ちょっと怖い絵本と歌の世界
今日はまた絵本について書いてみようと思う。
少し趣向を変えて、ちょっと怖い感じがするけれど惹かれる絵本を、自分の本棚から選んでみた。
まず最初の1冊は
『なおみ』谷川俊太郎 作:沢渡 朔 写真
こちらは写真絵本なのだけど、表紙のモノクロ写真からしてちょっと怖い。なんだか心霊写真っぽくて、妙に心掴まれる(笑)
全体的に仄暗くぼんやりとした夢の中にいるかのようなトーンで、とても子供向けとは思えない。大人の方が感じるところが多いかもしれない作品。
主人公の少女が生まれるずっと前から "そばにいた" 市松人形の、なおみ。
なおみは、おかっぱ頭に絵羽模様の黒い振袖を着ている。朱色の長襦袢と鹿の子絞りの帯揚げが、少女なのにどことなく妖艶で、不思議な力が宿っていそうに感じられる。
少女となおみは一心同体。いつも一緒。
なおみは何も話さないけれど、少女にはなおみの声が聞こえている。
見る角度によっては、微笑んでいるようにも悲しげにも見える、なおみの表情は謎めいている。
少女にとってなおみは、イマジナリーフレンド(空想の友達)のような存在なのだと思う。
子供の頃、私にもそんな友達がいた。
周りの大人や学校の友達には見えない、自分にだけ姿の見える女の子。
その子には、誰にも言えないことも話せる。心の中でいつもその子と喋っていた。
成長してゆく少女となおみに、やがて別れがやってくる。
ある日、少女の中でなおみは "しんで" しまい、姿が見えなくなる。
大人になるにつれ永遠に失われてしまう、大切なものを暗示しているかのような描写に、その小さな残酷さに、胸の奥が疼く。
それから長い年月が過ぎて、母親になったかつての少女は、屋根裏部屋で昔のままのなおみと再会し、自分の娘のそばに、また、なおみを寝かせる。
そんなラストも少しだけ怖いような、余韻が残る絵本。
残念ながら、こちらの絵本は現在は絶版。図書館では借りられるかもしれません。
2冊目は
『ギャシュリークラムのちびっ子たち』エドワード・ゴーリー作
怖い絵本といえば?
はい、エドワード・ゴーリーですね(笑)
絵本というと、心温まる、優しい、子供向け、というイメージを持つ方も多いと思うが、そのようなものとは一線を画す、特異な世界を描いたのが彼だ。
この絵本は、アルファベットのA〜Z順にその頭文字の名前を持つ子供たちが、恐ろしい運命に見舞われる様子がマザー・グース風に綴られ、ご丁寧にも裏表紙には26人分の墓石まで描かれていて、ギョッとする。
訳者の柴田元幸さんのあとがきを読むと、19世紀のイギリスにあった、悪さをした子供が悲惨な目にあうという教訓譚の型を踏まえているらしいのだけど、登場する子供たちはべつに悪さなどしてないし、猟奇的だったり凄惨な最期のわりに、どこか現実感が抜け落ちたような絵を見るにつけ、なぜ作者はこれを描いたのか?という疑問が、心のうちにフツフツと湧いてくる。
はじめてこの絵本を目にした時の、なんじゃコレは!?という衝撃と不条理さ、モヤっとした嫌悪感を覚えている。
にもかかわらず、一度見たら忘れられない。
その不気味なストーリー、古めかしく緻密でゴシック調の背景、怖カワイイ感じもする子供たちを描いた線画の醸し出す独特な世界に、気がつくと引きずり込まれていて、『うろんな客』『優雅に叱責する自転車』と、本屋で探しては立て続けに手にとってしまったではないか…。
これは、大人の暴力や不可抗力な出来事に巻き込まれ犠牲になるのは、いつも子供たちだ、というようなことを言いたいのか?
それともブラックユーモアなのか?ナンセンスなのか?
今でもよくわらかない。
一つだけわかっているのは、こんな絵本を描けるのは、エドワード・ゴーリー唯ひとりしかいない、ということ。
ちなみにゴーリー自身も、その奇妙な作風通りのちょっと変な人だったようで、墓石を机がわりにしていたとか、毛皮のコートに白いテニスシューズ姿で、推しの振り付け家が手がけるバレエ団の公演に足繁く通っていたとか、様々な逸話がある(笑)
エドワード・ゴーリーの作品は、今でも世界中に熱烈なファンがいて、カルト的な人気を誇っている。
上記の絵本を見ながら、ちょっと怖くて、美しくうら寂しい、寓話の中にある架空の街へ連れて行ってくれそうな、青葉市子さんのこちらの曲が聴きたくなった。
彼女の紡ぐ小宇宙と耳元で囁くような歌声、クラシックギターも唯一無二だ。
『いきのこり●ぼくら』
『機械仕掛乃宇宙』
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