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花屋の仕事が大変だって誰が決めた!?~そもそも論が紡ぐ楽しい仕事術~

お花屋さんになる人に向けたメッセージで、多く見かけるのが、「花屋さんの仕事は重労働。軽い気持ちで入ったら大変。」

花業界について調べたことがある人は、よく聞くことだと思いますし、実際その通りだと頷く人も多いでしょう。

お花屋さんの仕事は力仕事、寒いし立ち仕事、繁忙期は長時間労働、その上給与も高くない。単純作業も多いし、お花の管理、接客、配達など様々な仕事をこなさないといけない

これはおおかたでは正しいかもしれないけれど、だからって大変だと一様に言うのは、私は違うと考えています。

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そもそも、花屋だけが大変な仕事ではないということもありますし、大変だということ自体が感覚によるものだから、その仕事内容についてどう感じるか。ということを考えていかなければならないと思います。

お花屋さんの仕事が大変だと言われる背景には、思ったよりも大変だった、思った仕事内容と違った等、想像とのギャップで辞めてしまうスタッフがいることと、自分自身がそう思っているお花屋さんがいる、或いは生産性が低いと思い込んでいるお花屋さんでしょう。

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ここで、私は2つの視点で見ることを提案したいと考えています。

・仕事内容の生産性と、経営者の理想の形のバランスが取れているか
・一つひとつの仕事に対する目的意識と、意思決定について

2つの視点について述べる前に、なぜ私が所謂お花屋さんの業界では当たり前のような『お花屋さんの仕事は大変だ』というテーマについて、疑問を呈したのかということについては、私自身忙しいと感じることはあっても大変だと感じることが無いからです。いくら仕事をしていてもストレスは感じないし、基本的に疲れません。

なぜストレスを感じないのか、疲れないのか。ということを振り返ることで、お花屋さんに限らず、あらゆる仕事、活動、行動を振り返る一つの視点を提供できるのではないか思い、記事にまとめることにしました。

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・仕事内容の生産性と、経営者の理想の形のバランスが取れているか

そもそも論からいきましょう。実際に、多くの人が大変だという仕事内容であることも、もちろんあり得ます。仕事内容の効率化が図られているかどうか。1時間当たりの、1日当たりのスタッフやお店の生産性が低ければ、余分だと感じられる、或いは無意味だと感じられる仕事内容が多くなり、仕事の意義、意味についてスタッフはもちろん、経営者自身も見いだせなくなってしまいます。「最近は景気が悪いから」「バブルの時は良かった」のような発言をするような、現状を正しく理解することから逃げている経営者がいるお花屋さんは、このタイプが多いです。

現状の生産性と、理想の生産性、或いは理想の花屋の姿を見出すためには、需要・供給、消費性向、社会情勢、文化的行動、技術革新、コミュニケーションの形など、お花の消費に係わるあらゆる具体的なデータについて、常に目を配らなければなりませんし、その来るべき未来についての仮説を立て、自分たちはその社会のためにどのような価値を発揮していきたいのか、どのように世の中のために役立つことができるのか、という自分自身を問い直すプロセスが必要となります。

現状を知る→未来の仮説と理想の自分達→現状を知る→未来の仮説と理想の自分達→現状を知る→・・・・

この繰り返しが、仕事の生産性を向上させ、一つひとつの仕事に意味と意義を与えるようになります。それを疎かにしてしまうと、何のために仕事をしているのか、誰のために仕事をしているのか、誰かの役に立っているのかがわからず、迷い道に入ってしまう可能性を高めてしまいます。そこにある道は惰性の道であり、続けるために続けるだけのつまらないものになってしまうかもしれません。

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・一つひとつの仕事に対する目的意識と、意思決定について

次は、働く自分の心に耳を傾けてみたいと思います。仕事の内容自体にも影響されるかもしれませんが、ここで考えたいことは、その仕事について、自分がどのような立場であるのかということです。仮に先ほどの前提で言うと、仕事内容が非生産性なものであったとしても、仕事に対して目的意識を持ちづらくさせることはあっても、イコール仕事に目的意識を持てなくなるということではありません。その仕事に意味があるのか、ないのかという選択は最終的に自分自身が決定しているからです。

例え、同じ業務内容だったとしても、その業務自体は人によって見え方が異なり、その目的でさえも違う可能性があります。一つひとつのオペレーションの裏側にある目的や、効果はどのようなものかを自分なりに解釈し、その効果を最大化するために、自分なりに工夫をする、或いは上達をすることができるようになれば、より社会のためにより役立つ仕事ができるようになります。そして、その業務の効果測定を自身で測り、業務自体を改善するというそもそも論に立ち返る力が必要にもなります。

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仕事内容について、そして、その仕事に向き合う人、という両面で触れましたが、どちらに対しても同じことを言っているのに気付いた方もいらっしゃるかもしれません。どちらも、その仕事や業務内容についてのそもそも論に耳を傾け、どうやって社会のために役立つ仕事をすることができるのか、ということです。

ただ、何故それが【大変】という感覚にならない条件となるのか、疲れにくく、ストレスを感じにくくなるのかということについては、『自分で決める』というという意思決定があるからです。

他人に決められた仕事や、他人が作った環境、前提に身をゆだねる場合、わたしたちは自分の期待に沿わなかったり、思い通りにいかない場合には、それをストレスと感じてしまいます。場合によっては、誰かのせいにしたり、言い訳がましくなったりするかもしれません。

そもそも論も、誰かが考えたものには、自分の中でそもそも論にはなり得ません。自分がその仕事や業務内容の前提を鑑みて、そもそもどうなのか、という自分の思考プロセスが必要となります。

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これは仕事だけではなく、勉強や、その他自分のあらゆる行動にも当てはまることです。如何でしょうか。

自分で決めてやっていることと、やらないといけないからやっていること、或いは言われているからやっていること、などをリストアップして、区分けしてみてください。

その区分けされたものについて、それぞれ継続してやり続けた場合、あなたはどのように感じるでしょうか。その行動をする目的が明確で意義を感じるものにはあまりストレスを感じず、そうではないものであれば、疲れ果ててしまうかもしれません。

最終的な結論として、『自分で決める』という普通の事になりましたが、得てして、このようなものであり、だからこそ、案外自分がその普通の事をできていないかもしれない、ということについて、謙虚に向き合わなければなりません。

好きなことを仕事にしましょう。ということは、つまり『自分で決めた』ことを中心に生きましょうということです。単純に好きなことをすれば良いということではありません。その行動一つひとつを自分の本心で決定し、あらゆる行動の理由や結果を自分で決める。他人を理由にしないこと。こういうことです。

このニュアンスが日々の経験に乗って生きていくことができるようになるには、自分の決定を自覚しながらある程度の経験をしていくということと、常に自分自身について謙虚に向き合う姿勢が必要となります。どのようなことでも楽しんで自分の上達に繋げられる人は、このようなマインドを自然と、或いは自覚的に手にしていると言えるでしょう。

ただ、他の人を見て、自分で決めなさい!と強制することもできませんし、してしまうと逆効果です。

えっ!?なんでかって!?

そりゃぁ、全ての決断は自分ですべきであって、誰かがさせるものではないからです。


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