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【当たり前、と思う事の恐ろしさとは?】

こんにちは!モーリーです

さて、今回は
当たり前、と思う事の恐ろしさとは?
というテーマで
シェアしてみようと思います

当たり前に思っていても、
別の場所に行くと

全く当たり前ではなく、
むしろ恵まれた環境に居ただけだった

という話をよく
海外に行った人から聞きますが

世の中では
普通に生活ができる事が
快適に一日を過ごせる事が

まるで、当たり前の事
であるかのように

無意識ですぐに
錯覚してしまう
癖があるようです

しかし、恩恵を受けている側は
その恵まれた状況を
当たり前と思っていたとしても

その恩恵を
生み出している
側の人たちからすると
迷惑な話であるかもしれません

人は、たとえ親切心から
無償で手助け、サポート、援助を行ったとしても

相手からその親切心を
「当然のこと」と思われるようになると
不公平感が生じてしまうものです。

どんなに心が良くて
奉仕の精神を持っている人でも
感謝もされずに

ただ同然の見返りで
親切心を長い間発揮し続けられる人は
それほど多くはない事でしょう。

つまり、親切心や
奉仕の精神を
無下にしているのは

ありがとうと言えない
卑しい「当たり前だ精神」が
原因なのです。

親切にしてくれる人に対して
感謝も述べず、当たり前だ
と言わんばかりに

不躾な態度を取っていると
親切な人でも、いい気はしないものです。

こうした人は
親切心のある「与える人」から
受け取るのが当然と思っている
「奪う人」である

とも言い換える事ができます。
当たり前、と思う事は

それだけ親切な人の行いや
有難い出来事に対して

無神経な振る舞いを
してしまうリスクを持っている
という事に注意をしなければいけません。

お金で、ほぼなんでも買えてしまう
世の中において

人の気持ちや
純粋な心遣いまでを
お金でコントロールは出来ませんが

ついつい私たちは
お金があればそういった親切心や
有難い出来事に対しても

「当たり前」感覚を
持ちすぎてしまう傾向があります。

当たり前と思う事が増えて
他人に対して批判的に
もし、なっているのだとしたら

それは傲慢に通じる道を
進んでいるのかもしれません。

そうした時は、「当たり前」を捨てて
ありがとうと感謝を口で伝え

自分に謙虚さを取り戻すように
意識をしてみましょう。

そうすることで、親切心や
有難い出来事で
世の中が溢れている事実に
すぐにでも気が付くことが
出来るようになりますよ。


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