見出し画像

野田秀樹『フェイクスピア』観劇して戯曲読んで。あとどうしても好きな『風立ちぬ』について。(ネタバレあり)


今、東京芸術劇場にて上演している『フェイクスピア』。
高橋一生が主演で、他にも白石加代子、橋爪功など、とても豪華なキャストが揃っている。

私が観に行ったのはちょうど1ヶ月前くらいだ。
野田秀樹の作品を観るのは初めてだったというのもあるのか、すごい衝撃で、一度では消化しきれないといった感じだった。

寝ている時にすごく面白い夢をみていたんだけど、
目が覚めてしまったら綺麗さっぱり忘れてしまう。
あれ、今日の夢すごい面白かったんだけどなぁ、
という感じ。それに近い。

こんな事書いてしまったら色んな人に失礼なのかも知れないけど、まだ色々知識や経験が未熟な私にとっては“夢”のようで、抱えきれなかった。

しっかりパンフレットも買って読みまくったけどわからない。
野田秀樹が出会ったという「コトバの一群」とは…?

そんな風にもやもやしているとき、
月刊新潮に『フェイクスピア』の戯曲が掲載された!
それは間違いなく買うだろ!
その答えが載ってるだろ!

『フェイクスピア』の戯曲を読んで

(ここからは、読んですぐの新鮮な文章。
なぜか『風立ちぬ』も出てきて面白いのでそのまま書く。)

戯曲を読んで、それから、
ネット上の知らない人の劇評を読んだ。
野田さんが30年前に出会ったという「コトバの一群」とは何だったんだろう?
と、最初に見た時はよくわからず、
見当はずれな推測をしたりしてたけど、
やっぱり私はまだいろいろ未熟なんだなぁ。

「コトバの一群」とは、
あの飛行機事故の録音
そのものであって、
戯曲を読んでわかるとおり、
聞こえたまま、それを書いているのだ。
死の直前の生のコトバ。
それこそが真の言の葉だと、
野田さんはそれに感動したからこれをつくった、
ということか…

私は全然別角度からこの作品を解釈していて、
飛行機シーンより前の、
「死生観」とかについて。
私はそれこそが真で、考えるべきことだと思っていたけど、
実はそこは、この作品を作っていく途中で生まれた「フェイク」であり、
その「フェイク」が、「私」によって
意味を持ってしまった。
という感じだ。

だからコトバは面白い。
演劇は面白い。

野田さんが作りたかった部分を超えて、
「わたし」には存在しているし、横で一緒に観ていた友達にも、またその隣の人にも存在していて、
無限なのだ。

あーやられたな。
私はまた「フェイク」に踊らされ…。
「真」に近づくのはもっと先の出来事だ。
もっとフェイクを見定める能力を鍛えなければな。
豊かになろう。たくさん知った分だけ、
豊かな想像ができて
作者と心が通じたと思える瞬間は
どれだけ楽しいんだろう。

今本を読んでいて、「あ、今すごく集中していたな」
ってときって、それにあとから気づくんだけど、
『風立ちぬ』のワンシーンに近くて、

この紙から風が吹いていて
顔面で風を受けて
わたし座ったまま飛んでいきそう!!

みたいな感覚。
あれが、「集中」を可視化したアニメーションだな!
と思う。

そして、「自分が集中してる」ってすごく気持ちよくていい気分だ。
だからあのシーンを観ることでその気持ちよさを思い出すことができる。

こうして文章を書いているときも、
勝手に筆が動くような瞬間がたまにあって、
そういうときってマジで髪の毛ブワッてなってると思うし、瞳の中に光が一個増えてると思う。
それを表現しているジブリ!
ほんとすごいや!!

何で私はこんなに『風立ちぬ』が好きなんだろう、と思うんだけど、

「あー、好きだなぁ」って思うときって、
日常のふとした時にワンシーンを思い出してしまったりして、その時感じた感動をまた味わいたくなる時、だ。

わたしはそういうのが『風立ちぬ』に多くて、
主人公の声も、
菜穂子さんの美しい姿も、
震災のようすも、
いつも思い出す。

それが好きなんだよねぇ…。


途中からなぜか『風立ちぬ』への愛を綴っていました。変ですね。
変な自分を見つめるのは割と面白いです。笑

まあでもとにかく、観劇した時とか、自分なりの感想を持つけれど、わたしはよく自分の考えに凝り固まりがちなので、もっとシンプルにまっすぐに受け止めれるようになりたいです。
それにはもっと色々な知識が必要だし、年齢を重ねていくことによってわかってくることも多いと思うし。
だから私はこれからがすごく楽しみです。
これからもたくさん芸術に触れていく人生でありたいです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?