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今宵、Storiaにて

*「第一回 あたらよ文学賞」応募作品。
 一次選考に落ちたものの、惜しかった作品として講評をいただきました。


 また、同作はノベルアップ+でも公開していますので、お好みのサイトでご覧ください。



 その店は、ビジネス街の中に隠れ潜むように建っている。日が沈み、人工の灯りに照らされた街中を歩くと、都市部であればよく見るような普通の雑居ビルが見えてくる。

 その入り口手前に地下へと続く階段がある。壁に据え付けられたランプの灯りが、地下へ誘うように揺らめいている。その灯りを頼りに階段を降りると、行く先に黒いドアが見える。

 ドアの上に吊るされたランプの灯りが反射し、光沢感ある黒色がより際立つ。目線と同じぐらいの高さに掲げられた表札には、

Storia

 と筆記体の英字が白く書かれている。金色のドアノブに手をやり、店の中へ入ると──────

「いらっしゃいませ。ようこそ、ストーリアへ」

 ここは異世界なのか。そう思わされるのは、ひとえに目の前の女性が浮世離れした美しさを放っていたからだろう。

 まず目につくのは真っ白いドレス。エジプトの民族衣装であるガラベーヤを身にまとった彼女は、浅黒い肌に彫りの深い顔立ちをしている。また、彼女はカウンター席のスツールに腰掛けているが、その座り姿が完璧だ。ピンと伸びた背筋、膝の上に置かれた両手、斜め前に出された脚。どこを見ても乱れが無い。

 女性が小首を傾げて、長い黒髪がかすかに揺れる。彼女の青い瞳と視線がぶつかる。その透き通った瞳を見つめると、魂が抜け出てしまいそうになる。

「どうぞ、お掛けになってください。今宵は、どのような物語をお求めですか?」

 吹き抜ける風のように爽やかな声音で女性は尋ねる。その声に思わず惹きつけられてしまう。

 ここはオフィス街の中に隠れ潜む秘境。お酒ではなく、物語``に酔いしれるバー「Storiaストーリア」。そこへ偶然にも訪れたアナタ```に向けて、当世のシェヘラザードによる朗読が今宵も行われる。

 ガラベーヤの女性に勧められるまま、アナタはカウンター席に座る。入り口側から数えて二つ目の席、女性の席から左へ二つ離れた場所だ。営業はしているようだが、他の客はいないらしい。ゆったりとした曲調のクラシックのBGMが聞こえる。

 店内は長方形のような間取りで、横幅は狭く、入り口から店の奥へ向かって細長い構造になっている。店の中心を遮るようにカウンターテーブルが置かれている。カウンター席が七席で、テーブル席は無いようだ。天井から等間隔に吊るされたランプが、天井や床の木目を淡く照らす。

 入り口から見て右側、カウンターの真向かいには二メートルを超える高さの本棚が壁一面に据え置かれている。文庫、新書、ソフトカバーにハードカバー、大判サイズと判型ごとに本が並べられていて、持ち主の几帳面さが窺えた。

 この店には、女性の他にもう一人の従業員が居る。女性の正面に立っているその人は、白のワイシャツに黒のベスト、黒いパンツとバーテンダーらしい出立ちだ。また、ポマードで固めた黒髪のオールバックに、整えられたアゴ髭と併せて見ると、男性的な色気が品良く感じられる。

「お客様、当店のご利用は初めてでしょうか?」

 バーテンダーの声は低音で落ち着いている。女性の声に負けないほど、聞き心地の良い声だ。アナタが首肯すると、バーテンダーは「左様でございますか」と微笑む。

「それでは、まず当店のシステムについてご説明をいたします……と、申し遅れました。私はこの店のマスターを務めている本屋敷もとやしきと申します。以後、お見知り置きを」

 そう言って、バーテンダー、もとい本屋敷は会釈する。それから、バー「Storia」について説明をし始めた。

 この店では「ワンドリンク・ワンストーリー制」というオーダー方式を採っている。一杯のお酒を頼むと、一篇の物語をセットで読み聞かせてくれる。言うなれば“お酒のアテ”として物語が提供されるというわけだ。
 いちおう食べ物のアテもメニューにはあるが、メインとなるのは物語である。それを読み聞かせてくれるのが女性とのこと。彼女の名前はガザルといって、語り部としてこの店で働いているようだ。

 ガザルは、お客さんの要望に応じた物語を語ってくれるそうで、その内容は全てオリジナルの話だという。しかも、オーダーから語り始めるまでの時間は数分から十分程度という速さ。プロの創作者も顔負けである。

 説明を聞き終えて、本屋敷がメニューを手渡してくれた。マス目が印刷された表紙はまるで原稿用紙のようだ。メニューを開くと、様々な品名が書き連なっている。その中で一風変わったモノを見つける。
 『走れメロス』『吾輩は猫である』『檸檬』などと書かれたソレは、どうやらこの店のオリジナルカクテルらしい。どれも日本の文学作品の題名から取られた品名ばかりだ。名前だけで見た目は想像できないが、本屋敷によれば直感で選ぶお客さんが多いとのこと。アナタもそれに倣い、目に留まったカクテルを注文することにした。

 注文を受けた本屋敷は速やかにカクテルを作り始める。ベースとなるジン、スミレの花のリキュール、レモンジュースをシェーカーに注ぎ込む。そこへ氷を加えて、シェーカーを振る。クラシック音楽が流れる店内に、小気味良いシェイクの音が響く。

 この間、ガザルはカウンターの後ろの棚を眺めていた。棚には様々な酒瓶やグラスが整然と並べられていて、その合間に『アラビアン・ナイト』の魔法のランプがひっそりと飾られているのが見える。彼女の表情は微笑んでいるようでいて、何かを憂いているようにも思える。

 シェイクの音が鳴り止んだ。本屋敷はシェーカーの蓋を開けて、その中身をグラスへと注ぐ。スミレの花を想起させる薄紫色のドリンク。そこへ、本屋敷が何かを振りかける。キラキラと輝いて見えるソレは金箔だ。

 マドラーでドリンクをかき混ぜた後、「おまたせいたしました」とテーブルの上にグラスが置かれた。このカクテルの名前は『銀河鉄道の夜』。その見た目は、さながらジョバンニとカムパネルラが銀河鉄道の車窓から眺めた天の川銀河のようだ。

 アナタは、出されたカクテルを一口呑む。花の香りが漂い、柑橘系の風味にほんのりと甘さが感じられる。口に当たる金箔が気になるが、本屋敷によれば食用の金箔とのこと。嚥下すると、アルコールが身体に染み渡っていくのが感じられた。

 カクテルの味を噛み締めていたところ、ガザルがアナタの方へ顔を向けた。

「お客様。ご希望の物語は何かございますか? 大まかなテーマだけでも構いませんし、年代・舞台・登場人物など細かに設定していただいても構いません」

 そう問われて、ふとアナタの頭によぎった言葉は──

「“夜”ですね。承りました。それでは夜に関する物語を生成``いたします」

 ガザルは、ロダンの『考える人』のようなポーズを取って、沈黙し始める。

 それから数分後。「お待たせいたしました」と言って、ガザルは『考える人』のポーズを解いた。

「これより、“夜”にまつわる物語を語らせていただきます。どうぞ最後までご清聴くださいませ」

 ふと訪れる沈黙。たった数秒の時間が、店内の空気を一変させた。ガザルを初めて見た時と同じ感覚、異世界へ迷い込んだかのような感覚を再び覚えたアナタ。店内のありとあらゆるモノが意識の外に追いやられて、ただガザルの声だけが聴こえてくる。

「昔々、あるところに一人の少年が居ました。少年は、両親と共に何不自由の無い生活を送っていました。

 そんな彼には、ある日課があったのです。それは、毎晩自分の部屋の窓から月を眺めることでした。手の届かない遠くの空にある月は、少年にとっては昼の太陽に負けないほど眩しい存在でした。三日月に半月、満月に新月。はたまた雲に隠れて姿を見せない日もあり、月はいつ見ても違う顔を覗かせてくれました。毎晩欠かさず月を眺める少年は、すっかり月に魅了されていたのです。

 いつしか少年は、なんとかして月に近づきたいと思うようになりました。そこで、少年は月について勉強し始めました。

 月は地球の周りを回っている星で、その見た目が変わるのは月と地球と太陽の位置関係が原因とのこと。月と太陽の間に地球がある時、月が太陽の光を反射している部分が地球から見える。一方で、月が地球と太陽の間にある時、月の影になった部分が地球から見える。そのため、月が満ち欠けしているように見えるのです。

 月のことを知れば知るほど、少年の月に対する想いはますます募っていきました。少年は、もっと月のことを知りたいと思うようになりました。

 その頃、少年は学校へ通っていました。しかし、月のこと以外には全く興味を示さないため、成績は芳しくありませんでした。また、一人で黙々と月のことを調べていた少年は、友達付き合いを疎かにしていました。少年は、学校で孤立していたのです。

 それを見かねた少年の母は、少年に忠告しました。

“人の縁は、アナタの人生の宝物になるの。友達をたくさん作りなさい、とは言わないけれども、もっと周りの人と関わりを持つべきよ。”

 また、少年の父も忠告します。

“おまえが夢中になれるものを持っていることは良いが、それで目の前のことを蔑ろにしてはいけない。これから生きていく上で何が必要になるか分からないのだから、もっと学業に努めなさい。”

 そんな両親の言葉に、少年は聞く耳を持ちませんでした。自分の夢には価値が無いと言われたように感じたからです。それから、両親とも距離を置くようになった少年は、学校だけでなく家庭内でも孤立するようになってしまいました。

 ある晩、少年はいつものように部屋の窓から夜空を見上げて、月を眺めようとしました。しかし、月は見えませんでした。その日は雲がかかっていて、月だけでなく星も見えなくなっていたのです。唯一、心の支えになっていた月さえも見放されたように感じた少年は、孤独に苛まれてしまいます。嗚咽は無く、少年は静かに涙を流しました。

 その時です。

“泣かないで。”

 少年に呼びかける声が聞こえました。少年が声のする方を向くと、そこには綺麗な女性が立っていました。少年にとって見知らぬ女性でしたが、なぜか少年はどこかで会ったような気がしました。

 アナタは誰なのか、と少年は尋ねました。すると女性は微笑んで、

“ワタシは月です。いつもワタシのことを見てくれているキミのことが気になって、地上に降りてきたのです。”

 と答えました。なんとも突飛な発言でしたが、少年は不思議と女性の言うことを信じました。少年が感じた懐かしさというのが、月を眺めていた時の気持ちと重ねられたからでしょう。

“アナタがワタシのことを想ってくれていることは知っています。そのひたむきな想いはとても素晴らしいものだと思います。しかし、ワタシのためにアナタ自身の人生を蔑ろにしてしまうことは見過ごせません。アナタには、もっと周りの世界に目を向けてほしいのです。”

 女性の忠告は、少年の両親が語った内容と同じでした。それに気づいた少年は、このヒトも同じことを言うのかとガッカリしました。

 そんな少年の心境を察したのか、女性は困ったような笑みを浮かべました。

“アナタのご両親は、アナタに幸せになってほしいと思っているから、ワタシと同じことを言ったのです。夢を追いかけることは大切ですが、そのために目の前の生活を疎かにしてしまっては、夢を追う途中で挫折してしまうことになるでしょう。

 人が他者と繋がりを作るのは、人が一人でできることがごく限られているからです。一人だけではわずかな力も、何人も集まることでより大きな力になります。そうして力を合わせて、アナタたち人間の社会は作られているのです。

 人が何かを学ぶのは、人間社会の中で生きていくのに必要な知識を得るためです。アナタが学校で教わる読み書き・計算は、人間社会を上手く成り立たせるためには欠かせない知識です。それらを土台として、この世界の成り立ちや人間社会の歴史などを学び、自分が人間社会の一員であることを自覚していくのです。

 もちろん、アナタのように知的好奇心を満たすために学ぶ者もいます。しかし、知識とは様々な分野が密接に関わり合って構成されるもので、特定の分野のみ学べば修得できるわけではありません。文献を調べるためには読み書きができなければいけません。また、情報を整理して体系化させるためには数字を上手に扱う必要があります。そのために考案されたのが計算術なのです。

 知識というのは、ただ学ぶだけではその真価は発揮されません。自身の社会生活の中で体験したことと照らし合わせて、生活をより良いものにしていく。それだけでなく、得た知識を活かして、社会をより良くするための道具や構造を生み出すこともできます。知識は自分のためだけでなく他者のためにも活用できるのです。

 他者との繋がりも、学校での学びも、どちらもアナタが生きていく上で欠かせないものなのですよ。”

 女性は優しい口調で、少年を諭しました。それを聞いていた少年は、女性に対する反発心が和らぎ、少しずつ女性の言うことを受け入れられるようになっていました。それとともに、両親の言っていたことにも納得がいくようになりました。

“アナタ自身の人生を大切にしてほしい、と伝えるためにワタシは地上へと降りてきました。図らずとも、これでアナタの夢は叶ったのではありませんか?”

 そう言われて、少年が気がつきました。確かに、月の元へ行きたいという少年の夢は既に叶っています。であれば、少年はもう夢みることを終えてしまうのでしょうか。

“いいえ、ボクの夢はまだ終わっていません。なぜなら、ボク自身の力でお月さまの元を訪れていないのですから。今度は、ボクの方からアナタの元へ行きましょう。それがボクの次の夢です。”

 少年の言葉を聞いた女性は、慈愛に満ちた笑みを浮かべました。

“それは楽しみです。アナタがワタシの元を訪れるまで、いつでもアナタを見守りましょう。”

 そして、女性は霞のように消えてしまいました。少年は、女性がどこへ行ったのかと周りを見渡しました。すると、部屋の窓から明かりが差し込んでいることに気づきました。外を見ると、夜空には立派な満月が浮かんでいたのです。

 お月さまはボクのことを見守ってくださっている。そう実感する少年は、その日を境に月のこと以外の勉強にも打ち込むようになりました。調べることに関しては人一倍実践してきた少年だったので、みるみるうちに成績を上げることができました。
 また、少年の変化を目の当たりにした周りの同級生たちは、一体何があったのかと少年に尋ねました。今までまともに会話を交わすことの無かった同級生たちに圧倒される少年でしたが、しっかりと受け答えをするように努めました。もちろん、月との語らいについては秘密にして。

 少年の両親は、少年の変わりようを見ては喜んでいました。学業も人付き合いも頑張るようになった少年のことを、精一杯応援しました。その想いは少年の心に届き、家族三人は仲睦まじく暮らすようになりました。

 いつかお月さまに再び会う日のため、少年は努力を積み重ねていきました。彼の人生は、月の光にも負けないほど眩いモノとなっていったのです────」


「────今宵の物語は、これにて終わりでございます。お耳に合いましたら幸いです」

 ガザルの朗読が終わり、物語の世界から現実の世界へと引き戻される。しばらくの間、語り通しだったというのに、ガザルの声は変わらず綺麗だった。

 ずっとガザルの声に聴き入っていたため、アナタはカクテルが既に空になっていることに今気がつく。

「今の物語はどうでしたか。楽しんでいただけましたか?」

 本屋敷が尋ねる。アナタが素直な感想を述べると、本屋敷は「そうですか」と笑みを浮かべる。それから間も無く、本屋敷は真剣な表情に変えた。

「実は、お客様にお伝えしなければならないことがございます」

 本屋敷は姿勢を正し、アナタに向き合う。

「たった今、朗読をしていたガザルなのですが、彼女は人間ではありません。命令を与えることで物語を自動的に生成する人工知能。物語生成型AI『シェヘラザード』。それがガザルの正体なのです」

 唐突な告白に、アナタは戸惑ってしまう。本屋敷の表情や口ぶりは至って落ち着いていて、冗談を言っているようには見えない。しかし、にわかには信じられない話だ。

「もっとも、急にこんな話をしても信じられないと思います。なので、証拠をお見せいたしましょう」

 そう言って、本屋敷はカウンターを出て、ガザルが座る席まで近づく。すると、ガザルの長い黒髪を持ち上げた。褐色のうなじが露わになり、そこには一円玉硬貨ほどの大きさのボタンがあった。

「このボタンは電源のスイッチになっています。まぁ、外側から見える機械らしさはこのボタンぐらいですけどね。ガザルの操作はタブレットで行いますし、充電は椅子型のワイヤレス充電設備を使います。ガザルのハードウェアは高性能なアンドロイドを導入しているんですよ」

 そう説明する本屋敷はどことなく楽しそうに見える。ただ、説明を受けてもアナタはまだガザルが機械であることを信じられないでいる。いくらなんでも、人間にそっくりなロボットだなんて現実味に欠ける。まるでSFの世界だ。

「まだ信じていただけていないようですね。お客様の世界``ではどこまで技術が発達しているかは存じ上げませんが、私どもの世界``では人間と遜色ないアンドロイドが一般的に普及しているんです。なので、この場所ではこういうのが当たり前なのだと受け入れていただく他ないのです」

 本屋敷の話しぶりからすると、まるでこの店がアナタのいた世界とは違うところにあるかのように聞こえる。ここは本当にただのバーなのか。それに、アナタの目の前にいる本屋敷という男は何者なのか。アナタの心に疑念が湧き上がってくる。

「何か訊きたいことがあるようですね。いいでしょう。元より、お客様にはお話ししたいと思っていましたから。それに、私はお喋り好きなんです」

 冗談めいた口調で、本屋敷は肩をすくめる。

「でも、その前に飲み物をおかわりしませんか? ここからは個人的なお話をするだけなので、お代は頂戴しません。チェイサー代わりにオレンジジュースなどはいかがでしょう」

 不審に思いながらも、アナタは本屋敷の提案に従ってオレンジジュースを頼む。ジュースはすぐに出された。

 店内に、ブルースのBGMが流れる。朗読を終えたガザルは、電源が切れたかのように動きを止めている。

 本屋敷はまるで世間話をするかのような気軽さで、己が身の上話を語り始める。

「まずはこの店を始めた理由から話しましょうか。その理由は、物語を皆で共有し、楽しめる場所を提供したかったからです。

 私は今でこそ、しがないバーテンダーを勤めておりますが、大学生の頃は文学部に所属し、日本文学の研究に明け暮れるほどの文学好きでした。文芸サークルにも所属し、ひたすら小説に没頭する四年間を過ごしていたんです。

 その四年間で、同じ文学好きの仲間とたくさんの物語について語らいました。純文学やエンタメ小説といったジャンルは問わず、各々でこれは面白いと思った作品を持ち寄って、皆で感想を言い合いました。同じ本を読んでいるのに、皆の意見はまるで食い違うことが多いんです。ですが、その食い違いが面白かった。私一人だけでは思いつきもしなかった発想が次々と飛び交い、普通に読書をした時の何倍もの刺激を得られました。

 ただ、これだと事前に本を読んでこないといけないでしょう。皆で感想を言い合うまでは一人で黙々と読書をする他ないのです。それでは真に物語を共有しているとは言えないんじゃないか。そう思った私は、次第に読書を行う時から皆で一緒にいられる空間があればいいなと思うようになりました。その結果、この『Storia』という店が誕生したんです。

 店をバーにしたのは、お酒や料理を介することで話に花を咲かせられるだろうと思ったからです。食事というのは不思議なもので、人と人の距離を縮める作用があります。家族と食べる食事、学校の給食、会社やサークルの飲み会など。誰かと一緒に食べるご飯というのは、単に栄養を摂ること以上の意味があると感じます。

 今の時代、インターネットを使えば、いつでもどこでも誰とでもコンテンツを共有できます。ですが、人と人が直に顔を合わせて、同じ空間内で同じ時を過ごすことに意義があると私は思うんです。と、そんな大層なことを言いつつ、お恥ずかしながら、大学を卒業するまではバーのことはおろか、経営のけの字さえも知らなかったものでして、この店を開くまでにはかなり苦労しました。

 実際にバーで働きながら、経営について勉強する日々を続ける中、ふと思ったことがありました。既存の作品を読み合うと、どうしても個人の趣味嗜好に合わないものが出てしまう。それも醍醐味の一つだとは思いますが、どうせなら皆で楽しめる作品を提供したい。ただ、実現させるのは非常に困難です。

 私も文芸サークルで物書きをしていたので、物語を創る難しさは身に染みて分かります。アイデアを出すことから始まり、物語の構成を考えて、登場人物や世界観の設定を練り上げて、文章を書いていく。物語を創ることは即ち架空の世界を創り上げることと同じ意味です。世界を一つ創るためには、自分の頭にある知識だけでは圧倒的に材料が足りません。先人たちの作品を読んでは世界の創り方を学び、リアリティを持たせるために多様な資料や文献を読み、自分だけの物語を生み出していくのです。

 しかし、科学の進歩とは凄まじいもので、小説やイラストといった創作物を生成するAIが開発されるようになりました。それはお客様の世界にもある技術でございましょう。AIには創作活動のような知的生産はできないだろう、と言われていた時代もありましたが、今となってはAIが小説やイラストを高品質で生成することができるようになっています。

 それに目をつけた私は、AI開発に長けた友人のツテを借りて、ガザルの脳、AI『シェヘラザード』を製作しました。また、AIが生成した文章をディスプレイに映し出すだけでは芸が無いと思い、ロボット製作の研究所の協力を借りて、ガザルの身体となるアンドロイドを製作しました。その見た目は、『アラビアン・ナイト』に登場する語り部、シェヘラザードをモデルにしました。もちろん、AIの製品名も同様です。

 シェヘラザードを模したこともあり、生成された物語を朗読する形で物語を提供することにしました。文章よりも音声の方が皆で共有しやすいですし、何よりムードが出ます。ムードというのはお酒の場では結構重要なことなんですよ。ムードが欠けた場所だと、お酒の酔いが覚めてしまいかねないのでね。

 ちなみに、ガザルという名はアラビア語の名詞ğazalから取っています。この名詞は恋愛を主題とした抒情詩を意味する言葉ですが、その原義は“紡ぐこと”。この原義を想定して名付けたのです。

 こうして『Storia』とガザルは誕生したのですが、AIによる創作にはいくつもの問題が孕んでいます。小説にしろイラストにしろ、創作のための予備知識となるサンプルデータが大量に必要となります。そのデータはネット上から取得することは可能ですが、著作権の問題があります。私の場合は、著作権が執行した作品や自分で書いた作品、さらにはサークルの仲間から許可をもらった作品をサンプルとして使用しました。

 著作権の問題はこれでクリアしたとしても、そもそもAIの創作というのはあくまで記号の組み合わせであることに留意しなければいけません。前提として、サンプルから学習した情報を元に、AIが小説らしい文章、イラストらしい画像を生成しています。そこに、人間ならではの思惑や情念は存在しません。そのことに物足りなさを感じる人がいたとしてもおかしくはないでしょう。

 私が思うに、物語を創るという行為は、創作者と鑑賞者の心と心が混じり合うことに意義があるんです。創作者が物語に託した想いと、鑑賞者がその物語を読んで感じた想い。両者は相性良く融和することもあれば、相容れず反発することもありましょう。どちらにせよ、創作には心が必要不可欠なのだと思うんです。創作とは、いわば創作者と鑑賞者が作品を介してコミュニケーションを図る行為と言えるのかもしれませんね。

 では、ガザルが物語を創ることは無意味なのでしょうか。否、私は意味があると思っています。『Storia』とは、人々が物語を愉しむ場所であると同時に、ガザルが物語を生成するための“訓練”の場所でもあるのです。お客様方からの要望に応えるたびに、ガザルは物語の創り方を学習していきます。
 これを積み重ねることで、人間の創作者に負けないほど感動的な物語を創り出すことができるのではないか。機械に心はありませんが、機械が生み出す物語に心が宿ることがあるかもしれない。それこそ、猿が無限の時間を費やしてタイプライターを叩き、シェイクスピアの戯曲が出来上がるかのように。

 そのような考えから、『Storia』を経営してきました。すると、不思議なことが起こるようになりました。私どもが生きているこの世界とは異なる世界`````の人が、この店に訪れるようになったのです。ちょうど、アナタと同じように。

 その人たちの話を聞くと、気づけば雑居ビルの前に立っていて、何かに誘われるようにこのお店へ入って来たのだといいます。訪れる方々の年齢も職種もてんでバラバラです。なぜこのような現象が起きるのかは、私にも分かりません。ただ、これは憶測に過ぎないのですが、この現象は人ならざる何かの導きなのではないかと思うのです。言ってしまえば“神”のような存在が、この店と他の世界の住人たちを引き合わせているのだ、というのはさすがにオカルトじみてますかね。

 もっとも、私としてはこの現象についてはさほど気にしておりません。どの世界の方々であっても、私がやることは何も変わりませんので。物語とお酒を提供し、憩いの場を作ること。ただそれだけです」

 本屋敷の話を聞き終えて、アナタ```は何を思っただろうか? 物語を愉しむためのバーに、物語を生成するAI。本屋敷によれば、それらは純粋に物語が好きな人たちのために作ったものだという。
 しかし、こうは考えられないだろうか。物語をお酒のアテとする行為は、物語を食べ物と同じように消費していることである。また、AIに物語を創らせる行為は、ローコストかつ大量に物語が生成できてしまうため、物語の消費を加速させてしまいかねない。

 大量消費社会と化して久しくなった現代。IT技術が発達したことにより、私たちは日常的に情報に触れられるようになった。あまりにも容易く情報を仕入れられるようになったため、無意識のうちに情報を消費``するようになってはいないだろうか。情報の消費、それが発展したものが物語の消費ではないか。

 物語を消費する、と言うと、どこか蔑ろにしているように感じてしまう。しかし、消費行為はなんらかの利益を得るために行っているはずである。食べ物を食べれば栄養が得られて、道具を使えば作業の効率性が高まる。情報を得ることは己の知見を広めることになる。では、物語を読むことで得られるモノは何か?

 アナタの考えを、ぜひとも目の前の本屋敷に伝えてほしい。アナタと「Storia」を引き合わせた理由は、まさにこのためだったのだから。

「────────────」

 アナタの言葉を受けて、本屋敷は目を見開いた。彼の心の内は窺い知ることができない。それから、本屋敷は静かに微笑んだ。

「ご縁がありましたら、また当店へおいでくださいませ。私もガザルも、心よりお待ちしております」

 会計を済ませたアナタは「Storia」を出た。階段を上がって外へ出ると、光が差し込んできた。いつのまにか夜が明けていたらしい。早朝の街は静まり返っていて、アナタ自身の吐息がやけにハッキリと感じ取れる。

 ふと後ろを振り返る。すると、それまであったはずの地下へ続く階段がキレイさっぱり無くなっていることに気づく。

「Storia」で過ごしたひと時は、果たして夢だったのだろうか。淡く光るランプに、カクテルの味、そしてガザルや本屋敷の声。どれも記憶に残っている。「Storia」は本当に異世界にあった場所だったのかもしれない。

 此度はこれにて店仕舞い。一夜の幻を思い返しながら、アナタは家路に着くのであった。

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