ワクチン接種の混乱と「蜘蛛の糸」の話
新型コロナウイルス用ワクチンの「取り合い」が始まっているようです。
少し前までは「ワクチンって大丈夫なの?」と言っていた人も、いざ周りが接種し始めると「自分だけ遅れるのはまずい」と不安を感じてしまう。
打てれば一安心。予約できないと恐怖と不安が募る。
そのため、善意でもって粛々と行われている地域もある一方、殺気立って怒鳴り込んだり、不平不満の声が寄せられている地域もあるようです。
世界を見渡しても、有望なワクチンについては「ワクチンナショナリズム」でもって国と国の間で取り合いになっています。
そういった話を聞いていて、言葉は悪いかもしれませんが「蜘蛛の糸」の話を思い起こしていました。
お釈迦様が垂らしてくださった救いの糸。
それを取り合う、カンダタをはじめとする人々。
今は幸い、各種の変異型ウイルスに対してもワクチンの効果がある。
しかし私たちの心次第で、この蜘蛛の糸は切れてしまうかもしれない。
新たな変異型ウイルスが出てきて、ワクチンの効果が失われる。
もしくはコロナはいったん収束したとしても、また別の形で試練が現れる。
いずれにせよ、助かったと思ったのに、また混乱の中に落ちていく。
「自分だけ良ければ良い」との思いと行動によって、救いの糸を自ら断ち切ろうとしている。
人類が利他の心に気づくまで、お釈迦様は何度でも糸を垂らされる。
しかしその度に、私たち自ら、その糸を断ち切ることを繰り返してしまう。
嫌でも分かる時が来るまで、何度でも、何度でも。
今は分からなくとも、いずれ。
P.S. ワクチンが救いの糸かどうかは、また別の話です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?