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第一段階は、ダサくなること。文章表現における自己分析

何かを成し遂げている人、活躍している人を見るとと眩しくて、失明しそうになるのだが、僕は、成し遂げないといけないことがある。
「家賃をペンで稼ぐ」これは、4月に宣言した(かな?)通りである。
そのために一番必要なことは、実はシンプルであると言うことに気づいたのは、最近のことである。

ダサくなることだ。
イキってはいけない。そんなハリボテじゃあすぐにバレる。
要するに、何かを1から始めようとしたら、とにかくがむしゃらにならなければならない時間というのが必要なのだということだ。それが今だ。

当然はじめは、読まれない。(今もそんなに読まれているわけではないが、)
なぜか。簡単だ。面白くないからである。
思えば、Twitterを始めた頃、noteを始めた頃、いいねが1つくだけで歓喜したものだ。Twitterとか、もう誰にも相手にされなかった。ひたすら壁打ちをしていた気がする。でもそれは仕方のないことなんだと思う。だって面白くなかったもんはっきり言って。なんか頑張ってる感が出ちゃってる。難しいことを言おうと無理しちゃってる。

もちろん彗星の如く登場し、席巻していく人もいるのかもしれない。だが、おそらくその人も見えない部分で修練をしていたということは間違いないのである。文字なんて大体の人はかける。でも、読みたい文章とそうでもない文章とズバンと分断されてしまう。その差は一体なんだ。

僕が読みたい、と思う文章というのは、その人だから書ける文章なのだと思う。だっていまAIとかあるでしょ。もうそんなんと相手していたら勝てませんよきっと。はじめはもちろん苦労する。結局何が言いたいのかわからない、グロテスクなものが出来上がる。それでも僕はいくつかは恥を晒すつもりで投稿したが、さすがにこれは、というものはいまだに下書きに眠っている。

その人にしか書けないものってなんやねん

これは極めて難しいことだと思う。あまりにもセンシティブな文章は拒絶されるかもしれないし、武勇伝のようなものを書いたら、しらけるみたいな反応をする人だっているだろう。要するに何を書いても文句を言ってくる人はいる。

内容ももちろん大事だとはおもうのだけれど、その前に、その人の内面にフォーカスすべきだと思う。自分にしか出せない色というのが必ずあるはずだ。
その人が、醸し出す雰囲気というものは、文章にあらわれる。というか隠せない。匂いは染み付いて消えない。六条の御息所が自分が生き霊になったと気づいた時のように。

ズバズバいうことで力を発揮する作家もいれば、内面を丁寧に書くことでいきてくる作家もいる。語り口ひとつで大きく印象は変わるし、その人に合う語り口というものはきっとあるはずだ。

ダサいんだよ、はじめは。

僕には、今の所何の実績もない。でも3年後くらいには何かになっていると思います。書くことをやめさえしなければ。なぜそんなことが言えるのかというと、それはすでに僕が決めてしまったことだからである。

現在の僕はダサ期の第1フェーズである。
そんなんやめとけよ、というのを華麗にかわし、ただ黙々と文章を書きづけるのだ。はっきり言ってノリが悪いですよね。世間ともズレてしまうかもしれない。これは『勉強の哲学』で千葉雅也が言っていたことにも通じる。

僕は、5月に文学フリマに出るんだ!という無謀なチャレンジから文章を書き始めていった。無謀というのは、僕は書くことに対して全く自信がなかったからだ。人生でいちども読書感想文で楽しいと思ったことがなく作文も苦手だった。どうして上手く書ける人がいるのかずっと不思議だった、才能なのだと思っていた。もちろんそれもあるのかもしれないのだが、おそらくその人たちは知っていたのだ、それを楽しむことそのものが文章になるということを。

文フリの話に戻そう。実を言うと、とにかくがむしゃらに書いたので、どんなことを書いてしまったのかは実はほとんど忘れてしまった。恥ずかしいが、また読んでみようと思う。
僕は、じっくり考えることがどうやら苦手だと言うことがわかったので、(これも書き続けたことによる効能である)書き始めたら、何も考えずにゴールに辿り着くまでやめないというのが自分に合っている、のだと気づいた。
超格好つけて言えば、鼻歌を歌っていたら、いつの間にか曲が完成していた、みたいなスタイルだ。いやさすがにこれはイキリすぎだな。

読書があったからちょっとアドバンテージ

僕にとって作文や感想文は苦痛であったが、読書は好きである。たくさん読めるタイプの読書家ではない。同じ本を何度も読んだり、難しい本を読んでは、あー今回もあんまり理解できなかったけど、まあおもしろかったからいいいかあ、という、感じだ。効率で言えばわるいよそりゃ、でも読書に効率を求めている時点で僕はおかしなはなしだなあと思ってしまう。

読書家を名乗っているが、本格的に読書にのめり込んだのは、ブックオフバイト時代である。あの時代もクソダサ期だったな。
すでに知ってくれている読者には蛇足かもしれませんが、アルバイトをしていた自分がダサかったのではなく、その時期にピアノを始めて毎日6時間くらい練習していたのである。いや、頭おかしいよねどう考えても。24でハノンに苦戦してさ、ツェルニーに腹が立って、バッハなんかは、もう燃やしてやろうかと思ったもん。難しすぎてさ。あの時の支えは読書だった、村上春樹の小説だった。バイトの休憩中やレッスンに行く時の電車の中でずっと読んでたな。読書していたので、書けたのかもしれない、と感じる部分は、ある。


本なんか読んでないよ。どうしたら良い?

ああ、大丈夫です。今から読めばいいだけです。するか、しないか、なんです。単純すぎてびっくりしますよね、この世の中って、みんながよってたかって複雑にしようとしているけど、あんなのはマヤカシです、するかしないかそれだけしかないのです。
いやいや、そうはいってもどうしたらええねんってかたも多いと思います。
もしよければ参考しにしてください。
結構ガチでかきましたよ。多分読めるようになります、そして継続できるようになります。(返金できるのでどうぞお気軽に、200円です。)


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