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#1 5年半専業主婦をしたあと、35歳で通訳案内士(通訳ガイド)の仕事を始めたときのこと

2015年の春、フリーランスで通訳案内士の仕事を始めた。そのときわたしは35歳で、息子は5歳。4年暮らした韓国から日本に戻り、4ヶ月後のことだった。

通訳案内士といってもいろいろな仕事があるのだけど、わたしはほぼ100%、ロングツアーのスルーガイド(*)をしている。フリーランスで、契約をしている主なクライアントは、シニア層をメイン顧客に持つアメリカの旅行会社。50〜70代のお客さんたちと一緒に、10日〜2週間かけて、東京、金沢、京都、広島など、本州内の5〜7都市を周る。

(*ここでいうスルーガイドとは、ツアーの最初から最後まで通しでガイドをする、という意味。基本的にはお客さんたちと同じホテルに宿泊する。ツアーによっては地域毎にガイドが代わったり、宿泊はなしで自宅から通う場合もある)

この仕事に就いたのは、働ける環境になったから。ソウルは夫の駐在帯同ビザでの滞在で、現地での就労は難しく、帰国したらまた仕事をしたいというのは前から決めていたことだった。
(と、当時は思い込んでいたし、リモートで働くという選択肢も頭になかった)

とはいえ、最初からフリーランスの通訳案内士になろうとしていたわけではない。20代の頃は日本企業で営業職をしていて、会社員としての働き方しか知らず、また会社に就職するつもりだった。

でも、相談をしたキャリアカウンセラーと相性が合わず、心惹かれる仕事を紹介してもらえそうになかった。離職期間が長く、幼い子供がいる専業主婦は再就職が難しいらしい、とはなんとなく知っていた。その時点で仕事を離れてすでに5年半が経ち、息子はまだ5歳だった。「本当にそうだったんだ!」と落ち込んだ。
(いまから考えると、探し方が足りなかっただけじゃないかとは思うのだけど)

そのとき、在韓中に資格をとった通訳案内士の仕事をフリーランスでしてみようかな、と思いついた。

ソウルでは現地の生活を楽しみつつも、この先また働けるかがものすごく不安だった。先につながるものが欲しくて、数年がかりで準備して、全国通訳案内士の資格をとった。社会人3年目にもこの資格を取ろうとして1年勉強したものの玉砕していて、2度目の挑戦だった。選んだ理由はごくごくシンプルで、英語に関連する唯一の国家資格だったのと、外国人観光客に日本を案内する仕事が楽しそうだったから。

そんなわけで資格はすでに手元にあったものの、そこからどうやって仕事につなげられるのかちっともわからず、まずは情報収集を始めた。

リサーチを進めてみると、どうやら新人は通訳案内士向けの業界団体に入会し、新人研修を受けるのがまず最初のステップらしいと学んだ。団体では、仕事の紹介や斡旋もしてくれるようだ。そこで、さっそく通訳案内士団体の説明会や研修に参加しはじめた。そこで出会った方たちにお願いして、通訳案内士の仕事や業界について、話を聴かせてもらうこともした。

そんななか、たまたま、カナダの旅行会社が運営する日本ツアーの説明会に参加した。日本ツアーの人気が高まり、ガイドの人数が不足しているため、新規で募集を行う、とのことだった。

そこで、「スルーガイド」なる働き方をはじめて知った。世界中から集まるお客さんたちと一緒に、何日間もかけて日本を周る。さらに、その旅行会社のツアーは自由度が高く、決められた行程をなぞるだけではなく、フリータイムには自分で訪問場所や過ごし方を提案したりもできるらしい。

そのツアーをしている先輩ガイドさんも説明会に呼ばれていて、自身の経験談を話しながら、ツアー中の写真を何枚もみせてくれた。写真の中で、楽しそうなお客さんたちに囲まれて、にっこりと微笑むガイドさん。

猛烈に格好良く、楽しそうな仕事に思えた。旅そのものはもちろん、計画づくりから大好きなわたしには向いているんじゃないかと、胸が踊った。

でも、わくわくしながら「経験がなくてもスルーガイドにはなれますか?」と聞くと、説明会を主催した業界団体の担当者には難色を示された。

「スルーガイドは経験がないと難しいかもしれません。まずは空港送迎や日帰りツアーといったお仕事で経験を積んでから、挑戦してみるのがいいと思います」

がっかりした。でも、駄目元で応募はしておいた。その団体に入会もした。

それまで聞いたなかで1番やってみたいと思った仕事だったし、経験談をシェアしてくれた先輩ガイドさんの言葉に感銘を受けたから、というのもある。

「仕事の募集を見つけたら、とにかく手を挙げるのが大事」
「その仕事ができるかどうかは、受かってから考えればいい」

その通りだなと思った。

すると、やきもきした時間を経たあと、意外なことに採用通知を受け取った。もともと春は年間通じて1番の繁忙期なのに加えて、インバウンド業界の急速な伸びが重なり、スルーガイドが不足していたためだったろうと思う。

そんなわけで、その説明会に参加してから1ヶ月半後、スルーガイドとしてデビューを果たすことができた。9日間のツアーで、欧米圏を中心とする20〜60代の15人のお客さんたちと一緒に、大阪、高野山、広島、京都、箱根、東京を周った。

初ツアーですっかりその魅力にとりつかれ、気づいたらスルーガイド専門のガイドになっていた。
(経験がほとんど0に近いど新人だったので、失敗も沢山やらかした。でも、これ以上できないというくらい全力で臨んだし、あんな風に必死で取り組むツアーはもうできないだろうな、とも思う。新人は新人にしかできないツアーがあり、当時の自分にしかできないいいツアーにできたんじゃないかな、と自負している)

この仕事をやってみようと決めたとき、どんな仕事があるのかもイメージできていなかった。でも始めてみると、もとから好きだったことや、これまでの経験などを活かせる、自分にとても合っている仕事だということにだんだん気づいていった。一生続けていきたいとまで思っている。

いま、インバウンド業界はとても厳しい状況にある。以前共に働いたひとたちが、さまざまな事情でこの業界を離れたのも聞いている。でも、インバウンドはかならず復活する。いまこの瞬間も、旅に出たくてうずうずしている旅人たちが沢山いるし、その日がきたらお客さんたちに最高のツアーを体験してもらうべく、切磋琢磨しつづける仲間の努力もみている。

わたしもわたしで、いまできることを懸命に取り組みながら、その日を共に待ちたいと思う。


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