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くるす漢方薬局



平日、早い午後の商店街は、比較的高い年齢層の出足が多く、
夜の食卓にむけて
目立たないけれど堅実な審美眼が
あちこちでピカピカと光を放っています。
暮らしへの意欲が、静かに満ちている時間帯。
 
そんな穏やかな活気の中で、
ひとり
岩のように重たい足を
ズルズルと引きずりながら歩くわたしは、
ひどい疲れを抱えていました。
 
なにかの報いなんだろうか。
 
重い体への対処は、もう、我慢しかありませんでした。
 
 どうしよう。
 体に力が入らなくてフラフラする。
 
このあと、子ども相手のアートワークが入っていて、
元気いっぱいに動き回らないといけないのに。
自分の体だけでなく
たくさんの荷物も、階上まで運び上げないといけないのに。
 
 どうしよう。
 体が重い。
 
すでにいくつかの病院では診てもらい、
甲状腺も腎臓も、肝臓も、特に問題は見つかりませんでした。
治すために、なにをすれば良いのかわからない。
 
 それは、
 少しずつ体が岩に代わっていくという、
 恐ろしい呪い。
 森の魔女が笑ってる。
 
呪いか祟りなら、行くべきはお祓いなのか。
たしかに神社は、まだ行っていない。
 
 歩いても歩いても、
 商店街の出口に近づかない。
 
ため息を吐いたその時、
その、漢方薬を扱うお店が目に止まったのです。
くるす漢方薬局店。
 
漢方なら、この原因不明の不定愁訴を
 なんとかしてくれるんだろうか。
 
健康に関わる食品は、たいてい、たくさんの金額がかかります。
しかも漢方薬なんて、秘境の仙人と取引きするものじゃなかったかな。
 
「漢方は、効果がでるまでが長いんだよ」
 
ゆるい風と共に、しゃがれ声が聞こえたのは、気のせいだったのでしょうか?
 
 でもでも
 理由のわからない、この体の重さ。
 
 高いお金がかかったとしても、
 長い時間がかかったとしても、
 この異常なダルさがとれないのなら、
 これまでと同じ生活は、もう続けることができない。
だから
 試してみる意味は、あるんじゃないか。
 
そうやって初めて、その漢方薬局に足を向けたのでした。
 
ようやく前にたどり着くと
樹脂製のパンダが
片方の手を元気よくふり上げ、
片目をつむった笑顔で
陽気に立っていました。
 
 やっぱり、中国の薬剤師さんが対応するのかな。
 漢字で筆談とか、できるかな……。
 
逡巡しているうちに
もう、立っていることも辛くなってきて
どうしても、いったん腰掛けたくなり
フラフラと、そのままお店に足を踏み入れました。
 
 「いらっしゃいませー」
 
自動ドアが開き
出迎えてくれたのは、柔らかく描かれた太眉が印象的な、白衣を着た女性でした。
 
その横に腰掛けているのは、スーツ姿の男性。
おごそかな重鎮感を放ちながら
 
 「どうしました。
 どうぞ、おかけください」と、
 
力強く、穏やかな声で、椅子を勧めてくださいました。
 
 よかった、日本語は通じる。
 
勧められるまま、
グタリと体を預けた椅子は、
やっと運んできた体を、フワリと受け止めてくれるものでした。
 
 ダメだ。
 これはもう、立てないかも。
 
促されるまま、
抱えている健康問題を伝えました。
 
 どうしていいのか、わからない。
 なにが原因なのかも、わからない。
 体がフラフラして、重たくて、困っている。
 
椅子はもう、体にくっついて離れません。
 
ひとしきり話を聞いていた重鎮が口を開いた時、
すでにその扉は開かれていました。
 
 「すべての漢方薬局は、この空間へと繋がっていて
 健康に悩みを抱える人が、
 本当に困った時だけ
 この空間へと繋がる扉が、開かれるのです」
 
白衣の女性が、茶色の錠剤をわたしの手に渡し
唄うような節で告げました。
 
 「一粒飲めば、体が軽くなり
 二粒飲めば、心も軽くなる
 最後の一粒で、健康問題はすっかり取り除かれるのです」
 
言われるがまま
差し出されたコップの水で口へと流し入れました。
 
一粒目を飲み込むと、なんとなく腰から背中にかけて軽くなった気がして
二粒目を飲んでみたら、なんだか、ぜんぶがうまくいく気がして
三粒目を飲んでみたら、体が暖まり、うっすらと汗をかいてきました。
 
 あ、これから仕事だ。そろそろ行かなくちゃ。
 
視界にかかっていたモヤが晴れ、
岩は溶けてなくなり
前向きな気持ちが戻ってきたのです。
このまま、立ち向かっていける勇気が湧いてきました。
 
 「なんだか、気分が明るくなってきました」
 
そう呟いたわたしに、
重鎮は再び口を開き、その予言を口にしたのです。
 
 「これからもあなたは、この漢方薬局に通うことになるでしょう」
 
 
あれから5年の時が経ちました。
わたしは今も同じ仕事を続けることが、できています。
 
白衣の女性は、わたしと同じ年齢で
毎回ハッとする素敵なメイクで、出迎えてくれます。
 
重鎮はいつものおごそかな雰囲気を身にまとい、
健康への悩みを抱える人々からの相談に答えておられます。
 
わたしは
予言どおり、くるす漢方薬局の、常連客となりました。
お陰様で健やかに過ごしています。
 
たしかに、高いお金を払うことにはなりましたが
年相応の、体に対するメンテナンス代だと思えば、
納得できない金額ではありません。
 
効き目がでるまでに、長い時間がかかるのか?
これについては、半分は本当です。
 
あの日、わたしが飲んだ三粒の錠剤は、牡蠣のエキスからなる健康サプリメントで
 
 (安心してください。もちろん健全なサプリです)
 
即効的に、魔女の呪いから開放してくれました。
 
それとは別に、
基本セレクト2種の漢方薬は、
飲み続けるうちに徐々に体質が変化してきて、
咳喘息が治まり、
頭痛に悩まされることが減って
なにより胃腸の消化力が上がったことから、風邪をひかなくなりました。
たぶん体温も、昔より高いはずです。
あの当時、ちっとも伸びなかった爪が、再び生えるようになり
白髪も、あの時の方が断然多かったと、思います。
 
もともと、決して強くはない体ですから
漢方の助けが欲しい場面は多くあります。
家人の花粉症について相談もさせてもらい
我が家の薬箱的存在となった、くるす漢方薬局店。
 
あの時繋がった空間は、どこだったのでしょうか。
あの日聞いた、歌のような節は、本当に耳にしたのでしょうか。
今ではもう、よくわかりません。
 
不思議なことはもうひとつあって、
健康について、なにも問題がない人に、あの店のことを話しても
 
 「そんな店あったっけ?」
 
と、みんな首をかしげるのです。
 
あの店は、健康に悩みを抱えた人でなければ目に映らない場所。
 
きのうの夕方、
お店の前を通ったら、
陽気なパンダが
いつものように笑っていました。
 
あのパンダも、
体に問題を抱える不健康な人にしか
目に映ることはないのかもしれません。

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