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この世に正解なんてなかった

何のために生きるのか。

東日本大震災を機に、それまでの僕とそれからの僕にパッキリと分かれてしまった。こちら側の世界の僕は【ふるさと】について比較的真っ直ぐに13年間を考え続けてきた。ようやく風向きが変わってきたのか、最近はこんなヘソマガリの人種でも少しは生きやすくなってきたように感じる。全てはタイミングなのかもしれない。
(最初の写真は私が住んでいる秋田県北秋田市根森田集落)

こんな投稿なんて、真剣に書いても読んだ誰もが(自分も含めて)数分後には忘れてる。それでいいような気もする。鳥のような視点で達観して見ることができたらな。

いずれ膨張しきった宇宙は、1点に収縮するという予測もある。
永遠なんて存在しない。苦しんでも苦しまなくても終わりは必ず来る。

結局、いがみ合っている者同士も、反発し合うS極とN極も、最後には一体化してしまうのだ。だったら、自分の中に宇宙があり、自然の中にも宇宙があるのと同じことだ。「人類みな兄弟だ」なんてクソみたいな言葉ではまとめたくないのだけれど、実際は想像よりも単純なものだ。

人生に正解は無い。

こんな戯言をいかに信じて、いかに熱量をもって動き続けられるか。大事なことはひとつだけ。ふるさとにしても、仕事にしても、人生にしても。

声を大にして言いたい「人生に正解はない」
声を極大にして言いたい「大人は正解を知らない」

現在、僕は40歳。小学校から大学生までの20年間をかけて習った『正解(マヤカシの)』を忘れるのに20年もかかってしまった。あんな試験やテストで、この世に正解はあるのだと勘違いをさせられた。世界は〇と‪✕‬に別れているわけではなかった。清く正しく美しく、ということは強制されるべきものではなく、自覚をして自ら獲得していかなければ意味がない。

そもそも、世界は大人の正解でできている訳ではない。
田舎も地方も、都会もなかった。それは平野の広さの違いでしかない。土地が広いところに、住宅を立てやすいところに建てた結果が微細な差異として「地方」と「都会」なんてマヤカシを生み出している。

13年前に「ふるさと」に帰ってきてみて分かったこと。
それは、実際はみんな迷って迷って迷いながら試行錯誤をしているだけだったってこと。試行錯誤をしている地域だけが、生きているということでもある。
正解を求め続けても何も出てこない。
だって誰も知らないのだから。
だけど、求めることを諦めてしまったら、その「ふるさと」は死んでいく。

何のために生きるのか。

正解はないことは分かった。
自分で好きに正解をつくっていいのね。
ありがとう世界と宇宙。
これからが最高に楽しいのは分かる。
ぼくはこの場所で生きていくよ。

行動するしかないってことだよね。

よくSDGsなんてことを恥ずかしげもなく語れるものだと思う。
#持続可能性 って、いつまでの持続のことを話しているのか。さっぱり耳に入ってこない。どんなに残していっても、ただ残すだけじゃ50億年後には跡形もなくなる。その頃には膨張した太陽によって、今住んでいる地球は綺麗に飲み込まれてしまうのだ。そもそも、それまで人類が残っている見込みもほとんどない。やっぱり某生物学者の方がいうように、崩壊と合成の上で廻っていくしかないのだ。(動的平衡という概念)

じゃあ、それなら話題のワード「 #集団自決」でもするか?といえば、答えはノーだ。宇宙全体の時間でみたら、人の一生なんてものは一瞬のまたたきに過ぎない。その一瞬に出会えて、同じ時代、同じ時間を生きることは奇跡中の奇跡じゃないか。ボクと君と立体。なんで、こんな奇跡の上で会ったのに、この気持ちが伝わる人と、1mmも伝わらない人がいるんだろうね。ここまで読んでくれた方には感謝しかない。

なんでこんなことを書いているかといえば、死が見えているからだ。悩み事に時間を使うことはもったいない。性格が合わない人に振り回されることは1秒でもしたくない。
そういう人にはヒトコトだけ申し上げたい「うるせぇ馬鹿野郎」ほかへどうぞ。何を言っても他人の考えは変わらない、変えられない。環境だけがヒトを、思考をつくる。不平不満の中で生きたい人は、ずっとその場に居ればいい。僕は自分の好きなものを残すために生きていたい。

でも、残すために「我慢する」「無理をする」「他の誰かを不幸にする」のでは続かない。じゃあどうするか?

コケて転けてこけて行くしかない。行動し続けること。死んだ偉人にもできないこと。行動するとは何か?それは間違い続けること。ミスターミステイクになること。不器用に生きること。

全て間違い、勘違い。

ならば、人生を深く味わい尽くすために、動こう。コケよう。大人になっても膝小僧を擦りむいていこう。
間違い続けることで世界が広がっていくのを感じる。

この地域で生きる意味

春が来て、ぽかぽか陽気になってくると、大掃除の気分になってくる。
倉庫の中のものを玄関前に全て出して、また取捨選択をして再度なかへ戻していく作業。自分自身の頭の中身もたまには外に出して天日干しをする必要があるのではないか。

僕は宿屋をやっている。2018年に始めて今年で7年目。大きく拡大はしていないけれど、これで良いと思っている。ひとつひとつの縁を大切にして宿屋はやっていきたいと思っているから。

移住した当初、森吉山荘という宿泊施設で働いていたときは正反対の空間で心身ともに疲弊した。10月の紅葉ピーク時は60人近いお客さんを8人で切り盛りしていた。朝5時に出勤し、帰りは夜23時ころ。それで手取りは14万円という地獄の状況。お客さんの顔なんて覚えてられない。前に来たときの話をされても顔も名前も覚えていなくて会話に困り苦しかった。本当に息苦しかった。送迎の運転中に取り繕う会話が苦しすぎて、車体をこすってしまったこともある。それくらい辛かった。

だから、自分自身で宿屋をやるときには利益を最優先しないことをまず決めた。ひとりひとりの顔と名前を覚えて、あわよくば相手のことをよく知れる関係性をつくりたかった。それが目標のひとつ。

そして、2つめの目標は「この地域で本気で生きている人たちを見せる」ということ。地域の人と宿のお客さんをどんどん繋いでいきたい。それこそが、ローカル宿屋の仕事だとも思っている。それぞれの地域を知って、体験して、好きになってもらうこと。地域のハブとなる宿屋。そのためにウチでは受け入れを大幅に少なくしている状況だ。2泊3日以上でなければ予約不可など条件を厳しくしすぎているかもしれない。迷惑をかけている人も多い。どんな人でも手放しに受け入れられれば良いけど、人間が中途半端な自分にはまだできない。それならば、自分と価値観や考え方が同じ人に届くような伝え方をしなければと思っている。それが傍らから見ると制限が強いと感じる場合もあるということ。それでも、訪れた人を心の底から受け入れる場所でありたい。自分が逆の立場なら、そういう宿に泊まりたいから。

プロが撮影した料理の写真や、部屋の写真を並べることも大事だろう。インフルエンサーに泊まってもらって、にこやかに発信してもらうことも大事だろう。そういうアプローチもしながら、ぼくは僕なりに自分が感じている地域の豊かさを、見返りを求めずにただただひたすら分け与え続けることをやっていくだけだ。共有すれば決して失われることはない。

もちろん正解はひとつだけではないし、競争も進化にとっては大切なことだ。
ただ、ぼくは人間中心の物語から離れたい。思考は環境の組み合わせによって変わると思っている。だから、不快な思考が生まれたら自ら環境を変えていきたい。その行動で「自分の魂が震えるか?」「自分の中の宇宙を広げることに繋がるか?」が最近の行動基準だ。
そもそも土台の地球が23.4度も傾いているのだから、綺麗な正方形だけで世の中を見ていたら、ハマるものもハマらなくなってくる。偏りがあるのがデフォルトでもいいじゃないか。性格が曲がっている人も、地球軸で見たら真っ直ぐなのかもしれない。

自然と対峙すると、自分はなんて無力なんだと笑けてくる瞬間がある。畏敬の気持ちが湧き上がってくる。その度に自分の原点に立ち戻ることができる。「この地域で本気で生きている人たちを見せる」ということ。
日本は資源に恵まれていなかったからこそ平和で豊かになった。勤勉で礼儀正しく自律神経を育み、熱心に勉強して働いて、ひとつの時代をつくりあげてきた。この「ふるさと」山里でも食べ物が少ない地域だったからこそ「清貧な文化」が生まれたのだと思う。山あいでは広い田んぼが全くない。穀物だけでは厳しい冬を越すことができなかった。だから熊に頼った。熊がいなければ冬を越すことが難しかった地域。熊を大勢で追いかけ、命のやり取りをした地域。熊のおかげで生き延びることができた地域。畏敬の念。畏敬しかない。おそれと敬いの地域。

ひとりで裏山を歩いていると、かつて住もうとしていた人が、(あえて誇張した表現をすると)熊の生き血をすすってでも、この土地に齧り付いていたかった気持ちが分かる瞬間がある。万華鏡のような景色、豊かな実り、この空気。厳しい陰があるからこそ、陽がより輝く。

この「ふるさと」地域で生きることで、この地域を愛しながら死んでいった人たちの気持ちを甦らせることができると思う。貴方が惚れ込んで、森を切り開き、住み始めた所は本当に素晴らしい所です。

久しぶりのnoteで思考がまとまっていない。でも、これからも少しずつ書いていきたい。そして、短い人生で深く関われる人を大切にしていきたい。読んでいただき、本当にありがとうございます。


最後に…自己紹介コーナー!
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ひと言ごあいさつ⇒🐻‍⁡秋田発祥のマタギ文化は人と自然との関わりについて多くのことを伝承してきました。マタギとは「人と自然との間をまたぎながら、四季をまたいで山と関わり活動する者のこと」です。日常の世界、人間中心の世界から離れて、マタギの世界観を覗いてみませんか?

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