価値

価値
moroto

これは、私の度し難い人生の、その些細で拙い書留でございます。
私は食鳥処理場で働く男です。ここでは毎日、何千羽という鶏が屠殺され、熱湯の中へと落下し、その軽やかで安楽な羽毛は他愛もなく、奪われていく場所でございます。
自分たちの運命を理解しているのか、今日も処理場に彼らが詰められたコンテナが入ると、その鳴き声がより一層ギャアギャアと騒がしくなるのでした。
私はその屠殺、つまり首を切り落とす処理を仕事としておりました。勤めて数年になりますが、今となってはその屠殺が上手くいかない事などないほどの……イヤ、自分で言うのもなんですが、腕前となっておりました。
 さて、皆さまはご存知でしょうか。鶏は首を切り落とされた後でも、数歩パタパタと、まるで何事もなかったかのように歩きだし、そして思い出したかのように、絶命するのでございます。その様子がどうしようもなく、面白く、滑稽でありまして、告白するのは恥ずかしいことですが、私はその数歩を、奴らが死に行く最後の数を当てることが趣味でした。
毎日何千羽と殺しておりますと、「あぁ、こいつは二歩だな。」「やぁ、五歩と見た。」と感じるのです。そしてその数がピタリと当たるのでした。
 というのも、奴らの目を見れば、それは実に分かり易いものでした。
 ある日のことでございます。いつもの通り鶏の首を切り落とし、その歩みを当てては、心の中でニヤニヤと笑っておりました。次の鶏に手を伸ばし、その目をじっと見ました。
「七歩」
 バタバタと暴れるその身体をおさえつけ、軽く鉈を振りかぶり、ストンと切り落とすと、そいつはまたパタパタと歩いて行きます。
 一、二、三、四……数えます。五、六、七……おや。
 予想が外れたのは久しぶりでした。そいつはいつまで経っても倒れずに、立っているのです。しかも私のこの手で不出来にされた中途半端な出来損ないの身体を、いつの間にかじっと此方に向けて、少し向こうに立っているのです。奴の胸が、足が、かぎ爪の先が、責めるような視線を送っておりました。
 私はそっと鉈を置いて、片手にそいつの首を持ち、ゆっくりと近づきました。白く気味の悪い奴からは、ゴボゴボと器官に血が入る音が聞こえてきました。その断面からは血が溢れ、白い身体を赤く染めておりました。
「何かがおかしい」
もう一度、こいつの目を見ておこうと握りしめていた首を目前まで掲げたその時でした。
「他人を傷つけるのは好きか?」
 鶏がこちらをじっとみつめておりました。そのだらしない鶏冠のキメの部分は無数の目があるようでした。なんとも気味の悪い事ではございますが、そいつは首だけで生きているのです。イヤ、その目が、その濁り汚れた球体だけが、そのキメとともに生きているのでございます。
「俺は、お前だ。」
 嫌な汗がじっとりと吹き出てきました。
 近頃は自分の事がわかりません。まともではない考えが脳裏を過ぎり、不安と嫌悪に苛まれているのです。
 母は……母は、人を殺す事に罪悪感を覚えない人間でありました。確か私が母の殺人に加担するようになったのは、高校を卒業し働くようになってからでした。
母が初めて人を殺したのは……家族が一人、減った時でした。家に帰ると、母は笑顔で「うるさいのがいなくなったのよ」と、私に料理を振舞いました。それから母は、誰であっても、私以外は、母を苦しめたあいつにしか見えないようで……
 あぁ、そういえば女をベッドに転がしたままだった事を思い出しました。母のために、血が死体に残らないように、美しく首を切り落としたつもりでしたが、女の血は溢れてしまい、私のシャツを赤く染めました。それがなかなか落ちないのです。横にいた母はゲラゲラ笑っていましたっけ。女の首を切り落とすまでは、ギャアギャア喚いて煩くてかないませんでしたが、頭がなくなるとそのだらしない身体がビクンビクンと震えて静かになりました。女の皮を剥いで人皮の太鼓を作りました。でもそれで遊んだのは一、二時間ほどで、私はすぐに飽きてしまったのでした。残りは母にあげる予定でしたが……私は美味しいとは思いませんが、母はそれが大好物でありました。
 落ち着かなくてはと、衣嚢から急いで煙草を取り出そうとしましたが、手が震えてしまい、煙草とマッチは地面に落ちて行きました。
 こいつに耳を貸してはいけない。そう本能が叫んでいました。これは何度目だったのでしょうか。
「俺はお前だ……なら俺の死は実存ではあるのか? どうなんだ? 俺はそれが恐ろしいんだ……」恐る恐る鶏に問いました。
 奴はニタニタと吐き気のする様な笑みを浮かべて言いました。
「俺はお前だ。もう一度問おうか、他人を傷つけるのは好きか?」
 私はこいつを握り潰しました。脳髄や肉片がぐちゃぐちゃに混ざって地面にボタボタと落ちて行きました。奴の身体は尚も此方を向いておりました。
 次の鶏を、早く、早くしなくては、と急いで持ち場へ戻り、無心に腕を伸ばし、鉈を振り落としたその時でした。バキリという音が聞こえました。見ると先ほど握り潰した鶏と、おんなじ目をしたあいつが、私の親指を噛みちぎっておりました。
 これで三本目でした。これが罰であるのか。ハハァ、なんと軽いものだろう。
 ドアの向こうの闇は、恐怖である、とは理解できないものでございます。人間を何人殺しても、私は死刑にすらなっていないのです。
 何人の命を奪っても、何千の鶏を殺しても、私の指一本分の価値しかないのですよ。

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