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【妖怪・鬼】VTuber、鬼を語る【文化人類学×民俗学】①

民俗学×鬼


はじめに

めくるめくめぐるの世界にようこそ。

三度の飯より民俗学好き、諸星めぐるです。


民俗学は、みなさんの何本にも分かれた「今」の源流を探すロマンチックな学問です。

正解も最適解もあるようでないような、それでいて私たちの根幹を揺るがすような、ドキドキ感のたまらない学問だったりします。

今回は「鬼について」配信で解説したものを、資料多めでアーカイブしていきます。

元の配信はこちら

それでは、「読む配信」スタートです。


鬼ってなんや

さてみなさん、あたまの中で「鬼」

想像できますか。


諸星画

大抵の人はこんな感じで描くんじゃないでしょうか。


「角」大事ですよね。

あとは

「肌の色」
「もじゃもじゃの髪の毛」
「トラ柄のパンツ」

そんなところですかね。


つぎの絵を見てください。


瀬戸の陶器でできた瀬戸大将です

これって、どうですか

鬼に見えますか…?


というには、違和感ありますよね

妖怪好きな人なら「付喪神(つくもがみ)」、瀬戸大将って答えますかね。
いずれにせよ、妖怪に見えますよね…


でも実は、本来の意味で表すのなら

どちらも「鬼」で正解です。

なんでやねん

お教えしましょう。
今回は本来の意味、つまり鬼の誕生までさかのぼって、

鬼とは何か」探っていきましょう。


鬼って存在、みなさんはどうやって説明しますか?

節分のとき追い払うもの

桃太郎や一寸法師に退治されるもの

それとも、炭治郎たちの宿敵?

いずれにしても「心の優しい鬼」はマイノリティーで(「泣いた赤鬼」は名作)、多くの場合悪さをする妖怪の一つと考えている人が大多数だと思います。

そういう文化で育ってきたんです、仕方ない。

でもこの鬼についての説明は、
本来の意味のごく一部分の伝承でしかないのです。


曾我蕭白《雪山童子図》

いったい、いつから鬼はみんなの考える「鬼」だったのでしょうか。


江戸時代の妖怪ブーム


角やら見た目やらのキャラクターデザインの固定、これが行われたのは江戸時代からです。

そこにはみんな大好き太平の時代、
「江戸時代」の妖怪ブームが一枚嚙んでいます。

太平の世というのは庶民にも娯楽をする余裕をもたらしました。

そこで火がついたのが出版ブーム

さらにその中で鬼・河童・天狗といった妖怪の絵巻の二次創作が大量になされ、一代妖怪ブームが到来しました。

そして人気なのはやっぱり冒険活劇。

勧善懲悪の物語はちびっこから大人まで多くの人を魅了します。

題材となったのは牛若丸玉藻前と、
京の都の武士や貴族のための物語が瞬く間に一般化します。

とりわけ鬼の「酒吞童子」が登場する源頼光一行の物語は人気となりました。


大江山の酒呑童子と源頼光主従 (歌川芳艶 江戸時代)


これですよね、みんなの思う鬼って!
やっぱ鬼はこうでなくっちゃ!

この「御伽草子」を筆頭に、
鬼のキャラクターデザインと勧善懲悪であるところの悪としての存在意義が定着していきます。

私たちの信じて疑わなかった鬼の姿、そんなに最近できたなんて…ちょっとぼやけてきましたね。。。


鬼が悪者になったのは室町時代から

もう少しさかのぼって、御伽草子に描かれるほどにポピュラーだった理由についてさかのぼりましょう。

酒吞童子のお話はいわゆる「政治に利用された」形で広まりました。

遡ること室町時代。
室町幕府が開かれる当時、

「後醍醐天皇じゃダメだったね。
やっぱり源氏のあとを継ぐなら、足利家だね!」

と、武士の最推しが足利家のムーブメントがおきます。

血縁関係的には源氏とすこし決まり手がなかったわけですが、その分源氏の功績にめちゃくちゃ乗っかります。

源氏の人たちはすごいんだぞ!

鬼まで知恵と工夫で退治しちゃってるんだからな!

・・・で、「酒吞童子」のエピソードです。
擦りまくります。

”平安時代の大江山を根城(隠れ里があったのは神話的)にしていた鬼の親玉・酒吞童子。京の都で好き放題。酒吞童子の酒好きなところを作戦に盛り込み、源頼光らが鬼たちの首を獲って大団円!の冒険活劇”である。

これを使います。

ここで鬼の属性が「悪一択」に変わっていくんですね。


酒呑童子の頭は空に飛んでも睨みつけます。
酒呑童子の生首が源頼光を襲う、の図小村雪岱

変わった。ということは、もともとはどうだったかというと・・・

また次回!

今日はここまで

さよなら×3


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