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安心できる居場所と自己主張。その①

今になって思うのは、とにかく、子供の頃からずっと、安心できる居場所や環境が、家庭にもどこにもなかったということと、我慢ばかりして、自分が悪いとうちにこもり自己主張したり自己表現、自分の意思を示すことができなかったということ。

自分から何かを選んだり、逃げたり変えたりとかしてこなかった人生だった。

限界まで我慢してもう無理…ってなることが、人間関係でも仕事でもいろいろあった。

古くは、母方の祖父母の家の近くに住んでいた幼馴染の友達も、途中ベタベタしてきたり、人を馬鹿にしたことを言ってきたりして、それが嫌だったりムッとしたりしたことがあったけど、ずっと堪えて我慢していた。

なんでだろう?

そこを飲み込めば、その子と遊ぶのはある歳までは楽しかったからかもしれない。

でも、思春期を迎え趣味趣向が異なって、あまり楽しくなくなってからも、周りから親友みたいに認識されてて、ずっとどこか不満や怒りやつまんなさ抱えながら、言い出せず付き合ってて、結局三十過ぎ、祖父母と母親が亡くなって、その土地にいかなくなってからプツンと縁を切ったということがあった。

それまでは、あの子と遊ばない、遊びたくない、嫌い、つまんないと言えなかった。

本音を言えない間柄で、自分も本音に従って生きていなかった。

一緒にいたり近くにいる間は。

それは叔母も叔父もそうだった。

昔から苦手だったり、叔母には泣かれたあとキツく接せられた(元々そういう性格だったのかも)こととかあったけど、近くに幼馴染がいたり、祖父母は好きだったり、田舎の遊びは好きだったりしたから、同居してた叔母がセットでついてきたり、近くに住む叔父がやけに可愛がってくるのもなんだか嫌だった、重荷のように感じていた。

ただ、休みになると兄はサッカー少年団に行ってたけど、私はそいうのをやらなかったから、自動的に母親と一緒に祖父母宅へ行くと決まっていた。

実家に祖父母と残るという選択肢はなかったし、どこにも安心できる居場所はなかったように思う。

安心して自分のままいられたり、受け止めてくれる大人がいる場所はなかったように思う。

そして、昔から自己主張が苦手だった。

小学生の時、母親に無理矢理剣道の道場に通わされたことがあった。

やりたいと言った覚えはないし、もちろんそんな意思もなかったし、やりたいかどうか尋ねられた覚えもないのに、勝手に入会されていて通うことになっていた。

ただ、これも嫌だとは言えなかった。

嫌でしょうがなかったけど、無理して行っていた。

兄はサッカー少年団もやってたから、両立は無理ってことで、うまく先に辞めていた。

私はそういうのやってなかったし、なかなか辞められなくて、結局、高学年になったあたり、2年くらい?やって理由つけて休むようになって、なし崩し的に辞めることができた。

とにかく、自分の感情、思ったこと、意思を表に出したりすることができなくて、安心できる居場所がなかったなぁと、過去を振り返ってみて思う。

②へ続く

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