あなたにとっての「今」って何ですか? ーシン・エヴァンゲリオン劇場版を見に行った話ー
シン・エヴァンゲリオン劇場版を見に行った話。
※この内容はシン・エヴァンゲリオン劇場版のネタバレを含みます。最新作をまだ見てない方はネタバレありますのでご注意ください。
※またこの記事は、エヴァを見て興奮したが、シェアする相手がいない人間の世間的にありきたりな量産型のレビューとなります。独断・偏見・オリジナリティがすぎる解釈・すきあらば自分語りの内容が多分に含まれておりますので、エグみに食傷気味となりましたらレモンティーなどで随時小休止を取る事をお勧めします。
最新作、シン・エヴァンゲリオン劇場版を見に行った話。
先日、延期延期が続いていたエヴァンゲリオン最新作を見に行った。
現在34歳、アニメ版エヴァが全盛期の時代のテレビアニメを見て育った当時中学生のわたし。
しかし、二つ上の兄が熱狂して見ているのを横目に「うーん、なんだか暗い。使徒はかっこいいけどとにかくグロい。」
「鬱」と呼ばれる概念がまだ世間に浸透していなかったその時代。わたしにはエヴァとはそのくらいの認識で、どっぷりと浸かる事もなかった。むしろトライガンとかカウボーイビバップとか、陽気だったりやけにド渋だったりする世界観に憧れを感じていた。
ちなみに兄に聞いたがその当時、テレビアニメ版の使徒を全部言えることは学校のオタ系コミュニティの中ではステータスだったらしい。おそらく徳川歴代将軍を諳んじられる現象と同じだろう。
さてそんなわたしがエヴァの世界にどっぷり浸かったのは意外と最近で、なんと新劇版エヴァの「Q」が公開され終わったさらに後の事だった。
そう、わたしはニワカなのだ。
大学を卒業後、新卒で入社した企業が後に「ブラック企業」として殿堂入りする某企業。当時はまだその言葉すら流行る前の時代。
過労から鬱になりその会社を辞め、契約社員として配達の仕事をした後、人生で初めて海外で生活をし、帰国後たまたま働いたスキー場のバイト。
そのレストランで一緒に働いていた年上のお兄さん(当時30歳)が見せてくれて、初めて新劇版エヴァを知った。
『そういえばわたしがまだ大学生だった頃、みんなが納得するようにエヴァを作り直した映画が公開されるというニュースがあったような。。』
その程度の認識だった。
しかし、新劇を見た方ならわかるだろうが、序→破への流れとその引きの強さ、そしてQを見た後の「???」とゆう感情。
わたしもごく普通にそのループにハマっていった。
エヴァ特有の情報量の多さ、そしてその解説の無さ具合にあっけにとられ、案の定数多くあるエヴァ解説・考察サイトを読み漁った。
さらにはそこから遡ってアニメ版エヴァ、そしていわゆる旧劇エヴァを見て、頭にあった疑問がもはや手に負えない数になり、
旧劇の量産型エヴァの残酷さやリアルすぎるはらわたの描写にトラウマが出来るまでになった。
そして、そこまで回ってやっと「Qの次っていつやるんだろ?」と、またまたありきたりな疑問に突き当たっていた。
そう。すべては誰もが通っているありきたりな道だ。
その後新作の情報も無くすっかりエヴァ熱は冷め、わたしは日常に戻っていた。
同世代の友人が結婚し、子どもが生まれ、最小公約数が「個人」から「家庭」に変わっていく。
「個人」としてのステージだった20代を経て、「家庭」としてのステージへ変わっていく30代の友人たち。
未だ「個人」の自分を持ったままの30代の自分。
20代の子のような溢れ出るパワーはないが、同世代の30代ほどおとなしくなる事も出来ず、
自分なりの答えも出せないでいる自分にもやもやし、同時にどんどん一人になっていく寂しさも感じていた。
そんな中、2021年の今年。エヴァの新作がとうとう公開された。
実を言うとわたしは、マンガ版の貞本エヴァが完結したのを読んだ時『これがエヴァの真っ当なエンディングだ』と、自分のなかではすでに完結していた。
つまり、シン・エヴァンゲリオンには期待をしていなかった。
むしろ旧劇のパターンから、今回また、もやもやが大量生産されるとさえ思っていた。
しかし今までのシリーズすべてを見て来た義務感と、abemaのコメント欄にウソか本当かわからないネタバレコメントがしょっちゅう現れるので、映画館へ向かった。
上映時間が2時間50分くらいあるとゆう噂も聞いていたので、朝起きてから水分を控え、お小水コントロールも万端で行った。
春休みで街へ繰り出す学生でごった返している中見るのが嫌だったので、わざわざ遠くの比較的空いている映画館を見つけて行った。
そして、鑑賞。
結論から言うと、ずっと泣いていた。
終盤の、キャラクターが一人ずつ報われていって退場していくシーンは嗚咽をあげそうなくらい泣いていた。
人が少ないとはいえ嗚咽はさすがにまずいので、自分を抑えることに必死だった。
初めてエヴァを見た当時、わたしは中学生。シンジくん達メインキャラクターと同世代で、まさに自己投影ドンピシャ世代だった。
それから約20年。わたしは34歳。すっかり大人になった。
酸いも甘いも噛み締めて苦労を経験して大人になっていったトウジ君ら同級生。一方、まだ「あの時のままの」シンジ君。
14歳のわたしが自己投影したシンジ君と、今のわたしに感覚の近い同級生たち。
14歳のままのシンジ君を見ていると『あぁ中学生の時って自分もこうゆう感性だったんだな』と、兄が熱中するアニメを横目に見ていた中学生のわたしを振り返るような気持ちになった。
中学生のわたしは幸せだった。それが当たり前すぎてその幸せを享受していることに気づいていないくらい幸せだった。
高校に入るとわたしの両親は別居をした。父はわたしが物心つく前からひどい父親だった。
そんな中、母が子ども(男3人)を一人で育て上げた。それなのに父はその母をある日突然家から追い出した。
それ以来わたしの家族はバラバラになった。
その後もわたしはいろいろな経験をした。良い事も悪い事もあった。
そんないろいろな経験が詰まった中学生からの約20年。
エヴァを見ていてそんな自分の人生がフラッシュバックしてしまった。
以前庵野監督のインタビューを読んだ時、こんな事を言っていた事がある。
「エヴァを作ると私のメンタルもかなり削られる。新作を作るにはそれ相応の時間が必要になる。」
ざっくりと覚えているだけなので意図は違うかもしれないが、
アニメだけに関わらず、創造される作品はその作り手の内面を現す鏡だと思う。
そこから考えると、庵野監督はエヴァという作品(=自分)に対して相当大きな、想像できない重いものを抱えていたのだろう。
どうかその重い気持ちを自ら肯定できるようになって、報われてほしいと勝手に感じていた。
そして今回、作品全体を収めるという方向性だけでなく、それぞれのキャラクターの想いまで拾い上げて救ってあげていた。
アニメのキャラは単なるキャラ。でもそれがもし一人の人として存在したら?
アニメ版エヴァが始まってから20年、それぞれのキャラクターもその都度毎回救われることはなかった。
それが今回、ほぼ主要なキャラクターがすべて救われていた。
アニメのキャラクターを超えて、一人の人として救済されていたことがわたしはとてもうれしかった。
そしてうれしいと同時に、あぁエヴァは本当にこれで終わるんだな、と強く感じた。
エヴァの世界の世代で言うと、碇ゲンドウとか冬月教授とか当時「大人」だった世代から始まり、
それが「子」の世代のシンジ君の世代で止まっていた。
そこから「子」が成長して「大人」になっていき、
「次の世代」の子の世界に移って行く。
当初まさに「子」の世代だったわたしが「大人」になっている今。
かつてのわたしにとっての「大人」だった両親が、目に見えて老いて行くのを目の当たりにして辛く感じたりもする。
でも、それは自然な事だったんだ。
かつての「大人」にも「子」の時代があって、その瞬間の連続の先に今がある。
父や母だって、わたしにとってはわたしが生まれた時から「親」だったけど、
当然それぞれ「子」の時代があって「大人」になり、「親」になっていったんだ。
そんな当たり前に気づくことができる。それがわたしが「大人」になったという証なのかもしれない。
わたしはわたし。「子」とか「大人」とか「親」とかではない。
「わたし」の延長線上なんだ。
今までも、そしてこれからも。
そういう想いをすべて受け入れて、これからを生きていく。それが未来につながっていくんだ。
そんな想いにたどり着けた。それがシン・エヴァンゲリオンを見たわたしが辿り着いた気持ちだ。
庵野監督が作品からキャラクターの内面から何からすべてを肯定する事で、自分自身も肯定できるようになっているといいな、と思いながら
わたしにとっての
世間的にありきたりな量産型のレビューを終わりにする。
ちなみにパンフレットはもちろん売り切れだった。関わった方々の想いを聞いてみたいと思ったが残念。
突然明日から何か変わったりはしないかもしれない。
でも、
例え周りからは同じに見えたとしても、
今までの「明日」と今日からの「明日」は、
わたしにとっては違うものだ。
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