見出し画像

ハートランド

 瓶ビールをのんだ。飲み口になんとなく薬指を突っ込んだ。
 抜けなくなった。
 第二関節が入ったときから嫌な予感はしていたのだ。

 もうこれはそんじょそこらのやり方ではとうてい抜けっこないというのは分かっていた。
 自分の身体のことだ。分かる。

 金づちで破壊する。それが最初で最後の解決策だ。

「あのう」

 声が聞こえた。
 すぐ近く。
 小さな声だがはっきりと。

「あのう」

 間違いない。声は私の頭の中から聞こえてきた。

「割らないで」

「だ、だれ?」

 私は尋ねる。

「そそれは、僕との結婚の証」

「え、結婚、誰と?」

「僕と」

 男が返す。
 私は黙る。

「く、薬指」

 と男が片言で言う。

 瓶のことを言っているのか。

「そう。瓶。瓶という名の結婚指輪」

 こころを読まれた!?

「そう。心」

 私は素早く押入れを開け、金づちを取り出す。男がこれ以上何か言う間に瓶を砕いてしまった。
 男は何か言っていが、相手にしなかった。
 それっきり声は聞こえてこなかった。


 その二日後、私は恋人にプロポーズされた。
 彼は木魚叩きのプロで、もちろんお坊さんだった。

 彼が木魚を叩くと、誰しもがそのリズムで踊り出したり、首を動かしたりしてリズムを刻んでしまう。

 私の家のお墓を管理しているのが彼だった。
 彼が初めて葬式でお経を読んだとき、それにつられて踊った中に私もいた。

 それでお互い一目ぼれしたのだ。


 もちろんプロポーズの返事はオーケーだ。

 その夜、私たちは彼のお寺でビールを飲んだ。
 もちろん瓶ビールだ。

 でも二人で乾杯して一気に杯をあけたとき、再び声が聞こえた。

「きき君はうまそうに飲むね」

 声の主は目の前の彼ではない。
 私は無視して二杯目を注ぐ。


 さて、どうしよう。ここはお寺で、私の伴侶はお坊さんだ。
 除霊してもらえないかしら。

 なんて、思いながらコップに注ごうとすると、恋人の彼の手がそれを止める。
 私の瓶を取って、コップに注いでくれた。

 なんでこんなことをしたのかはわからない。
 でもそれは口に入れる前から、狂おしいほどおいしいという予感があった。

 飲んでみる。

 言葉を失う。

 衝撃的だ。
 頭に稲妻が走るほどのキレ。
 その雷で焼け焦げた地面から、あれよあれよと草木や花が生えてくるような、馥郁たる大地の香りとコク!!


 なんだ、これは。
 木魚以外に彼にこんな才能がまだあったなんて!!


「どう、美味しいでしょ」

 彼の声を聞いて、私はふたたび言葉を失った。
 彼の声ではない。
 さっきまで私の頭の中から聞こえてきた男のものだった。


「僕と結婚すると、君は毎日こんなうまいビールが飲めるよ」


 私の彼を返せ。

 そう言おうとした。
 でも、確かに私の中に、このビールに心を鷲掴みにされた私がすでに存在していた。

 向こうは心を読めるのだ。
 その証拠にもう余計なことは何一つ言ってはこない。

 まずい。
 
「‥‥」


 私たちはしばらく見つめ合った。

 彼はおもむろに新たらしいビールの瓶を開ける。

 ポンと音がした瞬間、さわやかな香りが私の鼻を抜けていく。
 男は瓶を私に向ける。

 私はコップを持って、彼のビールを受けていた。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?