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ライターの火
小学校低学年か中学年くらいの頃、こんなことがあった。
いつものように、家族で長期休暇に隣県の祖父母宅に来ていた。
祖父母宅に来る時は、父、兄、母、と全員一緒に来る時もあれば、父は仕事の都合で後から来たり、兄は通学していた小学校のサッカー少年団に入っていたので、少年団の都合で別行動で来たりしていた。
また、兄は兄で隣県に仲の良い一家がいて、そちらで泊まってきたりしていた。
大人になってから、別の家の子になりたかったといっていたのを聞いたが、よその家と接する機会があったり、少年団などでよその家のことを知る機会が多かったから、比較対象があったのかもしれないとふと思う。
私に関しては、よその家、特に仲の良かったRくん宅でも緊張と大人への恐怖を感じていたりしたし、学校の体育の時間でスポーツや体を動かすことへの苦手意識が芽生えていたので、サッカーや野球などの習い事をしたいと思わず、あまり比較対象や、こんな家族はいいなと思える家族との出会いもなかった。
よその家やよその両親を見て、いいなあと思えるのは、自分がずっと大きくなって、それこそ最近、友人知人の子育ての様子を見聞きするようになってから、自分の育てられ方とずいぶん違う、こんなふうに育ててもらったり、手をかけてもらえて羨ましいな、いいなと思うようになった。
比較対象やサンプルができて、はじめて自分の育てられ方、生育歴を客観的に振り返るようになった感じだ。
話は戻って、小学校の時隣県の祖父母宅に来ていた時の話。
その時は珍しく父も来ていて一緒だった。
思えば父も、休暇中も自宅で自分の両親のいる自宅でなく、隣県の祖父母のもとへよく長期来ていたなあと思う。
もっとも、父にとっては、中学卒業後寮生活しながら通った、母校の高専学校の近くに祖父母宅はあった(そのすぐそばで米屋兼雑貨屋を母の実家が営んでいたのが、両親の出会いのきっかけだったとのことだ)。
その祖父母宅でのある日のこと、寛いでみなで過ごしているとき、ふざけて父親が、当時は吸っていたタバコのライターの火を近づけてきて、それを怖がって避ける自分を見て面白がっていた。
すると、祖母が、
そんなことやめな!
と嗜めた。
思えば、自分も父がふざけてやっているのはわかっていたので、やめてやめてと言いながらも、そこまで怖い恐ろしい、とは思ってなかったかもしれない。
でも、子供にライターの火を近づけるなんて、一歩間違えればというか、今の時代であれば、間違いなく虐待にあたることだろう。
そういうことを、面白がってやってくる、ふざけてやってくるところがある父だった。
人が嫌がったりすることをして、その反応を見て面白がっていたのだ。
自分も本気で嫌がったりせず、半分遊びみたいな感じだったかもしれない。
でも、一歩間違えればいじめや虐待、大怪我や心の傷になるような行為だ。
なぜ、そんなことを父はしてきたのだろう。
ただ、自分の身になって振り返ると、自分にも、その相手の嫌がったり怒ったりする反応を見て楽しんだり、そういうコミュニケーションをとろうとしたりする傾向がある、受け継がれてしまっている気がする。
仲が良い、心許している、好きな人、近しい人に対して、そういったと(もちろんタバコの火を押し付けるようなことはしない)をして、反応を見て喜んだり、例えば、飼っている犬が怒ったり嫌がることをして、案の定怒ったり嫌がったりする様子を見て喜んだり遊んでしまっている所がある気がする。
仲の良い、好意好感を持っている人を怒こらせたりして、怒っている、起こるという感情を表現している、してくれることでどこかで安心感を覚えているような変なところがある気がする。
感情を表現してくれたというか、そういう感じで。
それを、心を許してくれている証拠の確認というか、そういう信頼の確認としているというか…
とにかく、幼少期、生育時に父との間にはそんなことがあった。
ただ、見たわけではないけれど、父は兄には絶対そんなタバコの火を押し付けるようなことはしていなかったと思う。
兄なら、本気で嫌がったろうし、正論でキッパリと抗議したのではないか。
父も、兄は大人的に見ているというか、一目置いているというか、そんなふざけた、度を越えたイタズラのようなことはしなかったはずだ。
今考えると、それを受け入れてしまっていたけれど、あんな一歩間違えれば虐待や大怪我になるようなことは、子供にやるべきこと、子供だけでなく他人に対してやるべきことではないと大人の自分は思う。
ふざけたり戯れたりするなら、もっと別のやり方があったり、一緒に遊んだりすればいいのだ。
もっと別のコミュニケーションの取り方があったはずだ。
大人の自分が当時の自分や父親に何か言うとしたら、そんなことを父に伝えて嗜めたり、子供の自分には、嫌なことは嫌ってはっきりいっていいんだよ、とか、そんことされて怪我したら大変だから、やめてと強く怒っていいんだよ…と伝えてあげたい。
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