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日本はなぜキリスト教国にならなかったか

フランシスコ・ザビエルは頭にカッパを被っているのだと小学生の頃からなぜか思っていて、後年になって「カッパなわけないわな、ハゲたんだな」と思い直したがそれまた違っていた。あれはトンスラという僧侶独自の髪型で一般人と区別するためにあえてああいう頭頂部だけ剃った奇異な頭にしてるらしい。ところがザビエルが所属してたイエズス会はトンスラの習慣は無かったという話もあり、あれは西郷隆盛みたいに想像で描かれた似顔絵の可能性もある。

16世紀キリスト教の宗教改革で劣勢となったカトリック派は東方に勢力拡大することで生き残りを図ろうとした。日本に布教にきたのは要するに「侵略」だったわけだが、ザビエルは日本人に好意的な印象を持ったようで、その国民性を優れたものだという言葉を残していたりもする。ではなぜ日本にキリスト教が根付かなかったのか。「日本は多神教だから」というのはあくまで教科書的な回答で、実際には日本の僧侶が読み書きを習う弟子らと男色をしていて、それにザビエルの側が強い嫌悪感を持ったことが大きな理由とも言われている。

当時の日本では僧侶でも武士でも基本的に男同士でしかいない事が多かったから必然的に男色が行われ、それが罪という意識もあまり無かったがキリスト教社会では男色はもちろん禁忌でありソドムの罪(神に滅ぼされた町ソドムに由来)であり、火炙り刑に処されてきた。ザビエルは当時の一般庶民に「男色は罪だ!」と説教しても「坊さんもやってるじゃん!」と全く聞く耳をもってもらえず、逆に嘲笑されるだけだったともいう。

日本における男色は地域差はあれど明治初期まで続き、女性に溺れるのは軟派で男色こそ硬派という風潮もあったようだが、明治6年に鶏姦罪が制定されたことで男色は法的に禁止された。明治政府は欧米の価値に合わせないと文明国でないと考えたのかもしれないが、これが日本人が歴史を忘却することにも繋がった。日本は古代から、古事記からして性に寛容で、スサノオノミコトの荒れっぷりに天照大神が天の岩屋戸に籠もられ真っ暗な世界の中でアメノウズメが乳房や陰部を出して踊り、それにより天照大神が外に出てきて世界に再び光が蘇った、という話があるくらいだ。

たかだか明治に作られた価値を「伝統」と思い込み、もともと多様だった性の文化に対し「それを認めたら社会が変わってしまう」「日本社会が崩壊する」などと言う人がいる。歴史の中で醸成された価値を重んじるはずの「保守」が特にそれを言ってるのだから、ザビエルもあの世で少しは喜んでるかもしれない。

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