれる存在がいると思っている。

いや、甘えんなよ。

最悪、甘えたいなっていうときは、素直に甘えろ。
拗ねるとかいうこじらせはやめろ。

お前はウズラか。
食うぞ。

ところで私はもともと背が高いのでヒールをあまり履かない。
元の恋人とはほぼ背丈が変わらないこともあって、甘えたがりブスだった私は彼より小さくいようと努め、ペタンコ靴ばかり買っていた。

今はというと、ヘビロテがヒールつきブーティ。冬はブーツ。最近買ったのは厚底靴。

男ウケとかもう知らん。

だがハイヒールを履いた女性に目を奪われる男性には理由があった。
ロードシス効果といって、尻を突き出し下部脊椎が弓なりにそれる体勢は、多くの哺乳類が発情期に取る体勢なのである。

つまり私たち女は自分たちの脚を長く美しく見せるために選ぶハイヒールなのに、男たちは発情していると勘違いさせてしまっているのだ。

すんな。

痴漢は痴漢される格好をしている方が悪いと責任転嫁するらしいが、
なら殺されたら生きているのが悪いということになりはしないだろうか。

つーかなんで責任転嫁は嫁って字を使ってんだよ。
嫁に責任を転じさせんな。
この四字熟語作ったやつ絶対男だな。

私には甥っ子がいるので、彼が小さいうちはよく服をプレゼントするために子供服を眺めた。
すると驚くことに、男の子の服とは数がとんでもなく少ない。
代わりに女の子の服はめちゃくちゃ多い。しかもかわいい。最近の子供服は、女の子に限ってはもうかなりかわいいのだ。
もし姪っ子だったらなあ、とか、万が一私に娘が生まれ(結婚してないどころか彼氏もいない)たらこんなの着させてあげたいな、なんて思う服ばかりだ。
大人の女でさえ思うわけだから、子供にとったらかわいいお洋服を着るのなんてまさにお姫様気分に浸れるわけだ(自立したお姫様になれよ)。

そんな子供時代を過ごした私たち女は、大人になっても当然、自分の思う「かわいい」服を着る。
着るし、着る権利がある。
衣食住だって真っ先に衣が来るくらいには、着る物は大事だ。

それなのに、こっちが好きで選んだ服で勝手に欲情したくせにあげくこっちが悪いみたいに言われるのはたまったものじゃない。

だがロードシス効果なんて言われて、これもオスがどうにかして自分の子孫を残すために獲得した進化なのかと思うと、まあ、進化のための努力は賞賛する。
だがその進化も、今生きている世界では役に立たないなと人としての理性が判断したならば、失えないものなのだろうか。

もう少し、臨機応変に生きていけないだろうか。

生物は与えられた環境で生きるしかないため、完璧にはなろうとしない。
その場しのぎでいつも生きている。
それなのに、人は完璧を求める。
もう少しゆるい考えでもいいんじゃないか、と著者は言う。

私は多分、完璧を求めるのは、私たちが「人」である呪いなんだと思う。
「人」として生まれた時点で、私たちは完璧強迫観念にいつも追いかけられて生きているのだ。
死ぬまでその世界で生きていかなければならないし、そんな観念があったからこそ私たちの文明が進化出来たのだろう。

文明っていえば、今年も日本人がノーベル賞取ったね。やったね。おめでとうございます。(2019/10/12現在)

文明の進化をストップさせることはできないけれど、思考を転換させることはできるんじゃないだろうか。

「オス」を残念な生物と呼ばないために、私たち人は思考を転換し、進化させることはできるんじゃないだろうか。

残念な「オス」呼ばわりはもうやめにしないと、いずれ残念な「ヒト」になってしまう。

あっ、もうなってる?どう?ホーキング博士。答えておじいさん(失礼)。

この記事が参加している募集

読書感想文

サポート代は新しい本の購入費として有効活用させてもらいます。よろしければお願いします。