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愛があるひと

ここ半年くらい、仕事しているときや、休んでいるとき。
ふとしたときに、思うことがありました。

「このひとと働いているとたのしい」

働く時間が1日の大半を占めるし、要領もよくないし、考えているほうが好きだし、ということで、起きている間はだいたい仕事について考えていました。
でも、仕事ってよりはひと。

ひとについて考えていた。

どうしてこのひととは働いていてたのしいんだろう。
逆に、どうしてこの人と働いていると疲弊するんだろう。

相性もあるはず。
性格とか価値観とか、そういうわかりやすい部分もあるはず。
でも、きっと、そうじゃない。もっと根本的に、何かが違う。

ずっとぼやぼやしてたけど、性格とか価値観とかで片付けられました。
でも、ずっと、引っかかっていた。

それが、ようやく解けた気がします。

愛があるひとかどうか

それだけです。

別にわたしと同じ対象の「もの」や「ひと」や「こと」に愛がなくてもいい。
相思相愛になりたいわけでも、共通点に愛を感じているわけではない。

何かを愛でていて、愛のある姿勢で向き合っている。
その姿を感じられるひとと、わたしは働きたい。
わたしの時間を注ぎたい。

やろうと思えば、こなせることだってある。
こなさなきゃいけないことだってある。
でも、やっぱり愛がないと疲弊する。

そんなに甘い世の中じゃないかもしれない。
わたしが思っているよりずっとしんどいかもしれない。
でも、やっぱり愛がないと疲弊する。

何かを本気で信じているひと。
何かと本気で向き合っているひと。
全力で応援したい。

わたしは熱を注げるものをまだ見つけていない。
みんなの愛を見せつけられて、いいなとうらやましく思うときもある。
だから、みんなが愛を注いでいるものを知りたい。
せめて、応援だけでもさせてほしい。

そういう気持ちになると、なんだか自分も救われた気持ちになる。
自分には愛がないんだって思ってた。
でも、それでも、愛があるひとが好きで全力で向き合いたいって思う。
ってことは、自分にも愛があるってことでいいんじゃないかな。

なんて思えると、自分だけの愛なんて嘘っぱちに思えて。
なんだかうまく馴染めない、でも馴染みたくない。
それでも貫きたい気持ちが愛なんじゃないかな。

と、少し(大幅に)話がそれました。

生活の一部みたいな仕事。
もうずっと、しばらくは、体が動かなくなるまで働くでしょう。
愛があるひとと、これからも仕事をしたい。
そのために、わたしもわたしの愛を磨いていこうと思います。


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