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森の中に置いてあるピアノーー一色まこと著『ピアノの森 1-3巻』を読んで

 一色まこと著 講談社モーニングKC 2005年出版
 本屋さんで働いてた時、上司の人が定期的にこのマンガの新刊を購入してたのがずっと頭に残っていて、最近いろいろマンガを読み始めた私としては、昔のマンガの方が面白かったんじゃないかとちょっと思って、このマンガ全巻メルカリで購入した。

 まず、一巻から三巻までの話だが、主人公の海という少年は小学校に通っていて、その母親が淫乱売女でその二人の関係が主軸といえる。息子の海が好きなピアノは森にあって、そのピアノは普通の人は弾けない。でも海はなぜか音を出すことが出来るという話がこのマンガの要点。海が通う同じ小学校の子には真面目な家族でピアノをまともに習っている子がいるんだが、その子との対比が主に、この三冊には書かれている。そこに登場するのが、阿字野先生という謎の先生で、その人は昔有名なピアニストだったらしいが、指を故障したらしく、ひっそりと引退して小学校の先生をしているという設定である。

 海という息子と売女のお母さんのやりとりも、すごくグッとくるし、そのお母さんも沿線の売春婦宿のようなとことで生活しながら、息子のピアノが聞きたいというところもなんか、涙がでる。

 このマンガの主題は、マンガのタイトルに「ピアノの森」から分かるように、森においてあるピアノが重要な役割を果たしている。彼女の息子、海は誰も音が出せない森のピアノを弾くのだが、そのピアノを弾いているときの音が「パン、パン、パン」というオノマトペで表現されているのが私は気になった。「森においてあるピアノ」と「ピアノの森」という言葉の関係はなにか意味があるのかな、と思うが、ピアノという楽器がオーケストラの中では独立した存在なのではないか、という人が多いのでそこがちょっとポイントなんじゃないかな、と思うが、こんな屁理屈こねた話ではなく、もっとぱっと閃きで「ピアノの森」っていうタイトルに決めたのかもね、と思う。

 私が一番、気になったのは、このマンガの三巻目に出てくるショパンがなかなか弾けない海くんの描写だ。阿字野先生はショパンを弾くために単純な指の運動の練習が必要と言って、ずっと練習させるのである。

 私個人のピアノを弾いてきた歴史としては、高校生の時にとっくに終わっているのだが、最終形態がショパンの曲であった。人にプレゼントをするときに弾くのだよ、と教わったのがショパンだったのであるが、それって、指を動かす練習の元にないと弾けない曲だったのかな、とちょっとこのマンガを読んでいて思った。

 『ピアノの森』この先が気になる。


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