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わたしの海

私は山に囲まれた片田舎で生まれ育ち、そこは海のない町だった。
子供の頃に海水浴へ行った事も片手で数えられる程で、だからずっと私にとって海は身近ではなかった。
上京してからは、鎌倉や江ノ島など湘南へは年に1回くらいは訪れていたと思う。行ったあと暫くは海の近くに住むのもいいなと夢想したが、日々の忙しない暮らしの中でそのうち忘れてしまい、結局、都心の便利な沿線にある駅からもそう遠くない住居に住み、そこそこ都会生活にも満足していた。

私が海の側で暮らすようになったのは、この国へ移住してからだ。
最初に住んだ中心部近くの地区からも海が見え、歩いて数分の所に港と屋内市場があり、午前中は魚や野菜を売る野外市場も立っていた。
次に住んだのが、その隣の地区にあるこの島だった。島と言っても短い運河橋で港のあるエリアと繋がっている。それでも上空から撮った航空写真を見ると、確かに周りを海に囲まれた島なのだった。
イメージでいうと、アニメ「魔女の宅急便」のモデルになったといわれるストックホルムのガムラスタンに地形がよく似ている。

島は元々は岬で18世紀までは確かに地続きだったが、二つの港を繋ぐ港湾都市計画のために分離され間に小さな運河が作られた。
島の入り口のエリアには19世紀末から20世紀初頭にアールヌーヴォー様式の美しい装飾が施されたアパートメント群が建築され、今では歴史的建造物となっている。そこには息子の同級生のように百年以上にも渡り代々住んでいる家族もいる。

同じエリアに赤煉瓦造りの19世紀に建てられた海兵隊の訓練所もあり、現在そこは息子も通った小学校になっている。一風変わった校舎は、かつて軍の武器保管庫や倉庫だった建物がそのまま教室として使われていて、玄関を入ったところにある吹き抜けの中央ロビーは機械作業所だったガラス屋根のホールになっている。
学校の隣の敷地にも同じような赤煉瓦の建物があり、極端に小さい窓には全て黒い鉄格子が嵌められている。そこは18世紀に建てられ80年代まで現役の刑務所だった。今は当時の外観や内部をそのまま残しリノベして元監獄が売りのホテルになっている。島流しと言うくらいだから島に罪人を隔離していたのだろうか。
そこから道を挟んだエリアに、1980年代に建てられた比較的新しいアパートメント群が海に臨むようにずらりと海岸沿いに建っている。息子が生まれそれまでの家が手狭になったので、私達はその中の一室を見に行った。部屋の窓やベランダからは二方面に海が見え、アパートメントから2、3分歩くと囲いも何もない剥き出しの岩場になって、そこで陸地は終わり海が広がっていた。

島は海沿いにぐるりと一周しても30分もかからないくらい小さい。公共の交通手段はトラム一本しかないが、フェリーターミナルがあり毎日出航しているので、ここからすぐに国外へ出発出来る。
どこにも繋がっていない島という閉鎖感と、外国へと続く海がすぐ目の前という開放感の両方を感じた。
なんとも独特で陸の孤島のような感じもするこの地区の雰囲気がすっかり気に入り、さっそく引越して来た。

この国の海は日本とはだいぶ異なっている。塩分量が少ないため、海風が吹いても日本のような塩気を含んだ湿り気はなく、潮の香りもない。いつも凪いでいる海面は静かで波もほとんどない。
当初はなんだか物足りない気もしたが、海岸を歩いても潮風で肌がベタついたりしないし、塩害の心配もないため車もサビないし建物も傷まないのは良い点だと思う。
サーフィンは出来ないが、ジェットスキーでぶっ飛ばしている人はいる。マリーナがあり、夏になるとそこから帆を上げたヨットやクルーザーが海の上を滑るように走り出してゆく。
島々を巡る観光船も航行しているし、SUPサップやカヌーを漕いでいる人もいる。夏の海上は賑やかだ。


私たちはこの夏、十数年暮らしたこの海辺の街から転居しなければならなくなった。
夫が勤務する会社は他国に本社があるが、ここから車か列車で2時間程行った街をこの国の拠点としており、転職した当時も引越しの話が出て家を探しに行ったのだが、息子の転校したくない! の一言で断念した。夫はどうしても出なければならない会議の時だけ朝5時起きで週2回くらい列車で通勤し、あとは在宅勤務していた。その後パンデミックが起きてからは完全リモートワークになり、2年半のうち一度しか出社していない。
しかし息子の中学進学を機にまた例の街への引越しの話が持ち上がった。
もしこれからまた出社する事になったら、もう体力的に片道2時間・往復4時間の通勤はキツいと夫から言われ、息子も中学で環境が変わるのもわるくないかも、と今回は反対しなかった。
こちらの学校の新学年は8月からなので、夏休みに入る6月に引っ越すのが良かろうということになった。


朝起きてカーテンを開けると、ぱあっと視界が拓ける。
日によって表情を変える海を眺める。
それだけで、もう他には何も要らないと思える。

言葉の壁を感じ孤独感に苛まれた朝も、夫と喧嘩して家を飛び出した夕暮れ時も、子供が自分の手に負えないと感じた夜も、傍らで海の気配を、存在を感じ、慰められてきた。
白夜で真夜中まで仄かに明るい海辺に野の花を摘みに行ったり、真冬に氷が張り地続きになった海の上を向こう岸の島まで散歩したり、たとえ外へ出なくとも部屋からは四季折々の海が見え、仕事机を置いている窓辺の片隅にはいつも海があった。
まさにこれまでの暮らしは海と共にあったのだ。

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これは、わたしの海だ。
ここから離れたくない。海から離れたくない。
神様、鎮守様(そういう神がこの国にもいるのなら)、どうか私をこの地に留まらせてください…!
自分でも驚くほどの、海への執着というか未練というか偏愛ぶりだ。


ーーそして、奇跡が起こった


禍い転じて福となす、と言うのか家族全員流行りの疫病にかかってしまい、1ヶ月近く家から出られなかったせいで、転居を予定していた街に家を探しに行けなかったのだ。
この国では6月から始まる夏休みが引っ越しラッシュのため、家を探すなら2月中旬〜4月初旬までがピーク。それ以降は物件がほとんど無くなり、いい条件の家はもう残っていないのだ。たまに新しい物件が出ても速攻で次々決まってゆく。
家を明け渡す時期は決まっているため、絶対にその日までに引っ越さなければならない。流石に夫も焦りはじめ近所の物件も見始めたところ、一軒だけまあまあの物件が出てすかさずそれを見に行った。
時間がなかったのと、私がこの国へ移住後はじめて住んだよく知っているエリアの家だったこともあり即決した。

どうやら私の願いは神に聞き届けられたようである。
新居はすぐ隣の地区なので、今まで住んでいたエリアへも海沿いに歩いて行けるし、他の島も近いので新たな散歩も楽しめそうだ。
他の街へ引っ越してもいいと言っていた息子も、幼稚園や小学校からずっと一緒だった友達とまた皆同じ中学へ進学出来ることになり、ほっとしているように見えた。

二度も引っ越そうとして越せない街もある一方で、離れられない街もあったり、土地にも縁というものがある気がする。


今週末、この国は夏至祭だ。
白夜の海岸を歩き、海沿いで真夜中に焚かれる篝火の燃え上がる炎を、対岸の島から今年も眺められることに感謝したい。


短くも美しい夏のはじまり
わたしの側には、いつもの海がある


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