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ずんだ

 サドンデス戦に突入した午後からの試合は、例年通り足ジャンケンで行われるはずだった。でも何故か会場にはオムライスが並べられることになった。

 長机に横一列に八つのオムライスが湯気を立てている。
 この中に一つだけ中にワサビが入っているものがある。

 それを全部食べた者が優勝ということだ。

 よく分からない。

 ワサビが入っていなかった時点で、残りの選手たちは負けということか?
 それに、運よくワサビ入りを当てた人が残したらどうなるのだろう?

 みんなも同じ顔をしている。


 運営側の説明によると、八つのオムライスは、各選手一人ずつ食べることになっている。
 一度箸をつけた皿は完食しなければ次へ行けない。
 その何皿目かでワサビ入りを引き当てる。 
 そこから全部食べられるかどうかが勝負になる。

「全部食べた人が複数いたらどうなるのです?」

 隣の山梨代表が手を上げる。
 もっともな質問である。

「歌を歌ってもらいます」

 選手たちはざわめく。

「その歌が審査員たちの心に一番響いた者が勝者となります」

 運営者たちは、これでなんの勝者を決めようとしているのだろう。

 しかし説明はもうないらしい。
 僕らはグズグズと周りの出方をうかがっていた。

 でもそんなとき、田中県代表(そういう県をつくりたいと望んでいる)がさっとオムライスの列の前に飛び出していく。

 審判員のホイッスルが鳴る。

 あれほどざわついていたスタジアムが一瞬で静まり返る。

 その後で響いてきたのは、スプーンが皿に当たる音と、彼がむせたり我慢して唸ったりする生活音だ。

 なんだろう。早くもワサビを当てたのか?


 食べる彼の背後からそっと皿を見ると、茶色のデミグラスソースの中に、絵の具みたいに黄色い液体が混ざってある。
 口元をぬぐった彼の手の甲もまっ黄色だ。

 カラシ、あるいはマスタードか。


 結局彼は三口で食べるのを放棄し、田中県の県歌を歌って帰って行った。

 正直、これがワサビ完食後の歌対決だったら、勝っていたのは彼だったと思う。
 そう思えるほどの素晴らしい歌声だった。

 その後も、選手たちはどんどん八つのオムライスに挑んでいった。
 その全員がワサビを引き当てるまでもなく、一口か長くても三口目で棄権した。そしてみんな思い思いの歌を歌って帰って行く。

 最後は僕だ。
 でもそのときには、この試合に勝つことより、負けた後、大勢の前で歌を歌うことにうろたえていた。


 そもそも歌なんて別に歌わなくたっていいのだ。そんなルールどこにも書かれてない。

 でも、みんなちゃんと歌った。堂々としたものだった。
 僕だけ放棄して去って行くなんて、ちょっとこの空気では難しい。
 スポンサーだっている。何人もの人が動画に上げたりもするだろう。


 さらに僕はオオトリである。

 だいたい何を歌えばいい?

 それ相応の意味や重みのあるものでなければならない気がする。


 なんて思いながら、僕はオムライスを半分まで食べた。
 僕が食べている具は『ずんだ』だ。
 これなら次の皿に行ける。
 なんて思ってもう一口。

 会場が湧く。大海がうねるような歓声だ。


 なんで?
 誰か有名人でも来ているのか?

 思いながらもう一口。


 うおおおおおおお!!


 先ほどよりさらに大きい声。

 それでなんとなく気づいた。
 僕が食べているずんだオムライスの断面は、緑色だ。
 観衆は僕がワサビを頬張っていると思い込んでいるのだ。

 どうすればいい?
 これ、ワサビを食べていることにして、もう限界ってことで棄権しようか?

 いや、すると歌を歌うことになる。

 倒れようか?
 いや、カメラで見られているのだ。下手な演技をすればすぐ見破られる。それで八百長なんかを疑われたら、今後どうなるか分からない。


 結局僕は考えるのをやめた。
 スプーンが動くほど、歓声はいやおうなしに高まって行く。
 声援が会場を埋め尽くす。

 そして僕はずんだオムライスを平らげる。

 よし次の皿だ!

 審査員が僕の手をとり、上げる。

「優勝!!!」

「え?」

 何か言おうとしたが、スタジアムの歓声は地響きを起こすほどで、もはや何も意味ある言葉は聞こえてこない。

 僕に分かっているのは、ずんだを食べた僕が優勝したことと、歌を歌わなくていいということだ。


 表彰式のあと、審判にあいさつにいくとき、それとなく聞いてみた。

「僕が食べたの、ずんだですよね」

 すると彼は何を言っているんだと言う顔をして僕を見た。

「ずんだですよね」

「ずんだってなに?」

 しびれを切らしたかのように彼はそう聞き返す。

「あのオムライスの中には、そんなもの入ってないよ」



 僕が食べたのは何なのか、結局は分からなかった。

 僕は優勝し、賞金で家と山を買い毎日スノボをして暮らしている。
 山頂にある僕の家は、ワサビ御殿と言われ、郵便の住所にそう書くだけで、届くようにもなった。

「ずんだ御殿」

 でもたまに、風の中で小さな虫とすれ違うみたいにそんな声が聞こえてきた。
 気のせいだろう。
 でも次第に気になってきた。

 最初はそれでも良かった。

 でも今の僕はこの環境や、チャンピオンとしての境遇に慣れすぎた。

 あれが本当はずんだだという事実が明るみになったとしたら。

 もちろん真相は分からない。でも映像は残っているだろう。疑惑がいくつかあったっておかしくない。
 怖くて検索もできないけれど。


 僕は山の中腹にワサビ畑を作った。

 ワサビ御殿のワサビ。
 なんて縁起がいいんだろうと人々が言っている。


 でもそのワサビは、ほとんど成長しなかった。

 代わりといってはなんだけど、ワサビ畑に行く道の途中で、野生の枝豆がたくさん成長していた。

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