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「自分の行う選択」が持つ二面性

人生においては、誰しもが日々何か選択をして時間を積み重ね、その人の道を進んでいる。

自分がもっと若かった頃(例えば中学とか高校とかそれくらいの頃)は、彼や彼女がその選択に迷う理由が分からなかったし、自分が迷っている選択よりかは小さなものだと思う時もあった。

なんで自分はこんなに人より悩んで選択を取らないといけないのか。なんてちょっとナルシストにも程があるってくらい。自分の選択がこの世界で唯一無二のもので、最も偉大であるるかのような。そんな感じ。

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とはいえ、もちろんそんなことはなくて。自分の選択に対する悩みなんてちっぽけなものである。

この社会に生きる多くの人間のうちの1人に過ぎないし、もっと自分よりも勇気のいる決断をしている人なんてざらにいるだろう。

いや、そうやって比べるものでは無いということを今回は言いたいのだ。

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そう。自分の悩みはちっぽけだと自分自身が自覚するのは大事なのである。

と、同時に、それでも自分の中では大きくて勇気のある決断であることを肯定してあげてもいいのだ。

「ちっぽけだけど大きい」という、「自分の行う選択」が持つ二面性を客観的に捉えることが出来たとき、

自分の選択の価値を過小評価しすぎることもなくなるし、過大評価しすぎることもなくなる。

さらに言うならば、他人の選択にも心から尊敬の眼差しを向けることができるようになる。

その人にとってはとても勇気のいる選択であることに間違いはなく、そして自分のと比べて大きいか小さいかとかそういう問題ではないのだ。

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多くの人の勇気ある選択の積み重ねで、日々世界が変化している。そう考えることができると、自分のこれからの選択は、価値あるものであり胸を張っていいものである。そして他人の選択も同じく価値あるものであり拍手を送るべきものである。


進め自分。
そして、進もう一緒に。

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