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米津玄師×宮沢賢治「銀河鉄道の夜」=カムパネルラ

こんにちは。
ドラマティックマネジメントの森憲一です。

今日は「カムパネルラ」!米津玄師です!!!

この歌詞は、マジでスゴい!
いや、米津ってホントスゴい!って感じる歌詞です。
いろんな要素が詰まってる上に、めっちゃ学べる!
やっぱり米津、天才です!!!

さて、今日のテーマはコチラ!!!
「米津玄師『カムパネルラ』に学ぶ、悲しみをチカラに変える方法!!!」です。

カムパネルラの歌詞について考える前に、まずはカムパネルラという名前の少年が登場する小説、宮沢賢治作「銀河鉄道の夜」のあらすじについて話しましょう。
多分、っていうか米津自身もインタビューで語ってるんだけど、カムパネルラっていうのは、宮沢賢治の小説「銀河鉄道の夜」の登場人物カムパネルラのことです。

さて、銀河鉄道の夜について!
主役級の登場人物は二人、ジョバンニとカムパネルラ!そして出番は少ないけど、超重要な役として登場するザネリ!
さて、簡単にあらすじを説明すると、主人公のジョバンニと幼馴染みのカムパネルラが、銀河鉄道に乗って夜空を旅する物語です。
ただし!
銀河鉄道の旅は「死出の旅」です。
旅している間、ジョバンニは、この旅が「死出の旅」で、友カムパネルラが既に死んでしまっていることには気付いていない。
夢から醒めた時、カムパネルラが、溺れたザネリを助けようとして死んでしまったことを知るんです。
ザネリっていうのは、いつもジョバンニを、いや、ジョバンニのお父さんをネタにしてからかってる、っていうか、いじめてるっていう感じかな。
ジョバンニのお父さんは漁師で、遠洋漁業に出かけているんだよと、母親から聞かされてるわけ。
でもね、おそらく街の噂では「密漁」なんじゃないかって囁かれてるわけ。そのことでザネリはジョバンニをいじめてるわけ。
でね、ジョバンニも「もしかして密猟なんじゃないか?」って、信じたくないけど、ちょっと思ってるから、カムパネルラともうまく話せなくなっていっちゃうわけ。ホントは、また一緒に遊びたいんだけどね。
そういう微妙な状態の時に、カムパネルラは死んじゃったんだよね。
でも、神様は、例え夢の中であったとしても、っていうか、夢と現実の間みたいな感じなんだけど、ね、ジョバンニに、カムパネルラと一緒に銀河鉄道の旅をさせてくれた。
失ってしまったけど、でも、思い出は残ったわけだ。
問題は、っていうか、本の中では何も語られてないんだけど、問題は、ザネリだ。
ザネリは後悔するだろうね。
罪悪感を抱えながら生きていかなくちゃならない。

米津玄師は、インタビューでこんな風に答えてる。
どちらかといえば、この歌詞はザネリを強くイメージしたんだ!って。
ま、確かにジョバンニよりも、ザネリの方が悲しみとか罪悪感とか、色んなマイナスの感情をいっぱい抱えて生きていかなきゃなんないもんね。
そう!この歌はそういうことがテーマなんじゃないかと思うわけです。
死とか悲しみとか罪悪感とか、そういうマイナスの感情で溢れてる!

まずは一番の歌詞に登場する「月光蟲」
現実には、こんな虫はいない!
筋肉少女帯っていうバンドのアルバム名と、後もう一つ、古川本舗っていうアーティストの曲で「グリグリメガネと月光蟲」っていう曲があるんだけど、古川本舗は、この曲をリリースした時のインタビューでこんな風に言ってる。
この歌詞は「後追い自殺をしようとする少女(月光蟲)とそれを止めようとする郵便屋の話」なんです、って言ってるわけです。
おそらく、この月光蟲っていうのは、この古川本舗の歌詞からインスピレーションされてるんじゃないかなーって思うわけ。ま、いつも通り僕の勝手な想像なんだけどね。

それから今度は二番の歌詞に出てくる「真白な鳥と歌う針葉樹」ってあるんだけど、これも僕の勝手な想像なんだけど、白鳥省吾っていう詩人の「死者の子守唄」のことなんじゃないかなーって思うわけ。
この詩は、まさに死者へのレクイエム(鎮魂歌)なんだけど、
その冒頭の詩が

荒磯(ありそ)の疎(まば)らな松林の中に

松林、まさに針葉樹ですねー。
白鳥と針葉樹、死者の子守唄。
なんか、インスピレーションを感じてしまうわけです、僕はね。

さらに!
その後に続く歌詞、

波打ち際にボタンが一つ
君がくれた寂しさよ

これ、何言ってんだ?!って感じなんだけど、実は!!!
これは、中原中也の詩「月夜の浜辺」から発想したんじゃないかなーって思う。
中原中也、「汚れちまった悲しみに」っていう有名な詩を書いた詩人だね。
汚れちまった悲しみ、っていうのも、カムパネルラの歌詞に通じるものを感じるけどねー。
だって、「私の手は汚れていくのでしょう」だからね。

ま、それはさておき、「月夜の浜辺」について!
この「月夜の浜辺」の詩なんだけど、これも冒頭はこんな感じ。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちていた。

まさに、カムパネルラの歌詞の風景そのものだよね!
さらに!
この詩は、中原中也の、わずか2歳で亡くなっちゃった長男「文也」の死を悼む詩っていう、そういう説もある。
やっぱりここでも、「死」が描かれてるんじゃないかなーって思うわけ。

あとね、ちなみに宮沢賢治だって、最愛の妹を失った悲しみを抱え続けて生きてたわけだし、とにかく、この歌詞は、
そんな、死とか悲しみとか、そういうマイナスの感情で溢れてると思うわけ。

だけどー!
この歌詞は、決して、暗ーいエンディングじゃないわけです!

この歌詞にはね、僕たちが「悲しみをチカラに変える方法」が書かれてる。
ま、あくまでも僕の勝手な解釈なんだけどね。

ポイントはこの歌詞!

光を受け止めて 跳ね返り輝くクリスタル
君がつけた傷も 輝きのその一つ

米津はインタビューでこんな風に言ってる。
クリスタルっていうのは宝石で、宝石って、原石を削っていくことで、輝く宝石になる。
つまりそれって、傷をつけることで輝くってこと。
人間って傷ついて、哀しみを抱えれば抱えるほど、強くなって輝くんじゃないかなーって。
そんな風に米津は言ってる!
…ような気がする(笑)

だから、悲しんだり傷ついたりすることって、宝石みたいに輝くためのプロセスなんだって、
そんな風に思えたとしたら、「僕も生きてて大丈夫なんだ!」って、
そんな力が湧いてくるんじゃないかなーって、米津は考えてんじゃないかなーって思うわけ。

だってね。
一番の歌詞では、

追い風に翻り、私はまだ生きてゆくでしょう

って、なんか他人事みたいに、あるいは、
生きていっちゃうでしょう的な、投げやりな感じで言ってるのに、
二番の歌詞では、

君がつけた傷も 輝きのその一つ

って歌詞の後の部分では、

追い風に翻り、私はまだ生きてゆける

ってね、なんか、希望が見えてきてるって感じになってるんだよね。
「生きてて大丈夫なんだ!」って感じかなー。

僕も含めて、みんなそうだと思うんだけど、
誰だって、生きてるだけで誰かを傷つけちゃってることって、あるよね?
意識してる、してないにかかわらず、だよ。
知らず知らずのうちに、誰かを傷つけちゃったり、悲しませちゃったりしてる。
自分だってそう。
誰のせいでもなく、勝手に傷ついたり悲しくなっちゃったりしてることって、誰にだってあると思うわけ。

でもね、時々でもいいから、そんな自分に「大丈夫だよ!」って言ってあげること。
そして、傷ついたり傷つけたりしちゃってる自分に
「それって輝きの一つなんだよ」
「あなたや、誰かが輝くための『しるし』なんだよ」
って、言ってあげること。

それが、悲しみをチカラに変える秘訣なんだよーって、米津は言ってくれてる。
…ような気がするわけです!

でもまぁ、ホント米津ってスゴいよね。
宮沢賢治、古川本舗、白鳥省吾、中原中也を登場させながら、
悲しみをチカラに変える秘訣を謳いあげるなんて、やっぱり天才だなーって思う。
ホントに面白いよね。

米津玄師「カムパネルラ」、是非じっくり聴いてみて下さいね!

それではまた!
ドラマティック・マネジメントの森憲一でした!