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ぼくとボブ・マーリー ③

ボブ・マーリーの言葉で「ガイダンス」という言葉がある。
人生においての出会い・別れ。これは人間において一番大きなものである。
人と人との出会いは偶然ではなく「ガイダンス」導かれているのではないだろうか。

そんなことをいま考えるようになった。

この物語は主人公「ぼく」が上京してからの、「様々なガイダンス」について描いている。

これを読んだらあなたの人生の「ガイダンス」を思い出してほしい。

【フクオカくん】

大学生になって半年が過ぎたころの夏だったろうか。
ぼくは、同じ大学で知り合ったカトウというお調子者の、ラガーマンに紹介され東京に来てからはじめてのアルバイトをすることになった。

場所はJR新宿駅の東南口改札内を出てすぐの雑居ビルの二階の居酒屋だった。

新宿というだけあり、金曜日土曜日は売上を50万ほど叩き出す繁盛店。包丁もろくに使ったことのないぼくは、調理業務を手を切ったりしながら悪戦苦闘しなんとか仕事をこなしていた。

「フクオカくん」は、ぼくの4つ年上のフリーターだった。
初めてあったときに、フクオカくんはバイトの休憩中でお店のカウンターに座り、マ○ファナのジョイントを巻いていた。
髪はサラサラで、ヘアバンドでそれを束ね中性的なルックスが目を引いた。

「なんだかかっこいい人だな。」

ぼくの最初のフクオカくんへの印象がこれだ。

「おれ、フクオカ。なんだGravisの靴?きみ、スケボーやるの?」

「はい、大学に入ってからはあまり乗れていないんですが地元にいた時にすこしかじってました。」

「そっかそっか、おれ新大久保にあるラブホテルを改造したランプでよく滑ってるから今度いこうよ!?」

フクオカくんは最初からやさしく、出会った頃から憧れの先輩だった。

バイト終わりによく二人で飯を食い、新宿御苑の近くにある彼がルームシェアしていた一軒家でよく遊んだ。ぼくがはじめてマ○ファナを吸ったのも、そこだ。今まで聞いたことのないクラブミュージックもたくさん教えてくれた。

そのシェアハウスには、全身入れ墨だらけの雑誌の編集者や、夜の街のSMクラブのお姉さんなども住んでおりぼくはビクビクしながら彼らとともに過したことを覚えている(笑)
でも、みんなとても温かく、田舎から出てきたばかりのぼくに優しくしてくれた。

「東京ってこんな世界があるんだぁ…すごい世界だぁ…」
当時19歳だったぼくは、新しい世界に毎日わくわくしていた。
バイトに行くのが楽しみで楽しみで、そのうち学校には行かなくなっていた。

フクオカくんたちといると、自分もイケてるような感覚になり、大学の友達たちに対してあまり興味を示さなくなっていたのかもしれない。

フクオカくんは、新宿区出身のスケーターで都内でも名の通ったスケーターだった。
あくまでぼくの主観であったが、自分の地元にはこんなにかっこよい先輩は、いなかった。
それくらい、彼は当時の自分には輝いて見えて、そのフクオカくんと遊んでる自分が誇らしかった。

一緒に働いて、遊んでの日々が一年半くらい続いてた後、フクオカくんはバイトを辞めてしまった。
ぼくはとても寂しかったことを覚えてる。

その頃には、ぼくもフクオカくんにつれられいっぱしのスケーターになっていたので、
「また滑りましょう!」 
と、約束しスケーターの挨拶であるグータッチをした。

先述したが、フクオカくんはぼくが
「このひとのようにカッコよくなりたい!」
と思ったはじめての先輩だった。

社会に周りに媚びず、自分の大好きなスケートボード中心に動いている彼が、大学という敷かれたレールを走っていた自分の人生に大きな影響を与えてくれた。  

あれから、15年ほど経ってぼくはスケートボードを辞めてしまった。

フクオカくんは、仕事もしっかり続けながら未だにバリバリ現役の滑りを見せている。

「好きなことにとことん一途」  

な男なのだ。 

ぼくにとってフクオカくんは、いつまで憧れる先輩なのである。

(つづく)

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