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あの子の日記 「人魚とアネモネ」

春、なにもない日、10時50分。
嵐のような風が窓ガラスをたたいている。外はすっかり明るくて、画用紙の水色のような空がまぶしい。薄ぺらい布団を足もとに巻きつけ、人魚の気分で「てっちゃん、てっちゃん」と呼んでみる。ガラスの向こう、洗濯物のすき間でタオルを干している彼は振り向かない。

春、なにもない日、15時27分。
今年もアネモネがきれいに咲いた。赤とピンクとむらさきと、白がすこし。二重にかさなった花びらをおおきく広げ、鮮やかな色を太陽に向けている。好みの花びらの色をてっちゃんに問うてみると、赤一択だと即答した。
「花言葉とか気にならねえ?おれはちゃっかり調べる派だな。まあ調べてみるかはお任せするけど。あと、ちいちゃん、この花びら本当は花びらじゃないんだってさ」

春、なにもない日、22時14分。
ミントジュレップを飲み干して、未来の話を延々とつづける。そろそろ結婚を考えたいとか、子どもはしばらくしてからでいいのではないかとか、その前に、もう少し広い部屋に引っ越すべきだとか。おかわりを喉の奥へ流しこみ、つまみを頬張る。濃厚なクリームチーズを舌で転がして、てっちゃんの舌のうごきを思い出す。



あの子の日記「湯気」の続編です。

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