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UNIFICATION ~天変地異の時代を、私たちはどう生きていくのか~

「定本 災害ユートピア」(亜紀書房)という本を読みました。

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1906年のカリフォルニア大地震や、ロンドン大空襲、メキシコシティの大地震、ニューオーリンズのハリケーン・カトリーナ、ニューヨークの9.11テロ等、災害や戦争・テロが生じた時、人々は大きな喪失を経験しながらも、自分にできることを探し、困った人たちを助け、互いに手を取り合いました。

そして、それらの行為によって、皆、平時には経験したこともなかったような活動的なエネルギーにあふれていきました。

過去の災害を振り返ると、震度や風速、死者数といった数字しか残っていないかもしれません。

しかしそこにはいつも、助け合い・分かち合いの行動がありました。

災害はこれまで人々が築いてきた「常識」を崩していきます。それは、これまで自分を「縛ってきた」常識から解き放たれることも意味します。

たくさんのものを失ったはずなのに、体から力が湧いてくる。考える前に「誰かのために」行動してしまう。

それが人間の本質なのだと思います。

そのような姿が、この本では多く伝えられています。


一方、そういった利他の行動を押しとどめ、お互いを非難し合う人々の姿もありました。

その原因は、「疑い」の思いでした。

「あの街の住民は、暴徒化してこちらを襲ってくるかもしれない。」
「黒人が盗みを働いているらしい。油断をするな。」
「テロの犯人はアラブ人だ。また別のテロを計画しているかもしれない。」

「疑い」は恐怖や不安を生み、噂によって増幅し、人から人へと流行り病のように伝染していきます。

そうして相手を「非難」する思いに心が支配された時、人は鬼になってしまいます。

そうすると、相手のことも鬼に見えるようになってしまいます。

本当はどちらも同じ人間なのに。

その結果、災害による直接的な被害よりも、よほど大きな被害・悲劇、「人災」が生まれることになりました。

それらについても、この本では書かれています。


「疑い」の思いによって、人と人とが分断されてしまったとき、私たちは乗り越えられる困難も乗り越えられなくなってしまいます。

人類を滅ぼすものがあるとすれば、それは天変地異そのものではなく、疑をきっかけとした「人災」によるものではないかと感じます。


本の原題は「A Paradise Built in Hell: The Extraordinary Communities That Arise in Disaster」。

本書は若干、災害を礼賛しているかのように思われる部分もあり、「遺族の方々がこの本を読んだらどう思われるだろうか」と感じてしまう部分もあります。

また、著者はアナーキスト的な傾向をお持ちなのか、たびたび公的機関を批判する記述も見受けられ、私としては、必ずしもそれらの主張に同意するものではありません。

ただ、過去、大きなテロや災害が起きた時に、人々がどう行動したかを知ることは大切ではないかと感じています。


1906年4月18日、カリフォルニアで大地震が起きました。

多くの建物が倒れ、ガス管が壊れたことで多くの火災が発生しました。

しかし、そこにあったのは「助け合いの連鎖」でした。

妻と二人の娘はすぐさまその鍋で調理を始め、お茶をいれ、シチューを作り、自分では食事の手当てができない人たちにふるまった。街角の食料雑貨店主が、一日目にありったけの商品を寄付してくれた。だから、わたしたちのもとには缶詰だけでなく、紅茶やコーヒー、砂糖やバター、その他の食品がたっぷりあった。それらが底をつくころには、赤十字の人たちがいろんなものを支給し始めた。肉問屋はポトレロの牧場から避難民のテントに肉を届けていたが、その荷馬車がわたしたちのいるあたりを通るとき、いつも肉の立派な厚切りを何枚か投げてくれたので、シチューの材料に事欠くことはなかった。ペニンシュラの酪農業者たちも同じだった。近くを通り過ぎるときに、いつも角に、一〇ガロン入りの大きなミルク缶を一つか二つ落としていってくれた。だから、妻と娘たちはただ寝ずにシチュー鍋を常に満たし、火を絶やさないようにしていればよかったのだ」。
家は基礎から揺さぶられていたが、それ以外の被害はなかった。そこで彼は十数人の人々に自宅を提供した。「何人かは前から知っていたが、まったく知らない人もいた。全員が焼け出された人たちだ。不思議なことに、うちはまだ断水していなかったので、近隣一帯の避難住民たちのたまり場になった。みんな、バケツや手桶や瓶やら、何でも容器になるものを手にやって来て、うちの蛇口から水を汲んでいた。だから、我が家は毎日、朝の四時から深夜まで人であふれ返っていた。水がなくて困っている人が大勢いると知ったので、うちはまだ水が出ていることを、みんなに知らせて回った」。
地震の起きた朝に母親と赤ん坊を助けたモーリス・ベーハン巡査部長は「男たちは危険にさらされている人々を救出するために、あらゆるリスクを冒していた」と語っている。彼はある質屋がパン屋の荷車からパンを山のように買って、焼け出された人々に分け与えているのを目撃した。その近くでは、ミネラルウォーターの会社の代理店主が厚板といくつかの台で簡素なバーを作り、喉が渇いた人々に昼夜を通して飲料水を提供していた。のちにベーハンは数人の市民とともに、倒壊したビルから消防士が五人の人を救出するのを手伝った。


2001年9月11日、ニューヨークでアメリカ同時多発テロ事件が起きました。

その時、人々を救ったのは消防士だけではありませんでした。

多くの警官や女性警官、消防士が、あの日、とても勇敢だったが、一般の人々の中にも勇敢な人が大勢いたのだ。刑事のジョー・ブロジスは「もう一つ忘れられないのは、市民が……それも通りにいた歩行者がだよ、おれたちの車が進みやすいように交通整理をしてくれていたことだ。パトカーだけじゃない。すべての緊急車両に対してだ。列を作って、他の歩行者を止め、緊急車両が通れるように道を空けてくれた。彼らがいなかったら、現場まで緊急車両を送り込むのは悪夢だっただろうよ」と語った。
煙や崩落に気づいた船長たちは、フェリーをUターンさせ、まず乗客たちを危害の及ばない安全な場所に降ろしてから、ピストン運航して、できる限り多くの人々を被災地区から脱出させた。歴史ある消防艇のクルーは、沿岸警備隊の呼びかけに応え、通常の定員の倍の150人を運んだ。他にも、クルーズ船、遊覧船、水上タクシー、帆船、自治体のタンカー、フェリー、ヨット、タグボートなど、あらゆる種類の船舶が、あるものは沿岸警備隊の要請に応じ、あるものは自らの判断により避難に協力した。
パキスタンからの若い移民ウスマン・ファーマンは、煙の雲から逃げる途中に転倒した。ハシド派(ブルックリンに集中して住む超正統派のユダヤ教徒)の男が走り寄ってきて、ファーマンがぶら下げていたアラビア語の祈りの言葉が刻まれたペンダントを手に取った。それから「ブルックリン訛りの低い声で、『兄弟、もしいやでなかったら、わたしの手をつかんで。ガラスの塵が追いかけてきている。早く逃げよう』って言った。よりによってハシドに助けてもらえるなんて夢にも思っていなかったよ。」


「パニック映画」や「災害映画」系のハリウッド映画では、災害時、民衆は我を失い、パニックを起こし、互いに物を奪い合ったりする存在として描かれています。

そしてその混乱の中で、勇気ある行動を起こし、人々を平和に導くヒーローが登場するストーリーになっています。

しかし実際の災害では、大多数の人々が互いに助け合いました。

一人のヒーローではなく、男性も女性も、老いも若いも、皆が自分にできること、自分が持っているものを持ち寄って駆けつけました。

一人ひとりの数えきれないほどの勇気と決断と行動があって、困難を乗り越えていった。

それが、現実の災害復興の姿でした。

カリフォルニアの地震も、911のテロ事件も、何千人という方が亡くなられました。

しかし一方、そういった方々のまわりには、それほど大きな被害を受けなかった人々もおられました。

最初に助け合い・分かち合いに乗り出したのは、そういった方々でした。


2020年はコロナウィルスによって、これまでの「常識」が大きく揺るがされた年でもあったと思います。

これからも、また、新たな災害を経験することがあるかもしれません。

天変地異の時代を、私たちはどう生きていくのか。

もし自分に力が残されていたならば、お互いに疑い非難し合うのではなく、悲しんでいる方に寄り添い、助け合うことができないでしょうか。


天変地異もコロナウィルスも、ある意味、人類が「共通で向き合っている」困難であると思います。だからこそ、国や宗教、人種といった違いを乗り越える「きっかけ」にすることもできるのではないでしょうか。

どの国に生まれようと、どの人種に生まれようと、私たちは皆、同じ人間であり、たまたま異なる国、異なる人種として生まれてきたに過ぎません。

地球人として一つになる(UNIFICATION)ことができるのか。

私たちの認識が問われているように感じます。


あなたが泣いていると悲しくてたまらなくなる
あなたは尊い人です
大切な人です
精一杯生きてください
最愛の仲間たちよ

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