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親戚の涙その2

叔母を泣かした話の続き。

泣かしたのか、泣いてしまったのか、他にいろいろあって、それが私の一言が原因となって泣いたのか、それは今となってはわからない。

その事件のあと、しばらく私は祖父母宅に1人で預けられていたような形だった。

そして、数日して母親が合流すると、今度は母親が料理を作ることになった。

そこまた、私は失言というか、本音に近いのだけれど、余計なことを言った記憶がある。

久しぶりに美味しいものを食べた気がする…

と。

今考えると、余計な一言だし、嫌なことを言ったと思う。

ただ、その時の気持ちを考えると、たぶん、1人で苦手だった祖父母宅での食卓を囲むことから解放されてホッとしたこと、食べ慣れた母親の料理を食べられたこと…などから、安心した。

ホッとする料理を食べられた、嬉しかったのだと思う。

だけれど、その時はそんなことをうまく言語化することもできず、上記のような言い方になってしまったのかもしれない。

それを聞いた叔母から、


今までろくなもの食べてなかったみたいじゃない…

みたいなことを言われた気がする。

子供心に、余計なことを言った。また怒らせてしまうようなことを言ってしまったと気がついた。

そこから、そんなことがあって以来、祖父母宅に行くたびに、叔母の私に対する当たりは強かったように感じていた。

私も、自分が悪い、怒らせてしまったと思っていたので、叔母の顔色を伺い、怯えて過ごしていた。

今考えると、そんなに我慢して、嫌な思いをする相手がいる場所に、行かなければ良かったのかもとも思ったり、親や誰かに話してみればよかったのかもとも思う。

でも、自分が悪いと思っていたし、叔母の存在を除けば、祖父は怖かったけれどそこまで嫌になる程嫌いではなかったし、前に書いた一緒に遊んでいた友人の存在もあったし、なにより、長期休暇となると、一家揃って母型の祖父母宅に来るのが習わしみたいになっていて、それに逆らって1人実家にいると言う選択肢はなかった。

そもそも、実家の祖父母と母親の折り合いが悪いのはなんとなく感じ取っていたし、実家に1人残っても、そこは安全安心な心落ち着く居場所ではなかったと思う。

つまり、私は、母型の祖父母宅に行っても、実家にいても、安心安全であったり、心落ち着ける居場所が子供の頃はなかったのだと思う。

叔母との関係はその後も、だいぶ後になって叔母の様子がなんだか丸くなり、私に対しての当たりが強くなくなってきた頃まで、おそらく20年近くそんな風な当たりがきつい、苦手意識を持ち続けることになった。

そして、叔母の態度が変わったと言っても、なにか直接やり取りがあったわけではなく、勝手に一方的に態度が変わったので、私としては心底の信用信頼や、雪解けしたという認識はない。

元々、私の一言で泣かせてしまったとはいえ、その後の態度や対応、ネチネチとした攻撃を受けたことは、私には決して忘れられるものではなかった。

当時携帯電話などがなく、叔母の友人らしき人と通話していて、私のことを文句を言っているらしきことをわざと聞こえるような場所で話しているのを聞いたり、のちに私が抜毛癖を発症したときも、顔を見るなり笑われたことや、私が成人して大きくなっても、太った?だのという外見的なことばかり指摘してくるところや、夕食にとろろが出て、私が口の周りが痒くなるので食べたくない旨を話すと、

弱いんだから…と強い口調で言われたことなど、あげればキリがないが、本当に嫌で苦手で祖父母宅に行くたびに、この叔母が居なければなあ…とよく思ったものだ。

しかし、そんな嫌な相手がいて落ち着かなかったにも関わらず、この隣県の祖父母のところへは、祖父母が亡くなるまで、亡くなった後、続けて母親が亡くなるまで、頻繁に通っていた。

自分にとっては、第二の故郷に近いくらい、馴染みのある土地になっていた。

私にはこうして、嫌なものを抱えつつも、その中でも祖父や祖母など会いたい人がいたり、友人宅のように、友人と遊ぶのは楽しくとも、友人の親が苦手でも、そこは我慢して付き合い続けるなど、なにか楽しいことや好きなことには、必ず嫌なことや嫌な人が近くにいて、我慢や無理をしている部分を持ったまま、そこに留まったり通ったり、受け入れたりし続けて過ごしてきたように思う。

そして、この、幼少期の、大人に対しての怒らせた、怒らせる怖さや、嫌な人苦手な人と一緒にならざるを得ず、そこで顔色を窺ったりビクビクして過ごした経験は、のちの体験したいくつかの出来事も相まって、社会人になってから直面する、社会不安障害、対人恐怖症へと繋がるきっかけ、つながっていった原体験のように、今となって振り返ると思われる。

今、当時の自分になにか声をかけてやれるとしたら、嫌な人、嫌な場所、居心地の悪いところ、落ち着かない居場所や人からは、離れてもいいんだよ、嫌だと思ったり離れたいと思うのは、悪いことじゃないんだよと伝えてあげたい。

君がそのまんまで受け入れてくれる、落ち着ける、居心地いい場所はきっとある、そう言う場所を探しても、見つけてもいいし、そう言う人や場所に絶対出会えるから、自分の感じたことを押し込めたり、自分ばっかり悪いと思って顔色を伺ってビクビクして無理して嫌な人や場所にいなきゃいけないなんてことはないんだよ、と伝え、抱きしめてやりたい。守ってあげたい。

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