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読書記録46 『四畳半神話大系』森見登美彦

こんにちは、だるまです。
今日の夜中から『四畳半神話大系』のアニメ再放送がはじまります。最近再読したので感想をつらつら。

※タイトルの変換ミスしていましたごめんなさい。

毒されて5年あまり

あまり感想ではない文章。


森見登美彦に毒されている。おかしい。こんなはずではなかった。

森見登美彦に出逢わなければ、インスタグラムで流行を追い、顔を整え、健全な友愛と共にキラキラの大学生活を我が物にしていたかもしれない。

森見登美彦に出逢わなければ、京都旅行を聖地巡礼に費やすこともなく、健気に黒髪の乙女を目指すこともなく、お布団に包まって夜な夜な本を読んではニヤニヤすることもなかったはずだ。

何でもノートに「死後50年何人も開けるべからず」と思われる唾棄すべき妄語を書き連ね、木材パルプを無駄遣いし、挙げ句の果てによく顔を合わせる人に手紙を送りつけている。

どこかの本に「物書きはモテない」と男性目線で書かれていたが、男性だろうと女性だろうと変わりない。男女平等である。そして何事にも例外があるのだから一緒くたに論じてはならない。何に訴えているのかよく分からない。
とにかくちゃんちゃらおかしい。私の薔薇色のキャンパスライフはいずこに。


森見登美彦的文章はなかなか難しいものです。精進精進。

書いてみて気づいたのですが、四畳半の「私」も森見登美彦もその生活を否定するどころか愛してやまないのでしょう。

人間、簡単に自分を否定することはできません。

教訓を求めるな

自分は孤独に耐えうる人間であると思っていた。浅はかだった。わたしは孤独ではなかったのだ。
孤独の大海の波打ち際で、つま先だけをぴちょんと濡らしてみせ、「まったく俺って孤独だぜ」と嘯くおませな赤ん坊だった。
俺は孤独に耐え得ない。
『四畳半神話大系』p.363,364

森見登美彦の本に教訓めいたものを求めてはいけませんが、この一節は読み返して身に染みました。

無限に続く四畳半から出られない本当の孤独を体験したことで、「私」の以前の生活は「ちょっぴり孤独」とは言え小津の悪ふざけに付き合い明石さんとお喋りし、幸せだったことに気がつくのです。

今日お散歩していたらこんな文章がお寺に貼られていました。

「人間、本当に必要なものは少ないと知ること」

まさにそうだなあ、四畳半であるなあと思いました。

アニメの怒涛のセリフに耐えられるか分かりませんが楽しみです。

かしこ

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