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LE SSERAFIM、宮脇咲良の逸話を集めてみた

私には大好きなアイドルがいる。その人のことは「かわいい」「応援したい」というよりも「尊敬」している。

その人、宮脇咲良。

2011年にHKT48の一期生としてデビューした後、2018年に日韓合同のアイドルオーディション番組『PRODUCE 48』に挑戦。見事2位を獲得して2年半の期間限定グループ・IZ*ONEとして世界中で活躍する。そして、今年の5月にLE SSERAFIMとして3度目のデビューを果たした。

このLE SSERAFIMは、次々に度肝を抜く数字を打ち立てている。

デビューミニアルバム『FEARLESS』の表題曲のPVは、こちらです。お納めください。

正直、ティザーが出たとき、世界観がよく分からなくて、戸惑った。ごめんなさい。めちゃくちゃ聞いたので、今は大好き。

13カ国でチャート1位なんだって。グローバルスターじゃん。

地上波の音楽番組『ミュージックバンク』で1位。私のK-POPの先生、まゆ様(職場の後輩)いわく、超ド級にすごいことらしい。

LE SSERAFIM の公式Twitterより。https://twitter.com/le_sserafim/status/1525062758022393856

そんな咲良さま。成長意欲がすごいって話を、友人とやっているPodcastでもおしゃべりした。

でもでも。この回では、話せていないことが、まだまだあるのです。日本のアイドル界を極めた地位をなげうって、K-POPで世界に挑戦した話はちらっと上の配信でもした。言いたいことは、他にもたっくさんあるが、彼女の人気の理由が伝わりそうな逸話をピックアップしてみた。

本記事の見出し画像:株式会社HYBE JAPANのプレスリリースより

1:努力のひと

HKT48としてデビューした後、お披露目のセンターには別のメンバーが選ばれていたし、そこまで知名度があると言えなかった彼女が注目されるきっかけ(私が認識したきっかけでもある気がする)は、2012年3月。

初めて被災地での復興支援ライブに出演した咲良たんが、その後、Google+(通称、ぐぐたす)に記事を投稿した。

残念ながらサービスが終了してしまったので、リンクは貼れないのだが……当時14歳とは思えない、心にせまる文章だった。

2012年3月28日に投稿された内容は、多くの読者の心をつかんだ。東日本大震災の被災地を訪問した際、津波で亡くなったAKB48のファンの男性にお線香をあげたこと、その母親が息子の思い出を笑顔で語ってくれたこと。そして津波の被害があった場所へ足を運び、そこで見た意外な光景。そこには宮脇の素直な感情が綴られていた。

AKB48グループ、坂道シリーズの未来にも影響? 時代と共に変化する、女性アイドルによるSNSとの付き合い方」Real Soundより

秋元康先生も彼女の投稿に触れて、一気にグループファンに知られることになったと記憶している。感受性が高く、かつ、それをきちんと言語化できる頭の良さがある人。

SNSの投稿も欠かさず、ファンになにが求められているかを察してやりきる。その先に、AKBグループ全体でのシングルセンターをはじめトップクラスの人気をほこるようになったサクセスストーリーがある。這い上がってきた根性のひとなのだ。

AKBデビュー10周年で卒業メンバーも勢揃いした、夢のようなシングルでセンターを務める咲良さまはこちらです。

そして、そのポジションを捨てて、IZ*ONEで世界デビューへ。

漫画の主人公じゃん。

2:ファンを大切にしすぎる

1とも関連するけど、とにかくファンを大事にする。アイドルだから当たり前だろ!と思うかもしれないけど、頭の良さもあいまって、異次元のレベルに達している気がする。

ラジオでも「ファンのTwitterをチェックしている」「アカウント名でわかる」とよく話していた。すさまじい数のファンがいるだろうに。実際、握手会レポでもどれだけの人数を覚えているんだよってくらい、認知されているエピソードがたくさん上がってくる。

有名なエピソードに、結婚したファンをコンサート中に見つけて指輪ポーズでお祝いした。というものがございます。この話、好きすぎる。

わたしのラジオ視聴メモにも、鉄板の神エピソードあった。

3:とにかく性格がいい

看板ラジオ『今夜、咲良の木の下で』のトークをはじめ、ステージを降りたところでは、ただの面白いお姉さん、咲良。ゲームオタクで、ひたすら引きこもりなのは、よく知られているところ。

そんなオンオフのギャップもたまらんのだが、アイドルとして培った経験を惜しみなく仲間に提供するところも好き。アイドル初心者のメンバーにプロとしての振る舞いをデビューのたびにレクチャーしているのだ。

IZ*ONE時代は、その姿から「宮脇プロ」と呼ばれていた。いや「プロ」はHKTの頃も言われてたな。ずっとプロじゃん。

2019年5月に武道館で行われた、IZ*ONE初のペンミ。わたしももちろん参戦したけど、全然いい写真がなかったw 数々の宮脇プロ伝説が生まれた場所。

武道館でプロの仕事ぶりを目の当たりにした、みなさんのざわめき。

こんなプロの姿勢を褒められても「先輩たちを見て学んだことをやっているだけ」「私よりも、これまで語り継がれてきた48グループのすごさ」とラジオで語るくらい謙虚。

宮脇プロの姿勢は、3度目のデビューとなる今回も変わっていません。咲良のチッケム(推しカメラ)が捉えた、パフォーマンス前から誰よりもステージを盛り上げようとして、真っ先にスタッフのみなさんに挨拶する様子はこちらです。

先日放送された『THE SHOW』での様子も話題に。下の動画の2:20頃から必見です。

1位を獲得して、さぁ歌おうというときに右端へハケていく咲良さま。一体、どこへ?(https://youtu.be/3jJxrEiypnQ より)
ステージ裏で受け取ったであろう動物のカチューシャを手に戻ってきた。それをスタッフのようにメンバーへ配布していく(https://youtu.be/3jJxrEiypnQ より)
自分のパートになったら、何食わぬ顔、というか満面のアイドルスマイルを決めた咲良プロ(https://youtu.be/3jJxrEiypnQ より)

HKT48を卒業するときも、現役メンバーに「自分のための衣装」を着てもらいたいと直談判した話がすき。

今回衣装は咲良本人から「私はHKTを卒業する時はしのぶさん、オサレさんの手掛ける衣装で卒業したいと思っているし、メンバーみんなに自信をつけて貰える衣装を作って貰いたいんです。私もあの衣装が着たいからと選抜に入りたいと頑張れました。初めて自分の名前が入った衣装を手にした時は本当に本当に嬉しくて、今の若いメンバー達にもその喜びを感じて、それを着てステージに立って自信をつけて欲しいんです。それが私に出来る最後の事なんで衣装お願い出来ませんか?」と依頼を受けました。本当、最後まで仲間思い

「宮脇咲良卒業コンサート」茅野しのぶさんnoteより


まだまだエピソードは尽きないのですが。美しい咲良さまの姿で、終了です。ありがとうございました。みんなで推していきまっしょい!


追伸

48グループについては、こんな記事も書いています。


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