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スランプっていうか【レズパコ#14】

【前回のお話】
#13 のんのんでり

 戦犯は満場一致で私に決まった。あれだけお膳立てしておきながら、最後の見せ場で失態を犯したのだからぐうの音も出ない。だとしても、普段の私なら食い下がっただろう。りちゃこだって、タカナシだって、のんだって、と自分のことは棚に上げて。

「ヘタレでごめん」

 素直に謝ると、りちゃこが回していたペンを机に落として目を丸くした。

「体調でも悪い?」

「べつに、ただの夏バテ」

「ふーん。まあ、それはそれとして、罰ゲームはしてもらわないとね」

「聞いてないんだけど」

「くすぐり、ケツバット、タイキック、鼻フック、パンストかぶり、しっぺ、デコピン、まんぐり返し」

 よどみなく罰ゲームを列挙していくりちゃこに、さっきまで興味なさそうにしていたタカナシがうんうんと腕組みをしてうなずく。こいつら相手に隙を見せるんじゃなかった。私が本当に夏バテしていたとしても、容赦なく刑を執行するだろう。

 待って、とのんがたまらず割って入る。

「ドンキでえっちいコスプレ買ってきて、それで終業式出てもらうのはどうかな」

 それだ、とりちゃことタカナシが声を揃える。とりあえずこの場を逃れるために助け舟を出してくれた、と解釈できなくもないが、さすがに贔屓目が過ぎるかもしれない。

「それにしても、なんであそこで日和るかねぇ」

「あの流れだったらバカウケだったのに」

「それでもサイヤ人の王子か」

 さんざん駄目出しをされながらも、私は心ここにあらずだった。やはり頭の中を占めているのは、こうして平然とみんなに合わせて笑っているのんのことだった。

 荷造りをしようとあれこれひっくり返して足の踏み場もなくなった自室ように、感情がとっ散らかっている。父に借りたスーツケースは床に開いて置かれたまま、衣類や日用品やガラクタを山盛りに詰め込まれて、すでにキャパオーバーしている。

「たしかにハナヤマ最近おとなしいし、ちょっとスランプ気味?」

「なんのスランプよ」

「だって前まで、誰彼構わずセクハラしてたじゃん。発情期の犬みたいに」

 あざとく両手を犬の前足のように丸めながら、タカナシが小首をかしげる。

「この前二人でカラオケ行ったときは、あんなに激しかったのに」

 りちゃこが横から口を挟む。

「あの日はあんなに乱れてたのに」

 のんが負けじと横槍を入れる。

「ひどい、私とのことは遊びだったの?」

 タカナシが訴えたが、それだけ身に覚えがなかった。のんがニーソの膝小僧をさすりながら、ちらっとこちらを見やる。私はかぶりを振った。違う。やってない。たしかにりちゃことはしたけど、あれだってただのおふざけだ。っていうか、なにをさらりとあのときのことを話してるんだこいつは。

「ほら、ノッてこないでしょ」

「だから夏バテで――」

「しょうがない。スランプ克服のためにも、プロの方々にご教授願うとしますか」

「プロ?」

 おーい、とタカナシが声を掛ける。スドウとアリダが同時に振り向いて、目を見合わせる。タカナシが手招きをすると、ふたりは牽制し合いながらもこちらにやってきた。

「ハナヤマがスランプなんだけどさ、どうやって克服するか教えてあげてくれない?」

「スランプって?」

「ビッグバンアタックだよ。得意でしょふたりとも。毎日やってるんだし」

 トゲを隠そうともしないタカナシの言い草に、空気がピリつく。

「私たち、べつにそんなんじゃ」

「あ、そっかー。ふたりがやってんの、ガチのほうだったね。レズパコだっけ。ごめんごめん。勘違いしてたわ」

 しーんと静まり返って、教室中が耳になる。スドウがうつむき、アリダが唇を噛む。

 彼女らが付き合っているなど、いまだに信じられない。端的に表すならアリダはタカナシの騎士で、スドウは執事だ。三人仲良しというより、タカナシを中心とする衛星のように互いに距離を置いて取り巻いていた。レズっぽいと言われれば納得はするけど、ふたりがくっつくのは想像しにくい。

「まあいいや、ちょっとやってみせてよ」

 タカナシは笑っているが、あざけるような口調には怒気が含まれていた。いつも気のないそぶりであしらっているくせに、いざ仲間はずれにされると拗ねるのが、いかにもわがままなお姫様らしい。

「わかった」

 アリダが言い放ち、スドウの両肩をつかんだ。そして小さくうなずきあうと、みんなが見ている前で唇を重ねた。きゃーっと悲鳴なのか嬌声なのか、教室が騒然となる。

 それで証明としては充分なのに、たっぷりと舌を絡ませて見せつける。互いの手のひらが相手の身体をまさぐり始める。

 姫の小さな肩がわなわなと震える。りちゃこがハハッと笑いかけて、即座に空気を察して口をつぐんだ。茶化すのも気まずくなるほど、ふたりはガチだった。本当に最後までやりかねない勢いで、行為がエスカレートしていく。絡み合う水音と、湿っぽい鼻声が、昼下がりの教室にねちょねちょと響く。

「きしょ」

 吐き捨てたタカナシの声はふたりには届かず、代わりに私の胸に刺さった。

「はい、質問!」

 のんが挙手して立ち上がる。

「どっちが上とか下とか決まってる? つまり、カップリングでいうとアリスド? それともスドアリ?」

 唇と唇のあいだに糸を渡しながら、ふたりがほうけた顔でのんを見やる。

「ちなみにうちらはのんれおだけどね」

 自信満々に言い放つのんをぎょっと見上げる。タカナシが片眉を上げてこちらを振り返る。りちゃこがふたたびペンを落とす。

「いや、れおのんやろがい」

 とっさにツッコんでしまった。なんてまぬけなカミングアウトだろう。だとしても、下手に否定するよりは茶化したほうがいい。そうすれば誰もガチだとは思わないだろう。こんな状況でさえなければ。

「あたしたち、ごっこじゃないから」

 かすかな笑い声を打ち破って、アリダが宣言する。スドウがこくりとうなずく。この感じだとアリスドか、なんて呑気に考えている自分にあきれる。

「私たちだって真剣だよ。ねえ、れお?」

「えっ、あー、うん」

 私はりちゃこに目配せした。この幼馴染はどう受け取るだろう。タカナシのように、きしょ、と吐き捨てるだろうか。

「だったら証明してよ」

 これ幸いとばかりにアリダが矛先を向けてくる。のんのトンチンカンな発言は、結果的にふたりを窮地から救う機転となった。見事なファインプレーだ。代わりに槍玉に挙げられるのが私たちでさえなければ。

「オーケー、カモンマイハニー」

 のんが机に肘をついて、尻をこちらに向ける。私は立ち上がり、自転車にまたがるくらいの自然な動作で、彼女の腰をつかんだ。スランプどころか、まるでルーティーンであるかのようにスムーズに打席に立った。

 赤いタータンチェックのスカート越しに、やわらかな肉厚を感じる。さっきまで影も形もなかった衝動が、むくむくとこみ上げてくる。こんなことをしてもなんの証明にもならないし、むしろおふざけ感が増すだけだろう。だとしても、いや、だからこそ、私にとってはうってつけのシチュエーションだ。

「レズパコいきまぁーす!」

 高らかに告げて腰を打ち付ける。カキーンとフェンスを越えていく確かな手応え。入道雲が白球を包み込む。

 誰も笑ってくれない。必死に腰を振れば振るほど、場が白けてゆく。起爆剤となるはずのりちゃこの導火線がしけってるせいだろう。アリダとスドウが失笑を残して去ってゆく。タカナシが普段のぶりっ子も忘れて、ちっと舌打ちをかます。

 たしかにこれのどこが面白いのか、いまの私にはまったくわからない。ふざけてレクチャーしていたころがもはや懐かしい。打ち付けるたびに極まってゆく弾力に、身体だけが高ぶってゆく。スカート丈を短くするための腰の折り込み、夏前はこんなに短くなかった。いまでは私に匹敵するほど短くしている。まるで誘っているかのように。

 まるでじゃない。のんはこれを望んでいるのだ。本人が言っていたのだから間違いない。私に触られたいと、そうはっきり口にしていたではないか。いまものんの思惑通りに動いている。だとするとやはり、のんれおなのか。

 棒読みではなく、ガチっぽい声でのんが喘ぐ。本物をすでに聞いている私には、ガチっぽい演技だとわかるが、クラスのみんなには見抜けるだろうか。本当に感じているとき、のんはもっと押し殺した声を鼻からセクシーに漏らすのに。

 チャイムが鳴る。のんがバックから突かれたまま、上体を起こして顔をこちらに向ける。アリダとスドウのキスが脳裏をよぎり、あの雨の中の唇の感触が呼び起こされて、私は引き寄せられるように顔を近づけた。

 ぐいっ、と肩をつかまれて振り返る。怒ったようなりちゃこの表情に一瞬、殴られる、と思って目をつむった。

 ぶにゅっと唇をふさがれる。つけまつ毛がちくりと頬に刺さる。

「ちょ、なにすん――」

 顔を離して逃れようとすると、背中と後頭部に回した手にまた引き戻された。エアバッグのようなおっぱいに圧迫されて、唇を吸われたままむせる。その隙間に分厚いベロが滑り込んでくる。なぜか唐揚げの味がする。

 なんとか拘束を振り切って、りちゃこを突き飛ばす。肩で息をしながら、手の甲で唇を拭う。塗りすぎたリップクリームか油か唾液か、べとついて気持ちが悪い。

 りちゃこは泣き出しそうな目でこちらを睨んでいる。そんな顔されても困る。泣きたいのも怒りたいのもこっちだ。いくらなんでも悪ふざけが過ぎる。

 のんはというと、腕を組んで余裕の笑みをたたえている。彼女の動じなさを私はいつも好ましく思うが、このときばかりは腹立たしく思った。

「まるでレズのバーゲンセールだな」

 恋人が目の前で無理やり唇を奪われて、最初に出てくる感想がそれか。いや、べつに恋人になった覚えもないけど、でも。

 先生が入ってくるのと同時に、りちゃこが教室から飛び出してゆく。私は一瞬ためらったが、しれっと席に着くのんを見て、やはり追いかけることにした。

 りちゃこはトイレに駆け込み、個室に閉じこもった。私はドアを殴りつけ、出てこい、開けろ、と恫喝した。返事はない。耳を澄ますと、ひっくひっくとしゃくりあげる声が聞こえてきた。

 泣かれても困る。被害者は私なのに。なんでこんな、なにか悪いことをしてしまったような気分にならないといけないのか。

 手をつなぐのも、抱き合うのも、胸や尻を揉むのも、ビッグバンアタックをするのもかまわない。だけどキスは違う。そこには単なるじゃれ合い以上の意味が生じてしまう。

「なにあんた、私のこと好きなの?」

 笑い飛ばしてくれと願いながら、からかうような口調でふっかける。

 嗚咽がエスカレートして、わーんわーんと幼い泣き声に変わる。まるで母親に置き去りにされた子供だ。こんなに泣くのは、小学生のころに好きな男子にボンレスハム太郎呼ばわりされたとき以来か。

 そうだよ。りちゃこは同性愛者じゃない。修学旅行で恋バナもしたし、いつも彼氏欲しいってぼやいてるし。

 そんなこと言い出したら、私だってそうだ。だけどのんとああいう関係になった。のんがよくて、りちゃこがだめな理由、ぱっと百個くらい思い浮かぶけど、どれも的外れな気がする。ケツがでかすぎるから、なんて理由じゃ、自分のことすら納得させられない。

 口の中に残る、まぎれもない嫌悪感にいたたまれなくなる。たとえ直前に唐揚げを食べていなくても、教室でいきなりというシチュエーションじゃなくても、りちゃことキスするなんてありえない。こんな状況じゃなければ、吐き気をもよおしてトイレに駆け込んでいたのは私のほうだ。

 すすり泣きになるまで待っても、りちゃこはなにも答えてくれない。

「そろそろ戻るね」

 教室に。あるいは、のんのもとに。

「いっ、いぐ、いがないで」

 呼び止める声を無視して、トイレをあとにする。そのまま教室に戻る気にはなれず、階段を降りて一階のトイレに入った。便座を持ち上げて、ぺっとつばを吐く。それでも喉奥に毛が貼り付いているような不快感は拭えなかった。ひどいことをされたのに、ひどいことをしているような自己嫌悪に苛まれる。

 この瞬間において、私はりちゃこのことも、のんのことも、きらめく海も夏休みも雨もガラスの浮き球も、なにもかも全部大嫌いだった。とくに花山玲央というふざけた女のことが心底嫌いだった。どうしてこんな下品なバカを好きになったりするんだろうか。

 そもそも誰も、好きだなんて一言もいってくれていない。どいつもこいつもケダモノのように、身体目当てで飛びかかってくるだけ。過度なスキンシップも、冗談ならば許されると思っている。それで本気になったら笑い飛ばすんだ。最悪だ。最低だ私。

 便器の水に浮かんだつばを見つめる。いまの私にとってはそれが、この目に映るもっともきれいな光景だった。

【次回のお話】
#15 このケダモノが


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