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デザイナーと創作ビジョン

 本編⑯では、アーティストにとって必須とされる創作ビジョンの構築は、ほとんどのデザイナーにとってはあまり必要のないものである可能性について述べた。しかし、ここで「ほとんどの」と但し書きを付けたのは、例外が存在する可能性があるからである。特に作家性の強い一部のスターデザイナーには、そのような傾向が見て取れる。

  例えば、ルイジ・コラーニ(Colani, L.)氏やシド・ミード(Mead, S.)氏などのスター級の工業デザイナーは独自の強い作風を持っており、創作ビジョンのような中核テーマを有している可能性がある。コラーニ氏は「宇宙には直線がない」をテーマに、曲線と曲面だけでできたデザインを量産し[注1]、ミード氏は「visual futurist」をテーマに、未来的なコンセプトアートやデザインを数多く手掛けてきた[注2]

 また、以下の記述からは、スターデザイナーに限らずとも、フリーランスデザイナーの一部には、創作ビジョンと似たような中核的なテーマを持つ人がいることが窺われる[注3]。事務機器メーカーのイトーキの元・インハウスデザイナーで、現在フリーランスの秋山かおり氏は、以下に示すように、自分にしかない強い視点や発想を持つことの重要性を述べている。

「(コンペの)経験を重ねる中で自分が追い求めたいことが見えてきて、フリーランスになり(中略)ひたすら手を動かし、協力工場などに足しげく通い、失敗作も多々抱える中、ようやくピントが合った提案ができるようになってきた」

「(ただ)コンペだけを目指してモノづくりをすると、どうしても付け焼刃のようになってしまうんですよね。それよりも、自分がライフワークのように行ってきたアウトプットが合うコンペを見つけて、自分にしかない強い視点や発想をコンペのテーマにチューニングさせて提案するぐらいの意気込みで取り組む必要があります」

「苦い体験が、次の挑戦につながることもある。(中略)コンペは作品を通して人を見ているということなんです。(中略)作品からにじみ出てくるもので、審査員はそれを感じるんですね。(中略)今という時代にアンテナを張って、自分に何ができるのか、普段の生活から意識して考えていることがやっぱり大事。急がば回れと言うけれど、日々積み重ねていくことが、結局は近道になるんだと思います」


 さらには、ファッションデザイナーや建築家であれば、工業デザイナーよりも相対的に創作ビジョンの必要性は高いのかもしれない。実際に、著名なファッションデザイナーや建築家は自身の代名詞とも言えるようなテーマ性を持っていることが多いからである。例えば、ファッションデザイナーの三宅一生氏は、1973年以降の作品はすべて「一枚の布」がキーコンセプトになっている[注4]。また、建築家のフランク・ゲーリー(Gehry, F. O.) 氏による建築物はいずれも、非線形的で、ゆがみやアンバランスな要素が取り込まれた脱構築主義(DE constructivism)がベースとなっている[注5]

 さらに、既存のデザイン研究からも、一部の建築家はアーティストと同様に創作ビジョンを有している可能性があることが窺える。McDonnell(2011)によると、熟達した建築家は新たなプロジェクトに取り組む際、任意の視点からではなく、これまでの経験を通じて構築された支配的な視点からアプローチするとされている。つまり、ある種の偏った創造性を持つとされているのである。そして、そのようなアプローチは、創作ビジョンを有するアーティストのそれと似ている。彼らも一つの作品を作るたびに、新たな表現や技術をとりいれるのではなく、前後関係を踏まえて、前作の一部の要素を次回作に引き継ごうとする。一つの作品を作るたびに、新たな表現や技術をとりいれるとコストがかかり、実行が困難になるからである(横地,2020)。

 McDonnell(2011)では、Rowe(1987)の「構成原理(organizing principle)」やTonkinwise (2011)の「実践の基盤としてのスタイル(style as the ground of a practice)」などの概念を用いて、そのことを理論的に説明しようと試みている。

 まず、Rowe(1987)が構成原理と呼ぶものは、建築家が複雑な状況の中からデザインの秩序を見出そうとする際に用いられる原理のことであり、それは個々のプロジェクトを超えた時間軸で顕在化し、追求されるものとされている。そして、それは、やがて「実践の基盤としてのスタイル」(Tonkinwise, 2011)へと昇華していく。Rowe(1987)によると、構成原理には様々なパターンがあり、どの原理を選択するかによってその人のスタイルが決まるとされている。なお、ここでいうスタイルとは、建築物が持つ特徴のことではなく、建築家自身のアイデンティティに近いものである。

 一方、Tonkinwise(2011)は、Spinosa, Flores and Dreyfus(1999)を引用して、スタイルを「実践と一体となって進化し、その基盤となるもの」として捉えようとしている。つまり、彼のいうスタイルとは、いくつものプロジェクトに携わる中で構築され、一定期間の経過後、再び脱構築されるような性格を持つものである。また、一旦構築されたスタイルは、テーマや審美性などの形で、行為者に一定のモノの見方や視点を提供する。そのため、スタイルを有する熟達者は、これまで遭遇したことがない状況に直面しても、それまでの経験を通じて獲得した特定の視点からアプローチすることで、それを馴染みのあるものとして捉え直してしまう。ただし、そのような支配的な視点も恒久的に固定されているわけではなく、時間が経つにつれ、経験を重ねるにつれ再び進化していく。


[注1] 『三原昌平のデザイン全解説』「ルイジ・コラーニ」

[注2] 『SAPIEBNS TODAY』「近未来を描き続けたシド・ミード氏が逝去」

[注3] 『登竜門』「日々の積み重ねが気配となって作品からにじみ出てくる」。なお、カッコ内は前後の文脈に合わせて筆者が補充した。

[注4] 『artscape』「一枚の布 三宅一生」

[注5] 『10+1 website』「特集 フランク・ゲーリーを再考する ポスト・モダン? ポスト・ポスト・モダン?」



●参考文献
McDonnell, J. (2011),“Impositions of order: A comparison between design and
 fine art practices.” Design Studies, Vol.32, No.6, pp.557-572.
Rowe, P. (1987), Design Thinking, MIT Press. (奥山健二訳『デザインの思
   考過程』鹿島出版会、1990)。
Tonkinwise, C. (2011), “A Taste for Practices: Unrepressing Style in Design 
   Thinking.” Design Studies, Vol.32, No.6, pp.533-45.
Spinosa, C., F. Flores and H. Dreyfus. (1999), Disclosing new worlds:
   Entrepreneurship, democratic action and the cultivation of solidarity.
    MIT Press.
横地早和子(2020)『創造するエキスパートたち:アーティストと創作ビジョ
   ン』共立出版。

●参考ウェブサイト
『artscape』「一枚の布 三宅一生」(https://artscape.jp/artword/index.php/)   2022年2月3日閲覧。
『三原昌平のデザイン全解説』「ルイジ・コラーニ」
  (http://www.design.jp/kaisetsuBUN/Colani.html)  2022年2月4日閲覧。『SAPIEBNS TODAY』「近未来を描き続けたシド・ミード氏が逝去」 
  (https://www.sapienstoday.com/movie/N21398/)  2022年2月3日閲覧。『10+1 website』「特集 フランク・ゲーリーを再考する ポスト・モダ 
 ン? ポスト・ポスト・モダン?」
 (https://www.10plus1.jp/monthly/2015/11/issue-03.php) 
 2022年2月3日閲覧。
『登竜門』「日々の積み重ねが気配となって作品からにじみ出てくる」2021 
 年11月5日(https://compe.japandesign.ne.jp/special/2021/11/60846/?
 
utm_source=dw&utm_medium=email) 2022年2月1日閲覧。


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