見出し画像

言葉との出会い方、待ち方、待たされ方。

最近出会った「イドコロ」という言葉。もちろん初めて聞いた訳では無いけれど、ちょっとこの言葉を引き出しから出すのに時間がかかってしまいまして。

出会ったではなくて、この言葉を「待っていた」と表現した方が正しいのかもなぁ。

そう、待っていた理由としては、僕が自分の周りにつくっていきたい空間に名前をつけたかったから。

色んな肩書きで活動をしてるけれど、どの顔のもりきちでも、一貫して「もりきちらしい空間作りや人との関わり方」がある気がするんだよなぁと思っていまして。

自分らしい"関わり方"や"空気感"が落とし込まれるその空間の名前を、探していたんです。


最初に浮かんだのは、「居場所」
この言葉にはしっくりきませんでしたね。

居場所って聞くと、どんなイメージを思い浮かべますか?

僕はちょっと、ネガティブな印象を感じるんです。この言葉を聞くと。

僕が、もしくは僕の周りでこの言葉が使われる時、大抵の場合、「自分らしくいられないあなたのため」に用意される場所の名前、を指しているような気がするから。

居場所支援だったり居場所づくりって表現は、その背景にネガティブな印象をイメージしてしまうものだなぁと感じたのです。

そう、この言葉ではなかった。

次。次に思いついたのは、「コミュニティ」

これもまたしっくりきませんでしたね。

さて、コミュニティと言われると、「何かの目的に賛同した人たちが集まる場所」というイメージが僕の中にはあります。

そこにはリーダーがいて、多少の序列が生じる。ついてこられない人には「退会」という経歴がつき、戻ってくるのは難しい空気感さえ流れる。そんなイメージ。ギブアンドテイクができる者だけが残る場所。そんな感じ。


あぁなんだろう。もっと風通しの良くて、そこにいることがプレッシャーにならない場。 

物理的な場所があってもいいし、無くても存在できる温かみのある空間。

自分の周りに広げることの出来る、小さな広場のような。

そこにいると何だか落ち着けて、自分の輝きを取り戻せるような場所。

そいつの名前はなんだ。と頭を抱えていました。

そんな時、横にある本棚に置いてあった本のタイトルに目がいきます。

「イドコロをつくる」

何かが自分の中で共鳴し、すぐその本を手に取り読み始めると、出てくる出てくる「それそれ!」な言葉たち。

そう、この本は買ってからいっとき本棚に閉まってあった本でした。僕は本を買う時タイトルに引かれて直感的に買うのですが、この本もそうだったのです。

買ったのは、〈BOOKS ライデン〉という長崎の本屋さん。

ここの店主の前田さんとお喋りしたくて、しょっちゅう通っています。

そこで買った、「イドコロをつくる」という本。買った時は何か直感的に惹かれて買ってたのだと思う。いつも通りの感じで。そして家に帰って一旦本棚にしまう。

そうして数日、数週間立った日に、こうやって手に取るタイミングがやってきたというわけですね。

『イドコロをつくる:乱世で正気を失わないための暮らし方』(伊藤洋志/東京書籍)

唸りに唸ったフレーズをここで紹介しますね。

コミュニティーのようにメンバーリストがあるのではなく、人が一緒にいられる「淀み」が身の回りに多種多様にあって、たまたまその淀みに居合わせた人々が何かのついでに助け合う状況が生まれているということである。

たまたま居合わせた人が適当な範囲で交流することが正気を保ち、元気でいることにつながる

身体の免疫系も、第一段階の物理的防御(汗、皮膚、唾液)に、第二段階の自然免疫(好中球、マクロファージ)、第三段階の獲得免疫(抗体、キラーT細胞)の三段階で外敵からのアタックに対応している。いくつも対抗策が用意されているのは、外敵の種類も無数にあるからである。そのため複数の要素を掛け合わせて無限の対抗手段を持てるようにしているのである。思考の免疫系としてのイドコロも、どれか一つで現実世界の無数の精神攻撃に対応できるものではない。映画とかはドラマが盛り上がるので家族愛など強力な要素を強調するが、現実世界で、家族だけ、あるいは友人だけで世の中の精神攻撃に対応しきることは難しいのである

「何かあったら、誰かにできる範囲で手伝ってもらえる」という感覚は人生に対する安心感になる

治安の悪くなった現代のSNSは、くつろぐ場所ではなく、おもに告知か告白や告発の場である。

作業の自動化は善とされているが、自動化した分だけ共同作業が減るので、自動化の分だけどこかに別の共同作業を用意しないと逆に不調をきたしやすくなるはずである。ドラム式洗濯機と全自動食洗機とブラーバ(もしくはルンバ)だけでうまくいくと思うなよ! である。

とまぁこんな感じでついつい唸ってしまうフレーズが散らばりに散らばっていて、自分が探していた空間の名前は【イドコロ】だったんだ。そうだよこれだよこれ!

そうやって最近、自分の在り方生き方として、とても腑に落ちる言葉として定着した「イドコロ」。というわけです。


言葉と出会うタイミングって、とても大事だと思っていて。知ってはいるけど、運命の出会いにはなっていない言葉が山ほどあると思うんです。今回の僕で言う「イドコロ」がそれ。

でもそれはそれで良くて。自分を整理したり振り返ったり、これからの自分を考えたりする時。その時にこの言葉が必要だ!と思うまでは、別に意識しなくても良くて。

いつか必要かもって思って引き出しに閉まっておく。そして、今かも?と思った時にまた引き出しから取り出して、確認して、あぁ君だったんだ!と感動する。そんな感じ。

言葉との出会い方、待ち方、待たされ方。
ふと見つけたり、今じゃないなと閉まっておいたり、モヤモヤする感覚を見つけるまでの思考の過程だったり。

常々自分と対話しておくと、色んな言葉との出会いが楽しくなって、その出会いをきっかけに自分の人生に納得がいくなんてことが、まだまだこれから沢山ありそうなのです。そんなちょっとした自分の中の感動を誰かに伝えたくて、書いてみたといわけです。

この記事が参加している募集

人生を変えた一冊

わたしの本棚

皆様のサポートは活動費に使わせていただきます。 まだまだ成長過程の未熟者ですが、ご支援いただけますと大変嬉しいです。 どうぞよろしくお願いいたします。