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【小短編】近未来の恋愛事情


「週末は家に帰って来るように」
 〈育親〉からのメッセージが〈スマート眼鏡〉の隅で点滅している。親子関係はすこぶる良好だが、それでも有り難くも煩わしいのが親子の情というものだ。
「面倒くさい」
 思わず呟くと、仮想オフィスで音声共有中だった同僚が応答した。
「メンドウ?23世紀にもなって、そんな化石のような感情を味わっているなんて、ずいぶんと器用だね」
 軽快なお道化た口調に、思わず笑みがこぼれた。
「不機嫌な呟きをしちゃって、ごめん。良かったら、こっちでお茶でもしながら休憩しないか」
 仕事の事務作業の手を止めて、同僚と〈四次元窓〉を繋いだ。窓を開けると、同僚のアパートメントは海の底に沈んでいた。珊瑚礁の上に寝そべった同僚が人魚になって仕事をしている。私が手を振ると、人魚は海面に向かって幻想的な弧を描いてから、私の仮想空間に泳ぎ込んで来た。私のログハウスの居間で、使い込まれた本革ソファに寝そべると、人魚は天女の羽衣のように尾ヒレをなびかせた。
「それで、一体、何が不満なんだい」
 人魚は欠伸をしながら尋ねた。私はチケット2枚を消費して、紅茶データを購入すると、同僚に送信した。
「ありがとう。これ、好きな茶葉なんだ。うれしいな」
 同僚が弾んだ声を上げる。同僚のアパートと、私のアパートの給仕機器から同時に、それぞれのカップに同じ紅茶が注がれる。
「実は、〈育親〉が〈縁談〉を進めろと、うるさいんだ」
「〈縁談〉か。何件か経験したけれど、楽しくて、いいものだよ。なにせマッチング率99.999999999%を誇るシステムなんだから。使わないと損だよ」
 私は熱い紅茶を啜った。口元の湯気と茶の味だけがリアルだった。言うかどうか散々迷った末に、私は思い切って顔を上げた。
「こんなことを言ったら、罰が当たるのかもしれないけれど、”人間関係のあらゆる軋轢をなくすイレブン・ナインのマッチングアプリ”だなんて、一体、誰が証明したんだろう。職場だって自動的に〈教育的上司〉や〈好敵手的同僚〉や〈同志的後輩〉と組み合わせられる、この生活が恵まれているのは分かっているけれど、たまに、すごく不安になるんだ」
 同僚は眉根を寄せると、不安そうに声をひそめて尋ねた。
「〈育親〉だって、マッチングアプリじゃないか。君は、その、もしかして〈育親〉と上手くいっていないのかい。“親子の確執”は、現代では“交通事故”や“結核”並みに廃絶されたと、思っていたんだけれど」
 私は慌てて首を振った。
「もちろん、〈育親〉のことは愛しているよ。大好きだ。〈育親〉はいいんだよ。赤ん坊に判断力があるわけないし、大人だって赤ん坊との相性なんて見極められないだろう。すべての〈育親希望者〉をシャッフルしてマッチングする〈育親制度〉は、人類社会の歴史の中でも最高傑作だと思っているよ」
 同僚はほっと胸を撫でおろした。
「良かったよ。てっきり、君のお養父さんの打った蕎麦を、もうお裾分けしてもらえないかと思って、焦ったよ」
 同僚と私は声をたてて笑った。
「ごめん、ごめん。でも、私はもう赤ん坊じゃないだろ。立派な成人で、都市を支える市民なんだ。人格も、意志も、個性も、教育も、仕事も、交友関係もある。そのいい大人が、人生で一番大切な愛するソウルメイトで、伴侶で、永遠の恋人を、アプリに任せてしまって、本当にいいんだろうか、と思うんだよ」
 私が熱弁をふるい終わると、人魚のアバターがフリーズしていて、蓮の花が降りしきる菩薩の立体スタンプが視界を覆った。子供をなだめるときに使われる慈愛のスタンプだ。さすがにむっとして叫んだ。
「人が真剣に話しているのに、ひどいよ」
 同僚が笑いながら動き始めた。
「ごめんごめん。でもそれって、このマグカップみたいなものだと、私なんかは思うんだけどなあ」
 同僚がエミール・ガレの蝶文グラスの〈四次元ホログラム〉を手の甲でぬぐい去って、味も素っ気もないステンレスカップを出現させて見せた。
「ほら、本当は、味も素っ気もないサーモ・ステンレスなんだよ。〈四次元ホログラム〉があるから、ガラスでも陶器でも国宝級の芸術品でも、形状も質感まで自由自在に再現できるんだろ。アプリを否定するのは、この便利な人類の叡智を放棄するのと、同じじゃないかなあ。天然自然の手のひらで紅茶を飲もうっていうのは、逆に不自然だよ。火傷しちゃうしね」
 私は、自分の手のひらに収まっている、宇宙を閉じ込めた曜変天目の茶碗を眺めて、苦し紛れに言った。
「私のこの欲求や感情だって、自然なもののはずだろ」
 同僚は、私の肩を優しく叩いた。このアパートには存在しない同僚の、お互いの体圧スーツが調整しあった、励ましのタッピングの感触だけが肩に伝わってくる。
「“人間の悩みはすべて対人関係の悩みである”という20世紀の格言、知っているかい。その頃は、地縁と所属集団に基づいて、人間が出会っていたんだよ。信じられるかい。人格相性診断も、対人能力診断も無しで、一緒に暮らすんだよ。現代では信じられないくらいの、大博打だよ」
 いつの間にか、人魚のアバターは解除されていて、シンプルなジーンズにカットソー姿の同僚が、腕組みをしてソファに座っていた。
「離婚率は30%以上だったらしいからね」
 私もお返しに近代社会科の知識を披露する。
「そうだよ。3組に1組が辛い思いをするなんて、どう考えても、オッズが悪すぎるだろう。どれも小学校の社会科で習う基礎内容じゃないか。一体、どうしちゃったって言うんだよ」
 私は黙って、長年〈スマート眼鏡〉の片隅に貼り付けておいた画像を呼び出して、同僚との共通空間に投影した。
「何これ。古い〈縁談〉の相性診断か。懐かしいな。学生の頃に試しに受けたやつだね」
 同僚が呑気に言う。私は苦々しく答えた。
「私たちは最高の関係だと思っていたのに、相性は30%だったんだよ」
 同僚は笑った。
「間違いなく最高の友達だよ。友情診断の結果は90%だよ。忘れたのかい。これは縁談診断だけの結果だよ」
 私は、同僚の手を握り締めた。
 同僚は驚いてフリーズした。
「私は、きみと、縁談関係になりたいんだよ」
 決死の覚悟で二十年越しの想いを打ち明けた私に、同僚は静かな声で囁いた。
「そうだったんだね。いいよ。分かった。ただし、条件が二つある。まずは素直に、縁談診断が90%以上の人とお付き合いをしてみること。それから、最新の縁談診断を、私と受け直してみること」
 私はもどかしくなって言った。
「そんな形式の話なんて、どうだっていいんだ。私は、人間の真心の話をしているんだよ」
 またしても、蓮の花が降りしきる菩薩の立体スタンプが視界を覆った。花びらのシャワーの向こうで、同僚は溜息を吐いて言った。
「ほらね。私は形式が大好きなのに、きみはもうそこから分かってないだろ。いつもこうなんだもの。きみのことは大好きだけど、多分、最新式でも30%だと思うよ」
(終)

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