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ぼくが狩猟をする5つの理由

ハンター十人十色、理由は人それぞれ

なかなか言葉にすることが難しくて、きちんと伝えられる自信がなかったので狩猟をする理由については言及してこなかったのですが、ちょっと現時点での考えをまとめてみようと思います。「私が狩猟をする理由」的なブログや記事は数多くあり、私も色々と拝見させていただいておりますが、異なった意見を否定する気持ちは全くありません。人それぞれには、それぞれ育った環境があり、目的も手段も皆さん最適解として選ばれたものだと思うからです。そもそも狩猟は生半可な気持ちで出来るものではありません。とにかく銃の所持許可をとるまでが昔に比べて面倒になりましたし、お金もかかります。昔は申請をすれば全部通った時代があったそうですよ。今は審査も大変です。前科がある人はハンターにはなれませんし、お酒を飲んで暴れる人にも許可はおりません。精神科の医師等の診断書も必要です。

それでも、私が狩猟をしようと思ったのは、いくつか理由があるのですが、他の地域の状況とはちょっと違うので、純粋な狩猟への動機とは異なるかもしれません。(この地域には鹿もイノシシも居なかった)

私自身のことについて少しだけ。かつては、アウトドア活動には全く興味がありませんでした。子どものころから私は超インドア派で、生粋のゲームキッズ。大学生時代はラクトオボベジタリアン(牛乳や乳製品は食するベジタリアン)をやってたこともあるくらい肉食にも興味がありませんでした。食事なんてチューブ食で十分なんじゃないか。光合成で生きていきたい、と思っていたこともあります…。なぜそんな私が狩猟をやることになったのか。はじめに、そのきっかけをご紹介させていただきたいと思います。

①マタギとのファーストコンタクトに恵まれた

まず第一に、私が住んでいる北秋田市の南方には阿仁地区があり、その中に根子(ねっこ)集落という場所があります。そこは確固たる証拠はないものの「マタギ文化発祥の地」と言われているところです。移住当初はそんな地域だとは思いもよらず、のほほんと暮らしていたのですが東京在住の読書家友人コンノからマタギが主人公の「邂逅の森(熊谷達也著・直木賞受賞作) 」を読んだとのことで「お前の住んでいるところにマタギ文化があるらしいな」と電話をもらい、実際にマタギに会ってみたいというので、それから阿仁マタギの鈴木英雄さんとコンタクトをとり、その友人と一緒に山歩きを体験したことがきっかけでした。それが2015年1月。その方は今でも大変お世話になっている素晴らしい方で、一緒にウサギ狩りのコースを歩いただけではなく、昔の写真やご自宅に保管してある狩猟用具をひとつひとつ出しながら色々なお話をしてくださいました。それから何回かお会いして、一緒に山を歩いているうちに自分が最初にマタギについて調べ、抱いていた「マタギ=孤高の狩猟者、頑固な恐いジジイ」というイメージ像がポロポロと崩れていきました。マタギは「山が好きで好きで仕方がない人」とか「山の知恵袋」、さらに山を歩きながら草払いをしたり道を整備している姿を見たり、春の熊追いでは熊が1年間里に降りてこなくなるように教育をしているという話を聞いているうちに「里山の保全者」という面も大きく感じるようになってきました。マタギの狩猟者としての一面はマタギが持っている二十面相のうちのひとつでしかないとも思い、もっとマタギのことを知りたいと思うようになりました。結果的に、その経験が私が狩猟者へなろうと考えた第一歩だったのですが、初めてマタギを体験した2015年の年末には既に銃を持っていたので、余程の衝撃があったのだろうと思います。

②マタギ文化を残したい

マタギについてもっと知りたくなった私は、猟友会の人に話を聞いたり狩猟者と接することが増えていきました。でも、その中で圧倒的な少子高齢化による人手不足、衰退していく現状を目の当たりにしたのです。昔は200名ほどいた会員が現在は20名。マタギ文化発祥の地で、マタギが絶滅危惧種であるというのはインパクトがありました。皆口をそろえて「マタギの時代は終わった」と言うのです。でも、狩猟をするだけがマタギの姿ではないし、これから野生鳥獣による農作物の被害も増えて来るという報道もあったので、これからの時代こそマタギの知恵、サスティナブルな技術が必要とされる時代が来るという気持ちがありました。それから、一緒に熊追いに同行させていただいたときに、肉以外の皮などが捨てられているのを見た時もショックを受けました。マタギと言えば、血も骨も皮も全て余すことなく利用しているというイメージがあったからです。でも、それは昔の話で、今は皮に需要がなく、それぞれの家にも熊皮の敷物が4~5枚あり、家族から処分するようにと言われていて肩身が狭いとのことでした。皮なめしをできる人はおらず、全て新潟に送っているとのこと。なめしだけでも5~6万円、売るとすれば8万前後とのことで、これでは買い手がつかないのも仕方ないのかなと思ったことを覚えています。熊皮の利用法として、敷物に需要がなければデザインを変えて、例えばiPhoneケースにする等、ほかの利活用方法があるのではないかという気持ちが芽生えたことも狩猟者になる理由のひとつでした。

③家族や地域の暮らしを守りたい

我が家のある根森田集落は北秋田市の端っこの集落のひとつです。地元の言葉では「カッチ」と言います。(多少は差別的な表現を含んでいるかもしれませんが…)我が家より後ろには誰も住んでおらず、あとは山と川と森だけ。そのまま何十キロか進むと隣の鹿角市になります。そうなると、野生動物が里へ降りて来ると高確率で我が家の脇を通ることに…。試しに自宅から直線距離で100mほど離れたところへトレイルカメラ(動物が通ると自動で撮影できるカメラ)を仕掛けてみたところ、一頭目に写ったのが大きな熊でした。家族や自分の身を守るためにも、自衛のために銃を持ちたいと思ったことも動機のひとつです。

④他にやる人がいないから

もちろん、家の周りに熊が出たからと言って猟期(11月~2月の間)でなければ勝手に撃つことはできません。でも、心のあり方として銃が家にあるという安心感は大きなものがあります。もちろん、銃があるという不安も多少はあります。私が銃を持ちたいと周りの人に相談したときもまずは「危ないからやめとけ」と皆から言われました。同じ集落の30~40歳代の方は「わざわざ山に入りたくない」と言います。山菜もキノコも別に食べたいと思わないし、思ったとしても買うから必要ないというのです。子どものころに熊の被害を受けた人の顔を見たことがあるそうで、山や熊はとてつもなく恐いものだと刷り込まれているのかもしれません。それでも集落のうち誰かは銃を持っていてもらいたいというのが私の気持ちです。熊が日常的に出没する地域なので。

私が狩猟を始める前に、銃を持っていたのは80歳のおじいちゃんだけでした。今は引退されて根森田集落で銃を持っているのは私ひとりだけになってしまいました。これから、もし同じ集落から5人でも6人でも狩猟者が増えてくれば、その時は私自身は銃を持つ必要はないかなとも思います。それほど他にやる人がいないというのは大きな理由のひとつなのです。でも、誰でも彼でも狩猟者になってほしいというわけではありません。きちんと、この地域に馴染んでバランスを保とうする意思のある人。そんな人になってほしいというのは、ただのワガママなのかもしれませんが…。

私自身は特に野生肉を好き好んで積極的に食べたいという欲求もないですし、撃ったときの快感もありません。有害駆除の箱罠の見回りで毎朝4時に家を出なければならないことに苦痛を感じることがありますが、それは他の誰かの代わりにやっているという消極的な自己犠牲の気持ちが半分くらいでやり続けています。

最新の環境省の統計によると現在狩猟免許を持っているのは全国で20万人ほどで、ここ数年では微増しているようです。今までの減少数からすると、微増しただけでもブームと言えなくもない感じはするのですが、1975年には約52万人いたと考えると、風前の灯火というのは変わらないと思います。

⑤これからの新しい狩猟者の姿をつくりたいから

以上のような気持ちで銃の所持許可をとり、狩猟者登録をし続けてきましたが、今はそれに新たな理由が加わりました。それは、今までの狩猟者像を変えていきたいということ。他の地域のことは分かりませんが、私の周りでは狩猟者のイメージがあまりよくありません。なんとなく乱暴者みたいな感じで言われることもあります。罠の設置が荒っぽく見えてしまうのか、発言がそう聞こえるのか…。もちろんそれらは誤解なので、変な誤解を生まないために、定期的な情報発信や技術向上のための講習会を行ったり、生息数調査でもAIを活用し、より簡単により精度を高めていかなければならないと思います。つまり、今までは趣味の会であった猟友会から、もっと専門性と責任性、透明性を高めた団体、もしくは会社のようなものを立ち上げていかねばと思うのです。狩猟者になりたい人にも、獲物の命をとる技術だけではなく、その動物や山全体の保全管理の方法から、仏教的な思想、地域の人との交流など多岐に渡る分野に興味を持ってもらいたいと思っているのです。それをするためには、まず自らが狩猟者として前線に立ち続けることが必要だと思います。

未来のことは分かりませんが、これから先を考える中で大切にしている言葉があります。それは【将来を予測するために一番最善な方法は、それを作ってしまうこと】という言葉です。あれこれ予想して一喜一憂するよりも、自ら動いて、自ら未来を築いていくことが最も不安が少なく、性に合っている気がします。

これからマタギ文化がますます必要になってくるというのは、その状況を自分で作るまでもなく必然でそうなります。というのも、秋田にはいなかったイノシシと鹿が、2021年現在、このあたりにも増えてきているのです。

イノシシと鹿は増えたら手が付けられない。増える前に抑えなさい、と他地域のハンターは口をそろえて言います。増えたら手が付けられない。でも、どこから手を付けたら良いか分からない人も多いようで、放置の状態が何年も続いていました…。

そこで私は、2019年に「鳥獣管理士」という資格を取りました。行政と住民の間に入って、獣による被害の状況をみたり、ゾーニングと呼ばれる管理や、罠の効果的な張り方や、廃棄野菜の処理の仕方などについてアドバイザーのような役割をすることができます。

でも実はそれは、やってみてから気が付いたのですが、昔はマタギが普通にやっていたことで、鉄砲を撃つだけがマタギの仕事ではない、ハンターとは違う部分だと思います。動物を授かって(仕留めて)、お金になったので木を植える、そうすると動物が住みやすくなって動物が増える。それをまた授かって…と森と動物の間に立って循環させていくこともやっていきます。

そして、マタギ文化を伝えるための宿屋をやりながら、様々な人に知ってもらい、興味の輪を広げていきたいと思っています。

以上が私が狩猟をしている5つの理由でした。これが正しいとか、日本全体に適応されるとは微塵も思っていません。でも、他の方の理由について書かれたブログを読んでも自分と同じ考えの人にあたらなかったので、もし同じ気持ちで活動されている方がいれば良いなと思いブログをしたためてみました。貴重なお時間をいただき、お読みくださいましてありがとうございました。

【おわりに】そもそも何故地域おこしを始めようと思ったのか

ここまでは「何故狩猟をやろうと思ったのか」についての答えでした。でも最近、それよりも以前に「何故地域おこしのような活動をしようと思ったのか」とそもそものきっかけを聞かれることが増えてきました。色々と地域活性化をしている団体に入って、手伝いなどをしていたので、疑問を持たれたのだと思います。

何故地域おこしの活動に関わっているのか、その質問に答えるために、ゆっくりと自分の人生を振り返ってみて、最初は嫌いだった田舎の文化(子どもの時に食べるカスベ、臭い汲み取り式トイレ、虫の多さ、カエルのうるささ、何も無い風景)が一瞬にして愛おしくなった出来事があったことを思い出しました。

それは「死んだおばあちゃんの手」です。

私の祖母は、私が大学1年の時に亡くなりましたが、東京から帰ってきて、パッと見たおばあちゃんの土まみれの、私よりも大きな太い指の手を見たときに、いかにこの人がこの土地を愛して、この土地でまっすぐ生きていたのかを知りました。爪の間にいつも土が挟まっていて、畑仕事のことを「土いじり」と呼ぶような祖母でした。気がついたのが遅かったことを物凄く後悔しました。おばあちゃんは畑で心筋梗塞のため亡くなり、葬式で着替えをさせられている時にようやく気が付いた馬鹿な孫だったのです。その時に感じたずっしりと重い罪悪感のような、自分に対する怒りのような悲しみのような、もやもやした気持ちが今の自分を支えていると思っています。

大切なふるさと・北秋田市に新たな価値をつくりだし、若者の住む町づくりをしなければ、天国にいるおじいちゃんおばあちゃんに顔向けできません。私がこの土地で生きる理由。それは、罪滅ぼしからスタートしているわけです。

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