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読書の春

実家に帰る度に、ちまちまと本を読み返している。
昨晩は頭が冴えて眠れなかったので、森沢明夫の『虹の岬の喫茶店』を読んだ。
ちいさなライトをベッドの上に置く。窓を開けて、寝転がって読む。おお、贅沢な時間だなあ、虫の声にやさしい言葉に、なんて思っていたらいつの間にか寝ていた。

わたしの部屋には、祖父お手製の大きな本棚があって、その中央部3列は小説やら漫画やらで埋まっている。ほかは父の本とアルバムのスペースになっている。
持っていた本は、ひとり暮らしを始めるときに半分ほど処分してしまい、残ったうちの数冊は下宿先に連れていった。
残された3列の本たちは、実家にいる間の暇つぶしになる。読み返しているうちにやっぱりお気に入りだということで、下宿先に持って帰ることもある。そろそろ、下宿先にも本棚を導入しなければいけなくなってきた。


読書家というわけでも、活字中毒というわけでもない。ただ読むことは昔から好きだった。
いちばん読書をしていたのは高校生の頃だった。
学校帰りに駅の本屋に寄る。気に入れば買う。1冊買うと読み切るまで、通学と休み時間のお供になる。
図書委員なんかをして、月に1回の「図書委員おすすめの本」をワクワクしながら書いた。
『読書ノート』と書かれたA4の薄い冊子が配られて、3年間でたくさん読んだら賞と賞品が貰えると聞いた。入学した頃から仲のいい友達と競って、3年間できっかり100冊読んだ。友達には負けたけれど、賞品の図書カードは今も財布に入っている。

電子書籍で読むこともあるけれど、やっぱり本は紙がいい。
手で触って、ときおり表紙の絵を眺める。本を閉じたときに栞の挟まる部分を見て、もうこんなに読んだのかと驚く。本当のところは分からないけれど、本によって紙の質感が違う気がする。サラサラ、ザラザラ、厚い、薄い。ペラペラとページをめくる、耳心地のいい音、インク独特の匂い。

本屋に行くのも楽しい。
目的を決めずにフラフラと歩く。気になった本を手に取ってページをめくってみる。1、2時間さまよってこれだ!と思ったものを買う。
巡り合わせというのは本当にあって、ちゃんと、そのときの自分にいちばん必要な本と出会える。本屋はそういう場所だ。

最近はもっぱら恵文社さんにお世話になっている。一期一会や巡り合わせが特に多いお店だと思う。
次行った時にも出会えるかどうかは分からないというのは、少し寂しい気もするし、でもその分特別な気もする。


2、3年ほど前、母と夏の京都旅行に行った。
下鴨納涼古本まつり。あれは不思議な空間だったなと思う。長い長い糺の森にテンテンテンとテントが張られて、5冊で100円、まっ茶色に古びた本に雑誌、炎天下、青々とした緑。
古本の埃っぽくて少し甘い匂いが一帯に広がって、なんだかその場所だけ時間が止まっているようだった。
昨年はコロナの影響で開催されなかったけれど、大学を卒業するまでには行けるだろうか。

本好きはいつからだろう。
思い返せば保育園時代。
母が絵本好きで、廊下に棚を取り付け、そこに絵本が陳列されていた。前を通る度に何となく手に取って読む。お手洗いに来たのだということを忘れたりする。本との繋がりはそこから始まっているのかもしれない。
『しろくまちゃんのほっとけーき』『きんぎょがにげた』『だるまちゃんとてんぐちゃん』『三びきやぎのがらがらどん』『お月さまってどんなあじ?』『キャベツくん』
今でも、本屋に行ったときには絵本コーナーに必ず寄る。高校生のときに見かけて印象に残ったのは『すきって いわなきゃ ダメ?』という絵本だった。ああ、今の時代にこういう本があってよかったなと思った。そうやって時代とともに出てくる新しい本と、母やわたしが幼い頃に親しんだ本とが一緒に並んでいるのは、なんだか楽しいしあたたかい。


あと数日で下宿先に戻る。
『虹の岬の喫茶店』を持って帰ろうかしらんと思ってもう手元に置いてある。先日買って届いたであろう吉本ばななの『キッチン』も待っているし、やっぱり下宿先にも本棚はあった方がいい。

これからも、どんな本に出会えるのかとても楽しみにしている。

おしまい

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