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読書記録44『正欲』朝井リョウ-理解者ぶるのやめようと思った-

こんにちは、だるまです。読書記録を書くか2週間ほど迷った一冊を紹介します。

『正欲』朝井リョウ

今のところ1番面白かったです。(本屋大賞発表まで1か月を切り、あと5冊です。頑張る…!)

朝井リョウは苦手だと思っていた

『桐島、部活やめるってよ』を中学生か高校生くらいに読み、『何者』を高校生の時に読み、ちょっと距離を置いていた作家でした。

別に嫌いではないのだけれど、社会に対する感情が何にも包まれず発露している気がして、青くて若くて、「はいはい、そういう穿った見方してるんですね、わかりましたよ」と喉元が苦しくなる感じがしていたのです。

もしかしたら同族嫌悪なのかもしれない。

今作も読みはじめて「ああ、また苦しい」と思ったのですが、ページを繰る手は止まりません。そしていつの間にか苦しさを忘れ最後のページでした。

つまり、面白かったです。

広い心で受け止める?

具体的な内容はほかの方のnoteやAmazonなどで読めるので割愛します。「何でもノート」に書いた感想を写します。


理解者ぶるのやめよう、と思った。
拒絶しないって何だ、側にいてあげるって何だ。
受け入れてあげるって何だ。
人を支えている慈善活動のつもりなのか?
その人にとってのファクターの1つでしかないのに、理解者のつもりになって驕るな。


今読むとなかなか過激ですね。

どんな状況でも優しく、偏見無く受け止めるというのは、完全なる善ではないということを学びました。

本書から少し引用します。

心を開いて、自分を受け入れようとしてくる人間が、ずっと怖い。
そういう人に出会うと、先に謝ってしまいたくなる。
この身体の中にはあなたが想像もしないようなものが詰まっていますと、先に宣言してしまいたくなる。
(略)
優しい人はいつだって、どんなあなたでも受け入れるよという顔をしている。(中略)その居心地の良さに、居心地が悪くなる。いつしか、幸福より不幸のほうが居心地が良くなってしまった。
『正欲』p.228

「考えすぎだよ!」と突っ込まれそうですが、本気でそう思うこともあります。

一人の人間は、それ相応の「秘密」を抱えていて、いかにSNSが発達して24時間繋がったって、繋がったからこそ尚更言えないことがあって、それはそれで秘匿したままが粋だろうと思います。

読む前には戻れない

本屋さんで見かけた帯に、「読む前の自分には戻れない」とありました。
穿った見方をするだるま、「読む前と後で違う自分になっているという意味ではどんな本でもそうだろう」と読み始めました。

読了後、確かにその通りだなと思いました。

読んで、「マイノリティ」について考えたり、「自分もそうかもしれない」と思ったり、「理解」を示しだしたり、そういうこと全部朝井リョウは嫌いそうです。

だから、だるまもこの本を「わかった」とは言えないです。この本に書かれている欲を「理解」できたとも言えません。

でも、読んでよかったです。

かしこ

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