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読書|誤解されても放っておく

先日は、
懐かしいのスイミングコーチたちとの
集まりがありました。

そのときに
こちらの本を先輩コーチから
オススメしてもらったので
読ませて頂きました。


一部をご紹介させて頂きます。

・「沈黙されること」の恐ろしさ

相手をがっかりさせてしまったにもかかわらず、その相手は何も言ってこない。それは、大したことではないと受け流しているのではない。何度もがっかりさせられた末に、全てを諦めて目を背けているのだ。
あなたに気持ちを注いでも無駄だと、線を引いている。人が人を諦めると、もう取り返しがつかない。
信じるたびに、とことん裏切られたから、遂に諦めてしまった。こうなると、もう手遅れだ。今さら、どんなに優しくしても、二人の間に嬉しいことがあっても、どうしてもがっかりした記憶と繋がってしまう。これはまさに生涯続く「呪い」だ。
人間関係で相手をがっかりさせるのはいくらでも、何度でも起こりうる。でも同じ失敗は繰り返さない方がいい。これは人との関係において欠かせない努力だ。相手を沈黙させないことは、最低限のルールだから。

流してもらっているから大丈夫、、、と勘違いしないように、これからも改善改良を繰り返していこうと思います。

・誤解という人間関係のふるい

ささやかな誤解でこじれる関係。まるで誤解が生まれるのを待ち受けていたかのような。軽い風でも吹き飛ばされてしまうような薄っぺらい関係。そんなものに傷つく必要はない。残った人たちと、実りある日々をつくっていけばそれでいい。

仲の良い人や信頼している人に対しては、何か誤解のようなものが生まれそうなとき、「あの人だから、何か理由があるのだろう。」と、思うようにしています。

・見えない無礼

自分の無礼を棚に上げて、相手が気難しいせいだと言う。ふてぶてしい顔で卑怯な手を使いながら当の本人は「何が問題なんだ!」と開き直っている。
それどころか「そっちが、必要以上に神経質なのだ」と、こちらを変人扱いする。良心がないのではなく、自分の無礼に気づいていないのだ。そこまで深く考えたことがないから。

「無礼な態度」の感じ方は人それぞれ。ある意味、これは「人との距離感」の違いと同じなのかもしれません。「親しき仲にも礼儀あり」のことわざにも、この意味が入っているかもしれませんね。

・目の前の出来ることからやる

悩んでも仕方がないことを悩み続けると、かえって1日1日が疎かになる。考えるの辞めたからといって、人生が止まるのではなく、むしろ人生が進むのだ。

この言葉、凄く染み込んだ言葉です。今までの私は「こんな自分が、前に進むためには、どうやって生きていけば良いのか?」と考え続けてきました。何をやってもうまくいかった自分は、みんなより考えなければ、前には進めなかったからです。しかし、この言葉に出会ったことにより、「ときに前に進むために、考えることを辞める」のも大切なのだと、思えるようになりました。

・心配が増えれば逃すものも増える

心配すればするほど、うまくいくか。いやむしろ逃すものが増える。不安になって早合点するからだが、そんなときは一度、気持ちを改めよう。そうすればいろんなことが見えてくる。
「心配して心配がなくなるなら心配もない」と言われるように、心配とはキリがないものだ。起きてしまったことは認め、先のことは怖がらずに受け入れる。そうして初めて、キリのない心配事から自由になれる。なるようにしかならないのだと吹っ切ることで、自分を解放するのだ。起きることを淡々と受け止めて、自然な現象なのだと思えば、意外にも、心はずっと軽くなる。

心配事から自分を解放する。夜にぐっすり眠る秘訣かもしれませんね。

・いい加減な関心を相手に向けない。

中途半端な関係性は、余計関係を悪くする。例えると…、体調が悪そうな人に、いくら心配そうに声をかけても、「間違った名前」で声かけしたら…、むしろ逆効果だ。

確かに!その通りです!!中途半端な関係性や中途半端な気遣いは、かえって反感をかってしまうこともありますね(笑)


以上になります!

気になる方は、
是非、書店で手に取ってみてください。

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