見出し画像

読書記録38 ディストピア小説は予言書なのか

こんにちは、だるまです。2022年が2週間たったところで、ようやくまとめが終わりました。

新年初読書『華氏451度』

新年1冊目読了は『華氏451度』レイ・ブラットベリでした。

2022年初めに読んで、名著はやはり名著だと実感しました。

あらすじ

物語の舞台は、2XXX年のディストピア世界。本が禁止され、焚書を行う「昇火士(fire man)」のモンターグが主人公です。
隣に住む少女から「今、幸福?」と聞かれたことが引き金となり、世界に対して疑問を持ち始め、狂い、そして、、、

というような内容です。『1984年』のテレスクリーンに似た「壁」が登場し、雰囲気もどこか似ています。

5つの名言

物語の本筋も面白いのですが、何より名言のオンパレード。
付箋を貼っていったら大量にぴょんぴょんすることになりました。

早速紹介します。どういう場面かは割愛します。

「民衆により多くのスポーツを。団体精神を育み、面白さを追求しよう。そうすれば人間、ものを考える必要はなくなる。(中略)
本にはもっとマンガを入れろ、もっと写真をはさめ。心が呼吸する量はどんどん減る。せっかち族が増えてくる。ハイウェイはどこもかしこも車でいっぱい、みんなあっちやこっちやどこかをめざし、結局どこへも行き着かない。」
p.96

これは、ディストピアあるいは現実?と思いました。「どこかをめざし、どこへも行き着かない」は名言すぎます。

「”事実”をぎっしり詰め込んでやれ。ただし国民が、自分はなんと輝かしい情報収集能力を持っていることか、と感じるような事実を詰め込むんだ。そうしておけば、みんな、自分の頭で考えているような気になる。(中略)
哲学だの社会学だの、物事を関連づけて考えるような、つかみどころのないものは与えてはならない。そんなものを齧ったら、待っているのは憂鬱だ。」
p.103

哲学だの社会学だのに片足を突っ込んだら、待ち受けるのは絶望か。

「本はわれわれがいかに間の抜けた愚か者であるか、気づかせてくれるものだよ。」
p.144

授業を聞かずにこれを書いているだるまは間の抜けた愚か者です。

「われわれは、そう走りまわってばからはいられないし、あらゆる人間と話ができるわけでもなければ、世界じゅうの都市のことを知っているわけでもない。時間もなければ金もないし、そう多くの友人がいるわけでもないのだからして。(中略)しかし、ふつうの人間がさがしものの九十九パーセントを見いだすのは本のなかだ。」
p.144

命短し本読め乙女。

《ものの喩えを証と見あやまり、とめどない饒舌を偉大な真理と履きちがえ、おのれのことばを神託と思い込む愚かさはわれわれに生得のものである》とかつてヴァレリーはいった」
p.181

ポール・ヴァレリー『レオナルド・ダ・ヴィンチの方法』より。
ぐさぐさ刺さりすぎて、座右の銘にしたいくらいです。

おわりに

読んでしばらくたってから、しみじみと感想を書くのもいいものでした。

ディストピア小説が好きなのは、発刊当時ディストピアと思われていたものが、この世界で現実になっていたりして、ぞくぞくするからだと思います。

小説は、「この先世界はどうなっていくんだろうな、まあ死ぬんだろうな」と漠然とした将来を憂う気持ちと、「何はともあれ目の前の発表資料を完成させなければ」という現実とのギャップを生み出します。

現実に引き戻されたときの快感がたまらなくて、本を読み続けているのかもしれません。いや、ただの気晴らしかもしれません。

とにかく読んでよかったです。

かしこ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?