不器用で生きるのが下手でも人生はつづく

最近Twitterでバズっていた漫画「普通の人でいいのに!」を読んで、角田光代の「あしたはうんと遠くへいこう」という小説を思い出したので、その読書感想文を書こうかなと思う。
*「普通の人でいいのに!」と「あしたはうんと遠くへいこう」のネタバレがあります。

ちなみに、件の漫画を読んだ感想として、わたしは
「ああなんて人間て不器用なんだ…でもわかる、だから愛しい、わたしもあなたも生きるの下手くそだけど頑張って生きていこうよね…」
みたいな気持ちになった。なったんだけど、なんだか世間はこじらせサブカル女に厳しいようで、他の人の感想見てると、主人公に対する当たりがみんな結構きつい。まあそれはそれで一つの感想なので、そうなのか、、と思うだけなのだけど、自分の感想は割と少数派なんだなぁと気づいた。

わたしもああいう面倒臭いところあるし、主人公も自分で自分が面倒臭いってわかってるんだよね、特段悪いところもなければ惹かれるところも特にない、みたいな彼氏を好きになれなくて、でもそれって結局自分自身に対する評価であったりもして。

何者かになりたいけど何者にもなれない気がして、こういう人は自分探しの旅に唐突にでちゃう、でちゃうけどビザがなくて入国できないところがとても、人間の不器用さがでてて、何だか愛しくなるオチだな、と思った。

ここに自分はいない、ここに自分の居場所はない、と思って遠くに行こうとする。でも結局そこでも自分は見つからない。自分探しの旅といえば青くてイタい響きに聞こえるけど、でも人間ときにそういう馬鹿馬鹿しいくらいの遠回りをしないと何かに気づけないことってある。しかも苦労して遠回りしても、すぐには何の成果もなかったりして、その"遠回り"が効いてくるのは何年もあとだったりする。
生きることはどこまでももどかしい。

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「あしたはうんと遠くへいこう」の主人公も、そんな感じでとても不器用に生きている。読んでてまあまあ、恥ずかしくなったり辛くなったりする。でも知ってる、わかる、深夜に好きな男の子のことを考えながらカセットテープに自分の選んだ曲を録音していく、これを彼に渡して彼が夜中に自分と同じようにそのテープを聴くところを妄想する。とっても一方通行で青臭い、そんな高校時代から話は始まる。

この小説は各章のタイトルに80年代〜00年代の洋楽ロックの曲名が当てられていて、最初のその高校時代の話はThe Smithの「How Soon Is Now?」から始まる。

ちなみにわたしがこの本を古本屋の100円文庫コーナーから選んで買ったのも、この主人公とわたしの音楽の趣味は似ているな、と思ったからだ。(正直、そう言う理由で角田光代氏の本を買ったのはこれが初めてではないので、単純に角田光代氏とわたしの音楽の趣味が近いんだと思う)

だから、多分わたしのような(もしくはこの本の主人公のような)、よく似た人たちがこの本を読んできたのだろう、と思う。

わたしにはわかる、人生の各章にテーマソングをつけちゃうようなサブカル女の気持ちが。自分の人生もドラマや映画みたいに、BGMをつければドラマチックになるんじゃないか、とどこかで思っているのだ。BGMをつければ、何者でもない自分も、主人公になれるんじゃないかと、思っているのだ。

そういう考えはきっと側から見れば痛々しいのかもしれない。自分の人生に酔っているみたいで。でもわたしはそう言う人のことを愛しいと思ってしまう。BGMをつけて脚色してでも、自分の人生を愛そうとしているようにも見えるのだ。

大学に入って絵に描いたようなバンドマンと付き合って、自分はバンドはやらず音楽評をかくバイトをするも、何かが満たされなくて、周りに自分がバカにされているような気がして、アイルランドに旅に出たりしてしまう。(こういうところが、あの漫画とそっくりだ)

まあでも思いつきで飛び出したとはいえ、U2聴きながらアイルランドを自転車で旅するんだから、結構度胸があるなと思う。

帰ってきたら案の定彼氏は別の女と寝ていて、今度はクラブで出会ったヒッピーみたいな男と遊ぶようになる。主人公にもっとしっかりしなよっといつも最もらしい顔で言っていた女友達は既婚者と不倫をしている。

出てくる人出てくる人、全員が不器用に見えた。主人公だけじゃない、だれも上手くなんか生きれてなくて、誰もいわゆる"普通"の人生なんて歩めてなかった。

その後も年下の男の子とノリで付き合って浮気したり浮気相手にストーカーされて大変なことになったりと、他人も自分も傷つけながら、仕事も恋愛もフラフラしながら生きていく。でも彼女は自分の人生にBGMをつけることは忘れない。

30になるころまた別の男と付き合っている彼女はこう言う。

「でもね町子、今はうまくいってるよ、(中略)でもね、なんか最近、私さあ、自分占いみたいなことやってるのに気がついて」
「だれかとつきあいはじめるでしょ?ああこの感じ、のぶちんのときと似てる!とか、思うわけ。もしくはさ、ポチと似てるー、とかあの時の彼に似てる、とかさ。相手の人柄じゃなくて、2人の関係性がね。そーすっと、どんなふうに終わるか予測ついちゃうんだよねー(中略)自分の経験のなかで占ってることに気づいたりする。」

今までの経験則の閉じた輪の中からもう脱出できないような、諦めを感じ始めるのだ。きっとまた似たような理由で終わりが来るんだろうと、同じトラックを何周もただ走っているような気持ち、これからもこの同じトラックをぐるぐる走るだけの人生が続いていくんだろうという諦め。

それに対して「悲観的じゃない?」といいつつ「でも行き場ないってあるよね」と同意する友人の町子は、この時例の(10年も付き合っている)既婚者の子供を誘拐中なのである。もちろん子供を誘拐してくるなんてあり得ない非難されるべき行動ではあるのだけど、彼女にとってその閉じたトラックの輪、永遠にどこにも辿りつかない不毛な不倫を終わらせるためにはこの一種乱暴な行為が必要だったんだろうな、とも思ってしまう。

最後の章では、安定して付き合えていたと思っていた男が仕事でスリランカに行くと言って旅立ってしまい、ついていってまで彼と続けられるか自信がないままぼんやりと過ごしていた主人公の元に、彼女の父親が訪ねてくる。

父親は自分も、自分は何者にもなれないと思っていたこと、永遠にこの決められた柵の内側で生きていくんだと思っていたこと、でもそれが妻と出会って、妻と結婚したいという一心だけでその柵を飛び越えられて、景色が変わったんだ、という話をする。

そうして気がついて目が覚めた時には、父は去年亡くなったんだと思い出す。彼女の父親が語ったことは、本当に彼が娘に伝えたかったことかもしれないし、あるいは彼女自身が自分の背中を押したくて見た幻想かもしれない。

最後の章のタイトルはTeenage Fanclubの「Start Again」だ。いい曲だ、聴くたびいつも、だたっ広い田舎道を車で走りながら聴きたい曲だな、と思う。

どうしようもない彼女の、それでも何度でもまた走り出そうとする彼女の物語の一幕のエンドロールにあてがう曲として、とてもいい選曲だと思う。

"うんと遠く"に行きたいと思いながらアイルランドに行ったり、いかにも自由人ぽいヒッピー男と付き合ってみたり、年下男と海の見える街に引っ越してみたり、いろんな突飛なことをしながらフラフラあっちこっち渡り歩いて、それでも結局は同じトラックの中をずっとぐるぐる走っていただけだ、と彼女は思っているけど、果たしてそうだろうか。

うんと遠くに行きたい、その気持ちだけでとにかく走るだけ走ってきた彼女の経験は、無意味ではなかっただろうと思う。この小説は最後までゴールらしいゴールにはたどり着かない。Start agin、もう一度走り出したところで終わるだけで、その先がどこに続いているのかはわからない。

でもこの先また彼と別れても、うまくいかなくても、彼女は自分の人生を数々の名曲をBGMにして彩りながらしぶとく行きていけるのだと思う。わたしには彼女がとても強く見えた。不器用だし、側から見たら痛々しいのかもしれないけれど、わたしは彼女の人生を見て、愛おしい気持ちになった。

まるで自分には何もないと言わんばかりの彼女たちだが、実は「普通の人でいいのに」の主人公にも、「あしたはうんと遠くへいこう」の主人公にも、自分の好きなカルチャーがある、好きな音楽がある。それって実はそれだけでとても強いことなのだ。
理不尽に彼氏や友達にキレて傷つけてしまったことも、そこから逃げたくてウラジオストクにたどり着けなかったことも、BGMをつけて映画のワンシーンみたいにしてしまえばいいと思う。そうしてまたStart Againしていこう。

サブカル女よ、強く生きよう、どんなにダメな時にも、自分の好きな音楽で自分の人生を彩りながら。

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追記:
あえてサブカル女、と言う書き方をしてきたけど、サブカル女という言葉はわりと蔑称として使われてきた側面がある。だけど、サブカル女って別に悪くないぜ、とわたしは思う。
もちろんあの漫画の主人公みたいに、サブカル界隈の中にも結局馴染めなくて苦しい、ということもあるだろう。好きなものに苦しまされることもあるかもしれない。でもそれってサブカルに限らずどんなコミュニティでも起こり得ることだし、それでもその中で好きになったものたちは、いつか自分がダメになってしまったときに、支えになるかもよ、と思う。
好きなものが好きだって、誇りに思って生きたいよね。


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