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『バンクシー アート・テロリスト』を読んで

毛利嘉孝著 光文社新書 2019年出版

 バンクシーのこと知りたいと思っていたら、毛利嘉孝さんが本出版していたので、購入した。

 

ストリートに残された作品に値段をつけるというのは、私自身は正しいストリート・アートの評価とは思えません。ストリート・アートは現実的にどうなっているかはさておき、原則的にはアート・マーケットの外にある自律した空間であるべきだと考えるからです。

p. 253

とあるように、ストリート・アートははっきりとアート・マーケットの外にあると主張。東京の壁にネズミの絵が発見された時も、値段はどのくらい?とたくさん聞かれたそうだ。バンクシーってそういうもんじゃないだろ、と思うと同時に、そういう狭間にいるアーティストではあるよな、と思った。

 また、「バンクシーのアート・マーケット批判やオークション批判自体がある時期から反復的になり、ある種のシニシズムが色濃く出るようになっているからです。」とあったが、まさにバンクシーがアートマーケット批判をするのと同時に、それでもアート市場で評価される存在でもあるからだ。

 そして、グラフィティやストリート・アートは伝統的な美術が持っている署名や正統性オーセンティシティを前提とした表現活動とは異なった広がりと想像力を持った世界だという。だから、バンクシーの名前が広がっていることが不自然に思う。アーティストの固有性と匿名性にもつながってくる。グループで活動してるんじゃないか、と私も考えていて、それでいてここまで匿名性を守っていられるのもすごいな、と思った。

 建物にバンクシーの名前をつけたイギリスの幼稚園にある日突然、壁に絵を描いて、子供に対する愛情を見せることもやってて、なんかバンクシーっていい人なんだな、と率直に思えることもやっていて、彼の作品の支持をしたい気持ちもある一方で、世の中の盛り上がりようにはうんざりしつつもある。

 グラフィティだけでなく、ディズマランドというディズニーランドをもじった暗黒の施設を作ったり、美術館に自分の作品展示しちゃうとことか、まさにブラックユーモアがあるんだな、と思う。でも、バンクシーの絵を見にいくために旅行したとかいう話を聴くと、バンクシーの絵ってそういう風にみる価値ってあるんだろうか、と考えてしまう。

 コレクターにブラット・ピットとアンジェリーナ・ジョリーがいたり著名人収集家もいるらしいが、バンクシーてどこかそういうのにはそぐわない気がして、本人も、そういう人たちをバカにしたことやってるのは確かであるが、そこに面白さもある。一説には、マッシブアタックの人なんじゃないかといううわさもあるらしいが、ここまで謎の男として世に広まるそれ自体が、パフォーマティヴである。

 友人が、九十九里にいったとき、バンクシーっぽい絵があるって写真送ってくれたけど、それは、東京の壁にネズミが描かれていた時に、同時にあっちこっちで発見されており、誰かが、ふざけてバンクシーを模して落書きしたのではないか、と思われるものらしい。小池さんがツイートしたネズミの絵は、本物と思われるらしい。当時、かれは日本にいたのではないかと思われる、と毛利さんはいっていた。

 ここまで匿名性が保てたままで、世界的に有名になる人は珍しいように思う。それでいて、アートの世界でどこまで、マーケットと関係を築いてくんだろうとも思う。彼のような、作家というかアーティストというか、戦略的で自由奔放にやっている人はあんまりいないので、私は応援したいと思う。


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