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「校閲」「校正」が性に合っているのかも

文章を書くようになって、改めて日本語が好きになった。

そもそも、母国語であり、常日頃からあたりまえのように、今もこうして使っている日本語を、「好きになる」というのは、おこがましいかもしれない。


先日、ドライブがてら、いつもの本屋さんに行った。街と田圃のちょうど境にある、一階建てでとても広い本屋さんだ。

入ってすぐの新刊コーナー。いつもほぼ通り過ぎるコーナー。その日もそうするはずだった。しかし、一冊の本の表紙の言葉に目に入り、気がつくと立ち止まり、その本を手にしていた。

「日本語」という言葉に反応した。そして、
校閲」という言葉で一冊手にした。


文章を書くようになって、改めて日本語が好きになった。ってのは先述のとおり。書くことと同時にコンテンツとして、

  • 読みやすいか

  • 分かりやすいか

またそれと同様に

  • 情報は正しいか

  • 誤字脱字はないか

が非常に気になる、気にするようになった。

まさに「校正」「校閲」の世界である。


実は小生、「校正」「校閲」の経験がある。
といっても、「校正」「校閲」専門ではなく、気がつけば「校正」「校閲」をやっていた。

前職のWeb制作チームにいたとき、「現場(コンテンツ制作)から極力離れた人に読んで確認してもらいたい」ってことで、システム開発担当みんなで、箱に入れられた原稿のコピーに目を通すようになった。

別に経験があったわけではない。なんとなく目を通す。誤字脱字に赤丸つける。内容に気になる箇所があったら、ネット程度で調べる。要修正と思しき箇所にコメントつきの付箋をして、箱に返す程度だった。

そしたらある日、コンテンツ制作担当者が現れた。「これ、確認してくれました?」と自分がチェックした原稿を手にしていた。細かいこと書き過ぎたかと内心自省していたら、「すいませんが、原稿チェック、優先でやってもらえませんか?」ときた。さすがにホイホイと校閲専門といけなかったが、気づいたら原稿チェックがメインになっていた。

(後で聞いた話、制作チームの中でも「しまった!でも、この確認した人、よく気がついたな」と噂になっていたらしい。こちらは直感でチェックした程度だったが。)


そんな経験を持ちながらも、結局、システム開発保守畑に長年いる。

最近になって、文を書くことの楽しさを改めに知ることになった。そして、日本語の楽しさも改めて知ることになった。

そんな時に、井上氏のこの本に出会ったのだ。

先述の本の冒頭に、こう書いてある。

 いろいろな世界を仕事を通じて知るのが楽しい、いろいろな才能に出会うのも楽しい、自己表現は、むしろ仕事を離れた自由な所でする方が好きだ。
 こういった人なら、校閲に向いている、と言えるのではないでしょうか。

井上 孝夫「その日本語、ヨロシイですか?: 楽しい校閲教室」

まさに、自分だ。

「座り続けていられて、言葉に興味があって、落ち着いて仕事ができる人」ぐらいにしておいた方が正しいかもしれません。

井上 孝夫「その日本語、ヨロシイですか?: 楽しい校閲教室」

まさに、自分だ。

上述の

自己表現は、むしろ仕事を離れた自由な所でする方が好きだ。

井上 孝夫「その日本語、ヨロシイですか?: 楽しい校閲教室」

の件、ここは若干違っている気もするが・・・

前職で「校正」「校閲」やってたときは、毎日が発見だった。なにより、ほかのライターさんの書いた記事を読んで、「こんな書き方あるんだあ」と感心していたことも思い出した。


それをひとり黙々と何かをやる。これが強みだと、適職診断でも言われたっけ。

改めて考えると、「校正」「校閲」は自分の性に合っているのかもしれない。

フルリモート、フル在宅勤務の「校正」「校閲」の仕事、探してみよう。

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