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98点
小学校3年生の国語の時間に起きた、あることがきっかけで、勉強に目覚めた。
勉強が好きだった、楽しかったというよりは、勉強ができることによってクラスで周りから一目置かれたりすごいと思われたり、先生や母親から褒められるのが嬉しかったので、やっていたような気がする。
自分の承認欲求やアイデンティティ、自分の存在価値みたいなものになっていた気がする。
それと、勉強に目覚めてから、当時はやっていた、通信式学習教材の、進研ゼミをやりたいと親に申し出た。
進研ゼミは、学校の授業の進捗状況に関わらず、自分のやりたい科目をやりたい時にやりたいところから始められるというメリットがあった。
つまり、自分のペースで勉強できる。
これが大きかった。これが自分の資質にピタリとハマったと思う。
授業で話を聞いているのは苦手でも、前もって進研ゼミで勉強しておけば、ちゃんと授業に集中しなくても、だいたい予習してあるからカバーでき、学校の勉強に遅れることはなく、むしろ学校の授業は復習みたいな感じで自習したことの補強になった。
小学校3年生くらいから、美術体育図工以外の成績はメキメキ良くなった。
小学校五年生から、兄が通っていた、というかたぶん通わされていた塾に、自分から希望して通ったりもしたけれど、やはり自分はマイペースで勉強できる進研ゼミの通信教材の方が合っていた気がする。
そして、学校の成績がよくて、テストで高得点をとっていた時期に、こんなことがあった。
ある科目のテストで返却された答案用紙の採点を見たら、98点だった。
自分としてはよくできた、いい点数だったと思った。
それを帰宅して母親に見せたら、
あと2点取れば100点だったね。
と言われた。
てっきり高得点の98点を褒められると思ったのに、できなかった2点の部分を指摘されているような気がして、がっかりした。
98点取っても褒められないのかと思った。
98点取っても褒めてもらえないんだ、ダメなんだ、と思った。
大人になった自分が、この時の自分や母親に声をかけるとしたら、母親には、せっかく98点も取ったんだから、すごいねとか、よくやったね、とか褒めてあげてもいいんじゃない?と言うかも。
もしくは、点数に関わらず、テストの前に勉強頑張っていたのだから、その部分も含めて、よく頑張ったねと労いの言葉をかけてあげてもいいんじゃないか?と伝えるかもしれない。母親の友人知人であれば。
そして子供の頃の自分には、98点がダメだったなんて思わなくてもいいんだよ、よく頑張っていい点数とってすごいじゃない。頑張ったね。と頭を撫ぜてやるかもしれない。
そして、勉強だけだなく、興味あること、好きなこと、やってて楽しいことをやってもるいいんだよ、勉強が好きなら勉強するのもいいし。
興味があること、夢中になれること、好きなこと、楽しいことを子供のうちは熱中していいんだよ、と伝えてあげたい。
自分を出し切ったり頑張ったなら、点数が何点でも、頑張った自分をら労ったり褒めてあげてもいいんだよ…とも伝えてあげたい。
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