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人生劇場〜街の片隅で

先日越して来たばかりの地区は、パン屋やチョコレート屋、小さなカフェやパブ、様々な国の家庭料理レストランなどが軒を連ね、適度に街の喧騒を感じさせるが、大通りから一歩入ると静かで、緩やかな坂を登ってゆくと石畳沿いに百年以上も前に建てられたクラシックなアパートメントが立ち並び、坂を登りきった一角に私たちの住居がある。
若かりし頃パリが好きだった夫に言わせると "モンマルトルみたいな" 古き良き下町風情のような雰囲気がある界隈だ。
私たちのアパートメントの目の前は車が入って来られない植え込みのある遊歩道で、窓から向かってちょうど真下辺りの木陰にベンチが一つ置かれている。

引っ越して来たその日の夕方に何気なく窓の外を見ると、犬を連れたお婆さんが一人ベンチに座って休んでいた。
夜寝る前にまたベンチに目をやると、今度は男性が二人で缶ビール片手に笑っている姿が見えた。
その日から何度となくベンチを見る度に、赤ちゃんを連れた母親、お昼時にサンドウィッチを食べている女性、音楽に合わせ体を揺らしているヘッドフォンを付けた若者、スケボーを抱えた少年、顔に新聞紙を載せ寝そべり昼寝をする中年男性など、その時々で実に様々な年代・性別の人がベンチにやって来ることに気づいた。
ベンチから数歩行くと遊歩道は行き止まりになり、右側にある石段を降り下の道に出て海の方角へ抜けると、運河を渡る橋に出る。
こんな路地裏にある地元民さえ見過ごすようなベンチに、どうして次から次へと人が来て座るのかちょっと不思議な気がするけれど、そこは憩いの場あるいは隠れ家的な場所であるようだ。
座っている人々は上を見上げたりしないので、見ていても今のところ一度も気づかれたことはない。皆リラックスした様子で座っているのが伺える。
べつに覗き見の趣味があるわけじゃないけれど、我が家の窓から見える絶妙な位置にベンチがあるため、ついつい今日はどんな人が座っているかと日課のように何となく確認するようになった。

ある日、50〜60代くらいの初老の男性がベンチに座っていた。
眉間に深い皺が刻まれた男性は暗い表情でじっとして、同じ姿勢でうな垂れたまま微動だにしない。数十分後またベンチに目をやると男性の姿は消えていた。

それから数時間後のベンチには、まだ10代に見えるカップルが座り、女の子が男の子の肩に頭を持たせかけたり、互いの腕を絡ませ抱き合ったりキスを交わしていた。

またある日は、40代くらいの女性が座っていた。
よく見ると泣いているようで、目からとめどなく溢れてくる涙を子供みたいに手で拭っている。だ、大丈夫か?と見ていると、誰かに電話をかけ始めた。
さすがに盗み聞きするのも…と思い席を外したが、恋人あるいは夫に別れ話でもしていたのだろうか…とか、いろいろ想像してしまう。

またある日は、小さな子供が駄々をこねている声が聞こえて来た。
両親は何とかなだめようと母が子供を膝に乗せベンチに座り、父が子供へ悟すように話しかけるも、子供はますます大声で泣き叫ぶ。
困り顔の父母と泣き止まない子供の姿に、息子が小さかった頃を重ねて見ていた。

毎日ほんの数分間だけ上演される人生劇場は、たった一人の観客である私へ様々な感情を呼び覚まし、余韻を残すのだった。




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