【5分エッセイ】スマホを足の小指に落とした話

 ケガはコンパスの針みたいだ。ケガをすると、それを中心に生活が回りだす。

 足の小指にスマホを落とした。ポケットにしまおうとしたがうまくハマらず、床に落下、そこに無防備な裸足があった。
 万有引力。ニュートンはリンゴが落ちるのを見て重力を発見したなんて格好つけてるけど、本当は足の小指に金槌とか落としてあまりの激痛でひらめいたんじゃないの? でも分が悪いからリンゴってことにしたんじゃないの?

 あの激痛はやばい。その一撃で身体も思考も停止する。今日のお昼ご飯何にしようとか、仕事やだなとか、人生とは何かとか、何を考えていても。そして意識の全てがそこに持っていかれる。足の小指の存在意義は、そうした煩悩を激痛によって打ち消すためにあるんじゃないか。ブッダも意外とこの激痛で悟りに至ったのかもしれない。

 あれは○ップルが生み出した文明の鈍器だ。
 ジョ○ズが新機種のスマホをプレゼンしている。彼はかく語りき。キャベツ半玉分に匹敵する重量を手のひらサイズで実現したこと、最新の人体工学に基づき小指に落としたときの痛みが最適化するよう計算されていること。なるほどその通りにちゃんと痛い。

 足の小指に激痛が走るとき、人は自分のふがいなさにうちひしがれる。そして自分に対するやり場のない怒り。怒りは静まっても痛みは消えない。やがてそれは青いアザになり、二日たってようやく痛みが引いてきた。

 私はケガのタイプを、ものすごいざっくりと三種類に分けている。
 血が出るけど痛くないタイプ、例えば指のささくれとか。血は出ないけどめちゃめちゃ痛いタイプ、これも指のささくれとか。そして血も出るわ痛いわでなんも良いことのないタイプ。いや前の2つが良いことあるかっていうとそんなことはない。ケガはない方がいいよ。

 痛みが出るタイプはつらい。たとえ小さなケガでも、痛みは生活の中心に据えられる。まるでコンパスの針みたいに、その痛みを中心に生活が回るのだ。

 今回なら足の小指だったから、歩くときにずっと違和感があるし、痛みに気を取られて食べようとしていた餃子を取り落としてタレがシャツに跳ねるわ、網戸を閉めようとしたら外れるわ、仕事のやる気が起きないわで散々だ。仕事のやる気がないのはいつものことでしょうよ。ケガのせいにするんじゃない。

 私が初詣に行く神社の境内には、体の部位ごとの末社がある。歯とか目とか咳止めとか。
 毎年守りたい部位を選んでお参りをしているけど、その中に足の小指の神様がいたら良いのに。みんなお参りするんじゃないかな。だってあれをわざわざぶつけたい人なんていない。その思いは国境を越え人類全ての願いだ。

 お参りするとその夜、夢枕に足の小指が出てくる。私はあの時の小指です。あなたにもタンスの角に小指をぶつけないご加護がありますように……。待って! スマホも! スマホを小指に落とさないご加護も! 脅威は今やタンスだけじゃないんです! どうか! ご加護を!