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長男が双子になりました(中編)

2020年秋~冬

らんちゃんが、一人息子と一緒に香港へ渡り、私はちょくちょくとFacebookのタイムラインでらんちゃんの投稿を眺めていた。
香港で何か事件が起こっているらしいことや、コロナのせいでホテルでの隔離期間があることなど、投稿を見る度に、ホっとしていた。

治療中だろうから、とMessengerではあまり連絡しないようにして、なるべく休めるように気をつかってもいた。

「つらいけど頑張る!前向きに!」というような投稿内容が多かったと思う。病気になる前も、いつもそんな事を言っていた人だった。
明るい希望という名前をつけた子供が、いつも傍らにいて、文字通り、シングルマザーの彼女の人生を、明るい方へ導いていたんだろう。

秋頃に頻繁にあった投稿を、冬になる頃にあまり見なくなった私は、心配になって、Messengerで連絡した。

2020年12月7日

「らんちゃん、治療、どうかな? 大変だと思うけど、頑張ってることだと思います。今、 今度の2月に、(ウチの長男)と香港に行こうと計画をしています。 あきくんに会えると子供も喜ぶと思うんですが、 行っても良いですか??」

本当に行こうと思っていたの。飛行機のチケットを安く取れる時に、子供と一緒に会いに行こうと思って。
人数多すぎると大変だから、小学4年生の一人だけ連れて行こうとか、泊まるホテルはどうしようか、とか、色々考えてたの。

子供に学校を休ませても良いものかとか、悩んだりもしたけど。
今思うと、費用も学校も、どうでもよかった。早く会いに行けば良かったよ。

その後、10日間待っても返事が無かったので、更に心配になってMessengerで電話してみた。12月17日15:31。
何度コールしても、電話はつながらなかった。

2020年12月24日

クリスマスイブの日。いつも家で集まるみんなと子供たちで、ホームパーティーを開いていた、私。
居候のコウジ(仮名)は、出かけていて、家に居なかったはず。(今思うとデートだったと思われる)
ウチのパパと、私と、らんちゃんと一緒にランチ行ったママ友のともみんと、その娘と、ウチの子供たちと、初代居候で相方の玄ちゃんと。

みんなで、クリスマスっぽいものを食べて、クリスマスケーキとかを食べた後くらいに、何気なくスマホを手に取り、Facebookのタイムラインを眺めていたら、中国語で書かれたらんちゃんの投稿が流れてきた。

「各位(らんちゃんの名前)的親朋好友:

(らんちゃんの名前)已在2020年12月23日凌晨離開我們,感謝各位的關懷與慰問,願(らんちゃんの名前)安息,她永遠在我們心中。」

漢字だけで、なんとなく意味が分かる、私たち日本人。
願。安息。
それでも、まだ信じたくなかった私は、コメント欄に、「日本語の分かる人はいますか?彼女亡くなったんですか?」と書き込んだ。
数分後だろうか、コメントを見てくれた香港の方が、つたない日本語で「はい、12月23日、彼女は逝去した。」と返信をくれた。

私とともみんは、抱き合って泣いた。

2020年末

お葬式の案内がタイムラインに流れてきたのは、12月30日だった。

私はせめてお葬式くらいには参加しようと、場所と時間の案内を送って欲しいとコメントした。
すぐに、日本語のできるお友達の方が、Messengerで連絡をくれた。
すぐにJALのサイトで往復のチケットを予約、近いホテルも仮予約を完了したところで、あっ!と思って、香港へのコロナの入国規制のことを調べたら・・

「香港入国後は指定されたホテルで21日間隔離期間があります」
との事。

・・・もぉぉぉぉぉぉー!!!口悪くなってもいいすか、言いますよ!

クソコロナ!!!!!

お葬式は1月11日だったので、チケットもホテルもすぐにキャンセルさせてもらった・・お仕事の皆さん本当にごめんなさい、クソコロナのせいで・・

誰かや何かのせいにしてはいけない。
そんなのは重々承知の上だけど、この時ばかりはコロナを恨んだよ。。

そして、年が明けた。

2021年3月

お葬式に行けなかった代わりに、せめてと日本からの贈り物を届けようと、先のコメントをくれた香港人の女性にFacebookのMessengerで連絡をしていた私。住所を教えて欲しい、とね。

住んでいた家をどうするのかは、らんちゃんが会社とお友達に頼んでいたらしく、心配しなくても大丈夫と連絡ももらった。

1月の冬休み明けに、学校の手続きはどうなっているのか、担任の先生に連絡をしたら、日本のお友達の方と連絡を取っているとの事だったので、何かあったら私にも連絡をください、と伝えておいた。
残された子供がただただ心配だった。だってお父さんいないから、らんちゃんだけなんだよ、日本での家族が。

贈るものを色々買ったり、ともみんと一緒に小包にしたり、それに入れる手紙を翻訳したり、年度末までの私はなんだか忙しくて、やっと小包を送れたのが3月だった。
「日本での手続きや、子供の事で、困ったことがあったら連絡ください」と名刺も入れておいた。

そして、ウチの長男と、ともみんの娘と、小学5年生に進級した4月。
らんちゃんの息子の名前が、本人不在のまま、ともみんの娘のクラス名簿に載っていた・・・。

手続き、できてないじゃん!!!

(後編へ続く)→https://note.com/morikawaai/n/n22ecf3b26bb1

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