見出し画像

教員免許を取って感じた自分への育児

自分への教育を見つめ直してみる

この春、大学を卒業して感じた事は やっぱり自分の親が自分に対して
行ってきた教育はやっぱり間違っていたという事を再認識した事だ。
今日はそんな 自分が20年しか歩んでいない人生の中で施されてきた
教育を見ていきた。

両親は秀才という馬鹿

まず、教育を語る前に自分の親について話してきたいと思う。
自分の両親はバブル時代に18歳~20歳を迎え、母親の方は
大手書店の幹部を父に持つお嬢様。父親の方は、小学校の時から
生徒会長や委員長をこなし 国立大学を主席で卒業したような
秀才お坊ちゃまである。まぁ勉強しかできないあるいみ馬鹿人間とも
いえるかな(^_^)
そんな両親の出会いについては、子供に一切話さなかったがなんとなく察しはついている。
二人は家のお見合いで出会い 結婚の決め手は
父親が国立大卒業と上場している会社に勤めているというスペックで選んで結婚を迫った事が決めてだろう。
つまり 金目当てで結婚したって事。
だから、母親自身が働くなんて子供が大学入るまで想像すらしていなかった
ようなヤツである。そして、父親の方と言えば勉強や知識があれば
会社の中で出世できると退職するまで考えているような堅物だ。
こんな家庭環境で育つ子供なんて察しがいい皆さんなら気がつくのではないだろうか?

悲しみの日常

そんな親は 昭和の愛を僕に散々たたき込んできた。
配膳をしなかっただけで怒鳴り散らかし、味噌汁を右に置かず
間違えただけで頭を全力で叩いてきた。
当然、大人の力で子供を叩けば子供は泣くし 悲しいし親として尊敬なんて
感じなくなってくる。でも、自分が生きていくにはこの環境しかない
他に助けてくれる人なんて知らないし 遠く離れているおばあちゃんに相談しても変化しないどころか火に油状態。
また、ある日は父親と金銭トラブルで口論になり
翌日 僕が上履きを学校に忘れてきた事を理由に八つ当たりで蹴られた事もあった。

初めて死を感じた瞬間

そして 僕史上最悪の事が起きる。
原因は嘘だ。
僕は、放課後学校から帰ってきたら 一秒でも早く友達とサッカーをやりに公園に行きたくてたまらない少年であった。でも、それは叶わない事が普通だった。その理由は簡単だ。
母親が子供を信用せず 宿題をやらないと遊びにいけないというルールが存在したからだ。そのくらいであれば 親が正しいと思うかもしれない。
でも、子供にも社会があり人間関係が存在するのだ。
もし大人が取引先の人に飲み会に誘われたら 何よりも優先してその飲み会に参加するのが普通ではないだろうか?
子供も同じようにサッカー、野球という物が大人の飲み会と同じ効果を発揮している子事にお気づきだろうか?
そう・・僕はいつも 最後に参加で 当時、流行していたDSもムシキングも持っていないので置き去りや仲間はずれも良くあった。
だから、早く参加したい 仲間はずれが何より嫌だった僕は 「宿題がない」と嘘をついて遊びに行っていた。
その嘘がバレたのだ。
まず、母親に怒鳴られて泣き その後親は 僕を平手打ちで吹っ飛ばし
泣きながらごめんなさいと何度も何度も叫んだが 頭を叩かれ 蹴られての繰り返し 最後に父親に外に出ていろと夜中の10時に言われ 玄関の外に追い出された。
外は、15センチほど雪が積もっていて 息は白くなり 着ている服は
薄い部屋着一着。
最初は、すぐ入れてくれる 誤り続けたら入れてくれる そう信じていた。
でも20分、40分経っても部屋に入れてくれない。
次第に なんでだろう なんでだろ 自分はいらない人間なんだ
お金がかかるだけの人なんだ でも助けてほしい 死んじゃうと考え始めた。
そのとき裸足で 15分ほどあるいた公衆電話で警察に電話をかけた。もちろん 保護され自宅に引き取られたが 引き渡すときに「こんな事で警察を呼ぶんじゃない」と言われたことが一番ショックだった。
助けてくれないんだ・・・って
10年前の当時は虐待と言うことが一般的に認知されておらず あくまで暴力は躾けの一部という考えがほんのり残っていた時期なので仕方がないと今なら言える。でも 当時の僕は絶望した。



よろしければお願いします!今後の励みにしていきます!